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タイムスリップ(READING LIFE)

わたしはその時、精一杯生きていた《週刊READING LIFE「タイムスリップ」》


記事:伊藤千里(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「あの……いま、ひ……ひとり暮らしですか?」
その時のわたしには、そう聞くのが精一杯だった。

 

 

 

「あの時、こうしていればよかった」「いまの私だったら……」
そう思うことはいくつもある。もしそうしていれば、今はもっと違った未来になっていたかもしれないと。
 
例えば、
相手に依存しすぎて、ダメになってしまった恋愛。
もっと一生懸命勉強していたら、行けたはずの第一志望の大学。
もう会えなくなると知っていたら、もっと優しい言葉をかけてあげれば良かったと思う相手。
 
もしタイムスリップができるなら、今の私は過去のわたしに言うだろう。
「あとできっと後悔するから、こうしなさい」「今、もっとがんばりなさい」と。

 

 

 

あの時のこともそうだ。
 
今から4年前のことである。28歳のわたしは、昔好きだった人に5年ぶりに再会していた。
 
彼と初めて出会ったのは23歳のとき、実務修習先の警察署だった。大学を卒業し、国家公務員の警察官として採用されたわたしは、最初から巡査部長という階級を与えられ、その年の4月から幹部養成専用の警察学校に入校していた。
警察学校では、憲法、刑法、道路交通法などの法律の勉強や、剣道、柔道などの術科の授業を受けた。警察学校に入校して3ヶ月、座学などが一段落し、7月から実際の警察署で1ヶ月間の実務修習をすることになった。
 
実務修習とは警察署に短期間だけ派遣され、現場の業務を体験しながら学んでいく研修である。研修ではあるが、交番でおまわりさんの制服を着て、道案内や落とし物の相談にくる一般市民に対応したり、ときには110番に臨場するということもある。
警察学校での退屈な座学からやっと解放され、わたしはとてもどきどきワクワクていた。
 
そんな大事な研修時によりにもよって好きな人ができてしまった。相手は、実務修習先の警察署で働いているわたしより二つ年上の巡査だった。
 
警察学校は厳しい。こういう事態を避けるためだろう、事前に警察学校の教官から「実務修習先の人とは個人的に連絡先を交換してはいけない」ときつく言いわたされていた。
しかし、「やっちゃだめ」と言われたことは、余計にやりたくなるのが人情だ。そして、好きになってしまったものはどうしようもない。わたしは「もし、バレたら教官にこっぴどく叱られる」という事実を引き出しの奥底にしまいこみ、実務修習の最後日、勇気を出して彼に連絡先を渡した。
 
そのあと彼とは何度かデートをした。新宿で映画を見たり、池袋でお好み焼きを食べたり、上野の町を散歩したり。彼のことが大好きでたまらないわたしにとって、それはほんとうに夢のように幸せな時間で、彼とデートしたあとはその余韻で教官の叱責すらそよ風のように感じるほどで、罰として機動隊員の重い装備を着けて校庭を5キロランニングさせられようがノーダメージだった。
 
しかし、そんな幸せは長く続かなかった。
 
しばらくすると、彼はなかなか会ってくれなくなり、メールも返って来ない日々が続いた。
ちょっと嫌な予感はしていた。でも、彼からはっきり言われるまで、わたしはそれを認めたくなかった。
 
彼に好きな人ができたのだ。もちろんわたしではない、他の誰かである。
彼はしばらくわたしにそのことを黙っていたのだが、「彼女」からわたしとのやりとりを咎められ、ようやくわたしに伝えてくれた。
 
「このまま友達のままでいられたらと思ってたんだけど」
 
わたしの気持ちを彼は知っていたはずだ。ずっと隠しているなんて、ひどい仕打ちだと思ったが、やっぱり彼のことが大好きで、これ以上、迷惑に思われるなんてまっぴらごめんだったから、わたしはもう彼と連絡を取らないと決めた。
ちなみに、実務修習先の彼とデートしていたことはちゃんと教官にバレて、呼びだされて3時間ほどこっぴどく叱られた。そして警察学校を卒業するまで毎日、教官の制服のアイロンがけと靴磨きというおまけまでついた。
私が新宿で彼と歩いているところを警察学校の他の教官が目撃したそうだ。警察官の世界は狭い。
 
そのあと、わたしは警察学校を卒業し、警察署に赴任し、交番で働き、刑事になり、警部補に昇進し、本庁に戻って、そして、警察官を辞めた。

 

 

 

5年後、わたしは28歳になり、転職して福岡に住んでいた。
転職して警察官のことも考えなくなり、彼のことも忘れかけた頃、スマホを買ってLINEをはじめたら、彼の名前を久しぶりに目にした。
 
もう忘れようとしていたのに。でも、もしかして……という思いもあった。
「もしかして、いまのわたしだったら」と。
 
5年ぶりに彼に連絡をとってみると、話がトントン進み、なんと彼と会えることになった。わたしは福岡から東京まではるばる彼に会いに行った。
 
わたしには、どうしても確認しておきたいことがあった。彼とはじめて会ってから5年の月日が流れている。彼は30歳になり、わたしは28歳になっていた。
本当は彼と会う前にLINEで聞けばよかったのだが、わたしはどうしても聞けなかった。それを聞くのがどうしても怖かった。彼と会う前にそれを聞いてしまったら、なにもしないまま夢が終わってしまう気がして、夢は夢のままにしておきたい気がして。
 
彼はいま結婚しているだろうか?
 
新宿駅の西改札が彼との待ち合わせの場所だった。新宿に向かうために山手線に乗っているあいだ、わたしの手はずっと震えていた。5年も経っているのだし、彼を見つけられるだろうかという不安と、彼とやっと会えるという嬉しさでわたしの胸ははちきれそうだった。誰かにぶつかっただけで、心臓が身体から飛び出して、わたしの思いが新宿駅西改札口にばらまかれてしまいそうで、人の波を必死によけた。
 
5年ぶりに会った彼は、以前と変わらずとてもステキな人だった。
お互いにこの5年間どうしていたとか、思い出話とか共通の知人の話をたくさんした。でも、肝心なことがどうしても聞けない。聞かなければ、聞かなければと焦りはするのだが、聞くのが怖すぎて、そして、どういう話からその質問にもっていけばいいのかわからない。
 
「あの……いま、ひ……ひとり暮らしですか?」
やっと口から出たのは、そんな言葉だった。わたしにはそう聞くのが精一杯だった。
 
「え……あ、う……うん」
彼はなぜかためらいながら、そう答えた。
精一杯だったわたしには、何か変だと思うことができなかった。

 

 

 

よく考えれば変だったのだ。なぜ、一人暮らしかどうか答えるのにためらうのだろう。
 
バカなわたしは、後日、警察官時代の先輩に「昔好きだった人に5年ぶりに再開して、まだ結婚してないみたいです」とキラキラと目を輝かせ、嬉しそうに話をした。
警察官の世界は狭い。その話がめぐりめぐって、彼の上司の耳に入ったそうだ。そして、彼の上司は彼を咎めたのだろう、「なぜ本当のことを言わないのだ」と。
 
彼はわたしに謝罪のLINEを送ってきた。「せっかく会えたのに、もし言ったら関係が終わってしまうと思って」と。言い訳にしか見えない長文だった。やはり彼はわたしの気持ちを知っていたのだ。わたしはもう返信しなかった。
 
そして「なぜあのとき、きちんと聞かなかったのか」と、モヤモヤとした後悔だけが残った。

 

 

 

もしタイムスリップができるなら、その時のわたしに伝えたい。
「ひとり暮らしですか?」ではなく、ちゃんと「結婚してますか?」と聞くように、と。
彼は結婚していたので、わたしの想いは叶わないという結果は同じなのだが、それでもあの時、目の前で彼からそれを聞けていたらこれほどモヤモヤした気持ちは残らなかったと思う。
 
もしタイムスリップできたら、過去のわたしにちゃんと聞かせるのだ。「結婚してますか?」と。
 
いや……もしタイムスリップできるなら、彼と出会った頃に戻りたい。そして、彼に選んでもらえるような女になれるように、きっとわたしを指導するだろう。
いや、もしかして「彼を選んではいけない」と言ってあげたほうがいいかもしれない。彼女ができたことも、結婚していることも、わたしに大事なことをいつも隠す彼だから、彼を選ぶとあなたは傷つくよ、と。
 
それよりも、もっと前にタイムスリップできるなら、もっと一生懸命に勉強しろとわたしを叱咤するだろう。このままでは第一志望の大学にいけないよ、と。そうしたら警察官になることもなく、彼に会うこともなく、幸せな人生を歩めるよ、と。

 

 

 

でも、過去のわたしは、タイムスリップしてきた今の私の話を聞くだろうか?
過去のわたしに、今の私からもらったアドバイスを素直に実行できる力はあるだろうか?
 
だって、過去のわたしは、その時それが精一杯で、それが全力だったのだ。
その時のわたしには、その選択しかできなかったのだ。
 
「ひとり暮らしですか?」としかたずねる勇気がないわたしで、
彼に依存しすぎて、恋愛をダメにしてしまうようなわたしで、
第一志望の大学に行けるほど一生懸命になれないわたしだった。
 
今の私からみたら、雑魚のように思える過去のわたしは、その時はその時を精一杯生きている、最強のわたしだったに違いない。
だから、今の私がタイムスリップしてきつく言ったとしても、過去のわたしはきっと同じ選択をするだろう。
 
だからもし、過去にタイムスリップできたとしても、今の私は過去のわたしを変えようとはしない。過去のわたしに、アドバイスも指導もしない。
ただ、その時のわたしを認めてあげるだけだ。
わたし、精一杯頑張ってるじゃん、よくがんばってるね、と。
 
それは決して変えられない過去への諦めではない。
そうやって「過去のわたし」を認めた私には、今、自分がいる場所がよく見えるようになるだろう。そうして私の今いるところ、現在地を確認した私は、きっと私にこう言うだろう。
 
「さて、これからどうしようかな!」って。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
伊藤千里(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1987年生まれ。同志社大学法学部卒。
両親が公務員のためか「安定、慎重、無難」がモットー。大学卒業後は警察庁に入庁するが、霞ヶ関のブラックな勤務に疲れ果て、28歳の時「世界で最もストレスフルな仕事」と呼ばれる航空管制官に転職。
所轄の刑事時代に被疑者(犯人)や被害者から事件の状況を聞き、供述調書を書いていた経験から「聞いて、書く」ことが得意。


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