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ありさのスケッチブック

流れゆく時の中でも、心に残ることば。《ありさのスケッチブック》


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いやあ、寒いですねえ。
何で3月なのにこんなに身の切れそうな寒さに耐えなければならないのでしょう……
最近暖かかったからこのまま春になればって期待してたのになあ。

そして、つらいですねえ。
あれです、この季節特有の症状。
花粉症です。
目がかゆい! 鼻水がでる! くしゃみ出る! ぼーっとする!
もう風邪をひいているのと同じですよね、全く。

こんな寒さや辛さを一瞬忘れてしまう話、聞いていきませんか?

ほんの、数日前の話。
私は久しぶりに会った友達と夕ご飯に行こう、という話になった。
向かった先で食べたのはハンバーグ。
ちなみに好きな食べ物ランキングでトップスリーに入るくらい好きです。
……すみませんどうでもいいですね(笑)

美味しいご飯を前に、話題もポンポン出てきた。
3月になった途端、予定がいっぱいになってつらいねえ、とか
この前こんなところ行ってきたよー! とか。
あれやこれやと小一時間話しつづけ、友人がふと腕時計に目を落とした。

そして顔を上げると、彼女はちょっと照れくさそうに小声で言った。
「今日で4年4ヶ月記念日だあ」
そういえば、彼女が今着けている腕時計は彼氏からもらったと言っていたものだった。
「あ、たしかに! 4年かあ、本当に長いよねえ」
ここで私はもっと心遣いのある言葉が掛けられればよかったのだけど、ちっとも思い浮かばなかった。
それでも彼女は嬉しそうに、うん、と頷き
そういえば、と話しを切り出した。

「この前ね、パソコンで写真の整理してたんだけど、
その中に前の携帯の写真とかもあって……すごい懐かしくなっちゃった」

「へええ、高校の時の写真とか?」
私は、部屋の引き出しの奥にしまっている、
高校時代を共にしたガラケーとポンコツスマホを思い出していた。

「そうそう、その中にね、保護メールとかもあって、すごいなんか嬉しくなっちゃった」
「ああー! あったね、ケータイのメールで鍵かけるみたいな機能! なんだっけ?」
「保護、じゃない? 嬉しかったメールとかを消えないように保存する機能だったよね」
やれやれ、私がポンコツである。

保護メール。
今の中学生なんかに聞いたら何それ? なんて言われてしまいそうである。
私が中学生や高校2年生あたりまでは周りの友達はみんなガラケーで、LINEのIDを交換する代わりにメールアドレスを交換していたものである。赤外線通信とかで。うわ、懐かしい!
友達とやり取りする時に使うのはほとんどがEメールだった。
その中に確かに存在していたのだ、「保護メールフォルダ」は。
私の記憶が正しければ、保護メールには鍵のマークが付けられていた。
だから、話を聞いたときに鍵がー! なんてことを口走ってしまったんだけど。

本当に、懐かしい。
中学生や高校生の頃にやり取りする相手なんて、ほとんどが友達やクラスメートだった。
その頃の私の携帯の「保護メールフォルダ」には、
嬉しかったこと楽しかったことが書かれたメールがたくさん入っていたはずだ。
誕生日のお祝い、新年のあいさつ、一緒に遊びに行ったときの返事……
たくさん鍵をかけすぎて、泣く泣く保護を解除したメールもあった。
あの頃の私が主に鍵を掛けていたのは……恋愛関係のものばかりだった。

好きな人から返事が来たー!
え、向こうからメール来た!
これってもしかしていけるのかも! やばい!
一人で妄想を膨らませながら、ガラケーの画面の前で悶えていたものである。

あの頃は、嬉しかったメールが受け取った時の気持ちのまま、保護メールフォルダに入っていた。
受け取った時の暖かい気持ちを忘れたくなくて、特別なものとして、保管することに重点を置いていた。
保護メールを読み返している時は、気分はメールをもらった時間までタイムスリップしていた。
ちょっと時間を置いてから読んでも嬉しさは冷めず、まるで魔法瓶に入っているかのように持続していた。

私は、メールが受け取り手の感情を左右するものだとわかっていたから、
メールを送る時は言葉に細心の注意を払い、丁寧に大切に書いていた。
送る前に何度も読み返し、よしこれでいこう、と決心してやっとメールを送っていた。

ところが、今はどうだろうか。
LINEが普及し、リアルタイムでメッセージがやり取りされる。
「既読」という機能に急かされ、ゆっくり考える間もなく返事をすることも多くなった。
それでも、一秒一秒が惜しい今の私たちにとって、
タイムラグのないこのLINEというツールは私たちにとって不可欠なものとなった。

一方で、メールの頃みたいに嬉しかった瞬間を残そう、と思うことは少なくなった。
初めのうちは、スクリーンショットを撮って保存したりしていたが、その習慣もどんどん消えていった。
スクリーンショットは「トークの一部分を切り取った形」だから、
保護メールのように、「そのままの形で残す」ことはできず、何となく味気ない感覚を覚えるのだ。

メッセージのやり取りを「そのまま残す」ということが難しくなった結果、
嬉しいことも悲しいことも全て一緒になってどんどん流れて行ってしまうようになった。
もちろん、さかのぼることはできるから、心から嬉しかった言葉なんかは見返すこともある。
しかし、日常の些細で、小さな喜びや嬉しさは、時間と共に薄れ、やがて忘れ去ってしまう。

タイムラグのないツールで「便利さ」がふつうになってしまった結果、
時間をかけてゆっくり言葉を吟味する時間がなくなったり、
相手から来たメッセージを読み飛ばしてしまっている自分がいる。

LINEでやりとりする時も、慎重に言葉を選ばなくなってしまった。
短い言葉やスタンプで、思っていることや感情をうやむやにしてしまうことも多い。

たまに、心からの感謝の言葉を送る時もある。
その時こそちゃんと言葉選びをするけれど、この言葉もすぐ流れちゃうんだよな、と結局簡素な文体になってしまっている。

それでも、タイムラグの無い便利さになれてしまったからには、昔にはもう戻れない。
たぶん、またEメールに戻せるよ、と言われても戻す選択はしないと思う。

それでも、メールを使っていた頃のやり取りは何とも言えないくらい懐かしい。
あのメールを待つわくわく感、メールを送る時のどきどき感はやはりメール独特のものだった。

この日私は、保護メールという存在を思い出し、すっかり懐かしい気持ちになってしまった。
どんなやり取りしてたかを電車に揺られながら思い返していた。

やっとこさ家に着いて、ひと段落した頃。
私はFacebookを立ち上げた。
一週間前のことを振り返った私の投稿に、
コメントやいいね!がたくさんついているのを目にした。

……嬉しいなあ。
うわあ、私の記事を読んでくれてたんだなー。
嬉しい言葉だなあ、なんて返そうかなあ……

貰ったコメントに丁寧に返事をしていた時に、
何度も言葉選びをしている自分に気がついた。

Facebookもどんどん流れて行ってしまうことであるのは変わらないのだけど、
どうしてこんなに慎重にメッセージを送っているんだろう?

私の仮説はこれだ。
「相手のところにメッセージが残る」
という意識が強くなるからではないか、ということ。
そう、メールだけがコミュニケーションツールだったあの頃のように。

LINEだったら話せば話すほど流れていくけれど、Facebookはそうはいかない。
コメントをすれば友達のタイムラインの上の方に一定時間留まっている。
だから「相手のためにメッセージを送る」という感覚を強く持つようになるのだと思う。

少なくとも私にとってはFacebookのコメント欄に書き込むのは、好きな人にメールを送っていた時と同じくらい緊張する。
自分の気持ちをスタンプでごまかすこともできず、
相手のタイムラインへ投稿するけれどいろんな人が見ているから砕けた表現もしづらい。
そこに妙な緊張感を覚えるのだ、私は。

だから、興味のあるスレッドが流れてきても、
これに変なコメントしたら目立つよなあ……とか
うわこいつにコメントされるのかよ、と思われたらどうしよう、とか
余計なことばかり考えてしまい、コメントを書いてから送信するまでに時間がかかってしまう。
そもそも、せっかく書いたコメントを全部消去してしまうことの方が多い。

同じコミュニケーションツールでもFacebookは違うんだよね。
私は自分自身にそう言い聞かせて納得しようとした。

でも……本当にそうだろうか?

本当に私は、Facebookだから丁寧な返事ができて、
LINEだからそっけなく、うやむやな表現をしてしまうのだろうか?

きっと、そうではない。

私は、楽に返事ができるLINEという存在に甘え、
自分があまりよく考えずに返事を打ってしまう理由をLINEの登場のせいにしたかっただけなのだ。

本当は、自分が心を込めて返事を送るのを怠けているだけなのに。
自分が適当に返事をしているから、相手もそっけない表現になってしまったって不思議はない。
だから、当然「残そう」とは思わないし、心の中にも残らない。

メールを使っていた頃の保護メールのようにずっと心に残したければ、
言わなくてもなんとなく伝わるだろうなんて思わず、その「なんとなく」も言語化すべきなのだ。

そうだったではないか、メールしかなかったあの頃は。
あのころの私は文字しかない中でいかに自分の喜びや嬉しさを伝えるかを必死になって考えていた。

メールだった頃、Facebookを使うとき、LINEを使うとき。
どの時も「ことば」を使っているのには違いない。

ツールのせいにせず、まずは「私が」しっかり、言語化しよう。
私が心を込めてメッセージを送るだけで、
自分は暖かい気持ちにはなれなくても、誰かに暖かい気持ちになってもらうことができる。
そうなれば、今よりはずっといい。

そう思い立った私は、だらしなく丸まっていた姿勢を正し、
その時に来ていたLINEに対し、一言ずつ考えながら返事を返した。

その時の私は、すっきりとした気分になっていた。
いつもはひどい鼻づまりで眠れないのに、
その日は鼻づまりや目の痒さも気にならなかった。
それだけ夢中になって返事をしていた。

次の日の夜、メール時代が懐かしくなって、前代のガラケーをわざわざ充電して
保護メールフォルダを見てにやけていたのは、ここだけの話。


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