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メディアグランプリ

タイトル : 時代を引き継ぎ、生き様を引き継ぐ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:水野雅浩(ライティングゼミ日曜コース)
 
「昨晩、社長が亡くなりました」
 
職場で人事部長から訃報を聞いた。
月曜日の朝いちのことだった。
 
一瞬、時が止まったようだった。
その言葉を聞いた社員誰もが、固まった空気を動かせずにいた。
 
社長ががんを患っていたことは知っていた。
しかし、69歳とはあまりにも早い死だった。
 
週に一回ではあったが、がんを患ってからも社長は会社に顔を出しては、営業、管理、マーケティングのそれぞれの部門を回って、社員ひとり一人に声をかけて回っていた。
 
若かりし頃、慶応大学のラガーマンだった社長は身長が185cmあった。そこに鍛えた筋肉が搭載され、ライオンのたてがみのようなオールバックを震わせながら、ガハハハと笑い声が響き、遠目に見ても、存在感だけで大社長だった。
 
社長は、もともと日本を代表する大企業の経営者で大規模な企業統合とV字回復を成功させ当時は会長職に就いていた人だった。様々な経緯から、会社の再建のために株主から送られてきた人だった。
 
外部から送り込まれてきたこともあり、はじめは社員との反発もあった。しかし、徐々に社員と信頼関係を作り、数年後には、いなくてはならない人となっていた。その過程で、会社の業績はみるみるうちに回復し、新事業が成功し、社外からも腕利きの中途社員がこぞって入社してきた。それがますます、良い循環を作り、5年も立たずして売上は、138%の回復を見せた。社長という人一人の存在がここまで大きいとは。それは、内部にいる私でさえ、信じられないほどの回復速度であった。
 
社長が残したものは、業績の回復だけではなかった。
コテコテの昭和の社長だったこともあり、
沖縄への社員旅行を実施し、
家族を巻き込んでの運動会を開催し、
暑気払いではビール園を貸し切り、
ハロウィンでは、自らドラゴンボールの亀仙人の格好をして
忘年会では、マイクを握り北島三郎の「まつり」を熱唱した。
 
平成生まれの社員も多い中、戸惑いながらも、参加した社員達は徐々に社長のスタイルに馴染み、そしてその過程で部門間の壁がなくなり、業務だけではなく、真のコミュニケーションが生まれていった。
 
それは、まるでタコ壺に入っていたタコたちが、恐る恐る外に出て、仲間と手を取り合いながら、目の前に広がっていた世界で全身の筋肉をフルに使いながら、自分の能力を楽しむようだった。
 
元気に出社していた社長の出社回数が減ったのは、去年の夏のことだった。
奥様が大腸がんを患ったのだ。
 
進行速度は早く、分かったときはステージⅣ。
即、手術となった。
 
ほぼ、全摘だったと聞いた。
 
それまでは毎日出社していた社長だが、66歳の奥様の予後に付きそうことが増えた。
社員は、十分そのことを理解していたし、そうして欲しいと願っていた。
 
半年して、今度は社長が、がんになった。
心と体はつながっていると言われている。長年連れ添った奥様の手術は、相当ショックだったに違いない。きっとその影響もあったはずだ。
 
社長のがんの場所は、社員にはふせられていた。
 
社長が次に会社に出社した時は、毛髪、眉毛は全て抜け落ち、隆々たる体躯はしぼんだ風船の用になっていた。抗がん剤の副作用に違いなかった。
 
それでも、昔と同じように笑って社員一人ひとりに声をかける姿は、痛々しくも胸を打った。
 
3ヶ月ほどすると、抗がん剤が効き食欲が戻ったのか、少し頬がふっくらしてきた。
出社するのは変わらず週に1度の役員会議の時だけであったが、徐々に元気を取り戻しつつある社長の姿に社員はみな安堵し、この日常がずっと続いていくのだろうと思っていた。
 
その矢先だった。
訃報が届いたのは。
 
社員の気持ちの動揺をかき消すかのように、その後慌ただしく、取引先への連絡をし、葬儀があり、親しかった方々を招いての送る会を行った。
 
その後、しばらくして関係者から社長の症状について話を聞く機会があった。
 
医者からは余命半年と宣告されていたという。しかし、社長は社員には一切その素振りを見せず、経営陣すら余命を偽っていたという。
 
企業再建を託された企業とはいえ、今の社員との接点があったのはわずか5年。余命が分かった時点で、もっと多くの時間を家族と過ごすことも出来たであろうし、昔のラグビー仲間に会いに行くことも、長年勤めた前職の同僚に会いに行くことも出来たであろう。
 
しかし、そうはしなかった。
余命半年という時間を、私たちと過ごしてくれた。
 
数々の戦国史には大きく分けて2種類の武将が登場する。
後方に現役を引退してからは相談役のようになる大将と、最後まで戦場に身を投じ兵士たちを鼓舞しその場で戦略を考え実行する大将だ。社長は明らかに後者であった。そして、その生き様、死に様は戦場に生き、戦場に死す、という日本人の魂を震わせる武将の姿そのものであった。
 
社長の働き方、生き様、死に様は、前世代的だったのは言うまでもない。
 
しかし、そのコテコテのコミュニケーションの中に、今の仕事のスタイルとは別次元の仕事の歓びの種があり、仲間と肩を組み喜び合う楽しみがあった。
 
経営者として生きてきたエッセンスを、玉露の最後の一滴のような旨味と苦味が濃縮された人生訓を私たちは託されたのだと思う。
 
時代はどんどん移りゆく。
全てが、もっともっとスマートになっていくだろう。
 
私たち40代達は、昭和、平成、令和を跨ぎ、時代の変わり目に生きる世代だ。
しなやかに時代の流れに適応しつつも、先人たちの生き様を引き継ぎながら、でも若者には押し付けず、スパイス的に練り込みながら、新しい時代を作っていこう。
 
個人的には、社長のような胸を震わせる生き様があったことを胸に刻み、自分が死ぬときには後進の胸を熱くさせる思い出が残るような、そんな生き方を目指したい。
 
それが、時代を引き継ぐ者の役割だと思うから。
 
 
 
 
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2019-11-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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