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メディアグランプリ

小春日の悪臭

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:平尾美枝(ライティング・ゼミ特講)
 
 
1995年3月20日。その朝私は二日酔いだったと思う。
終電を過ぎても深夜になっても緊急飲み会は止むことなく続き、解散後はひとりで15kmほどの道のりを、夏みかんを振り回しながら歩いて帰った。歌ったり、スキップしたり、いかにも酔っ払いらしく歩き回る自分の姿を自覚していた。
夏みかんは、宅配で実家から届いた物だった。荷物と荷物の間にできた隙間に差し込まれていたものが、箱を空けた瞬間から香りが漂いはじめた。一人で食べるにはちと大きい。夏みかんが好きな園子を誘ってみようと思いつき、彼女の部屋に向かった。高校からの親友だから、電話もなく突然ノックすることにためらいはなかった。今日は園子のバイトが休みで、リョウヤが出張で部屋に来ないから、そのまま飲みに行ってもいい。
しかし園子にしては珍しく迷惑そうな、ひどく慌てたような様子で、それでも私が部屋に上がり込むことだけは絶対阻止といった構えだった。
「ごめん。お父さんが来てるの」
彼女の父親は、長い付き合いなのでもちろん知っている。ガンで入院しているはずだが、東京の娘の部屋に来ているなら、挨拶ぐらいはしてもよかろうと思いつつ、三和土にあるスニーカーに気が付いた。翼のような形にデザインされたロゴ。縫い付けているステッチは銀の刺繍、かかとに差し色の赤。何より左右あっちこっちに脱ぎ捨てるような置き方。
違った意味で、見覚えがある。
リョウヤは、こっちに「出張」だったのか……
襖の向こうで、息を殺して立っているリョウヤが見えるようだった。
「……そか。よろしく言っといて」
襖に向かって夏みかんを投げてやろうかと思ったが、園子が私を押し出すようにしてドアを閉めてしまったので、実行できなかった。大ぶりの夏みかんからは、相変わらずのんびりした日向のような香りが登ってくる。私が夏みかんを持って通路への階段を降りていくところを、園子とリョウヤが見ていたかもしれない。
 
どうやって部屋に帰ってきて、いつ寝たのか、まるっきり覚えていない。
目が覚めたのは、電話とヘリコプターの音の両方がうるさかったからだ。
「あんた、生きてるよね!!」
そりゃもう。この頭痛が何よりの証拠です。それが何か。
母だった。
「霞ヶ関と、築地と、銀座と……あーもー、TVつけなさいよ!」
適当につけたTVの画面には聖路加病院の上空が映し出され、死者が出たことを繰り返し叫んでいた。
チャンネルを変えても、同じような空撮と、地下鉄の構内で床に直接寝かされている人々が映し出されている。
これか。
通称「地下鉄サリン事件」という名称になったと聞いたのは、三日も経ってからだった。地下鉄の事件なのに、空撮が必要なのだろうか。ヘリの音は、日が沈むまで続いた。
「あんたねえ、気をつけなさいよ」
と言って母は電話を切ったが、私の出勤ルートは地下鉄丸ノ内線に乗って霞ヶ関で乗り換えて東銀座っていうコースで、
サリンが撒かれた現場を複数通ることになる。
どうやって気をつけるんだろう。
 
はたして、電車はちゃんと動いていたし、バイト先から「本日休業」なんて電話はなかったので、リュックを背負って部屋を出た。テロから八時間ほど経っているし、爆発物ではないから道路や電車が壊れたわけでもない。朝の中継で見せられた地下鉄構内の床に横たわった人々も、もういない。駅の人出もほぼ通常と同じ。日常が戻ってきたのだ。
しかし、ニオうのだ。
中和剤だろうか。化学物質の刺すようなニオイが街を包み、体にまとわりついてくる。もうじき四月という小春日で、良い陽気なのに。
携帯電話が鳴った
「大丈夫か?」
今いちばん話したくないヤツだ。電話受けるんじゃなかった。
「お前が、中継の画面に入ってたらどうしようかと思って」
「床に寝かされてた人?被害者ってこと?」
「だってショックでかいじゃん」
リョウヤが、電話の向こうでタバコをつけたようだった。
「そんな事になったら、オレ眠れなくなりそうだし」
「……」
「佐藤先輩や、ゆかりさんから出入り禁止!って怒られたからな」
昨日一緒に飲んだ友人夫婦だ。どちらもリョウヤの職場の先輩なのでリョウヤは頭が上がらない。
「お前が死んでたら、一生出禁だって」
死ぬわけないだろう!とは返せなかった。
出勤や帰りの時間がずれていたら、いつもの車両に乗らなかったら私も被害者のひとりになったかもしれないのだ。朝見た空撮の画面では、道路に横たわる人々が空から見ても多数だとわかった。私と同じルートを使う人たちだけでなく、他の線から乗り入れる人も加えると、膨大な人数になるだろう。そして、誰もが人ごとではないと思ったのではないか。
「何であの二人にいいつけるんだよ」
「別に、呼び出したわけじゃなくて、たまたま新宿でご夫婦にバッタリ……」
リョウヤはイライラしたように付け加えた。
「どんな顔して会社に行ったらいいんだ?今ごろ斎藤も川田も聞いてるぞ」
同じ顔でイイと思います。私の親友との関係は気にしてないのね。
「なあ、すねるなよ。許してくれよ」
「許すも何も……終わった人に許してもらわなくてもいいでしょう」
「とにかく、やり直そう。そうじゃないと事務所で立場ないから」
「……よくわかったよ。着信拒否しようと思ってたけど、電話通じて良かった」
と言ってから誤解を受けそうだったので、補足説明を加えた
「あなたは私の痛みがわからないみたいね。この電話でよく分かった」
とりあえず、最も適切な別れの言葉を考えた
「お世話になりました」
返事を待たずに電話を切り、近くのベンチに体を預けてリョウヤと園子の電話番号を着信拒否設定した。駅にはまだ中和剤のニオイが漂っている
ふと、背中辺りから別の香りを感じて、背負っていたリュックを膝の上に広げた。
リュックの中には、行き場を失った夏みかんが入っていた。
 
 
 
 
***
 
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2019-11-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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