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これからのオタクの話をしよう

第1回 オタクの境界〜孤独と集団のジレンマ〜《これからのオタクの話をしよう》


記事:黒崎良英(READING LIFE公認ライター)
 
 

「オタク」「オタ」「ヲタ」
言い方はいくつかあるが、アニメやマンガやゲームのことが大好きな人々を、我々はその名で呼んでいる。そしてこの「オタク」の認知度と受容度は、平成という時代を通して高くなってきたように思える。それがゆえに、「オタクとは何か」「どこからがオタクなのか」等々オタクの定義が曖昧になっているのが、昨今の現状であろう。
 
そう、オタクは受容されるようになった。一般化された。
本当にそうなのか?
在来線を痛電——もとい、ラッピング電車が走り、コンビニエンスストアではアニメとのコラボキャンペーンが展開され、聖地巡礼が旅行の一環として楽しまれている。
80年代生まれのオタクの一人としては、「世間はオタクに優しくなった」と感慨を漏らさずにはいられない。
だが、本当にそうなのだろうか?
 
オタク側の熱狂とは裏腹に、その熱狂のコンテンツ(ざっくり言えばサブカルチャー)に興味がない人々にとって、この世界は未知の領域である。巷にはオタクコンテンツが溢れていて、その一端が姿を堂々と現しているのに、だ。
 
その上で聞こう、あなたはオタクであろうか?
こう問われて、「はい」と返事をする人の方が、割合からすれば少ないと思われる。
しかし冒頭で言ったように「アニメやゲームが大好きな人」=「オタク」であるならば、アニメ映画を好んで鑑賞する人は、皆オタクである。今をときめく新海誠監督の作品や、細田守監督の作品、そしてスタジオジブリ作品に夢中になったあなたは、「オタク」ということになる。
時間が空いた片手間に、ソシャゲ(ソーシャルネットワーキングゲーム:スマートフォンなどの端末で遊べるゲームの総称)に夢中になるあなたも「オタク」ということになる。
またアニメやゲームだけでなく、マンガも立派なオタクコンテンツである。そんなマンガを好んで読むあなたは「オタク」ではないのか?
 
世間ではオタクコンテンツが溢れ、多くの人々がそれを享受している。にも関わらず、上記の要素だけではオタクとは認められないし、本人も認めない。
何故か?
 
「だって大勢の“普通の”人が見ているから……」
 
そんな声が聞こえてきそうである。事実、新海誠監督の最新作『天気の子』は、公開から3ヶ月で1000万人以上の導入を果たしている。
なるほど。してみると、「大多数」であり「普通」である人々に受け入れられたオタクコンテンツは、もはやオタクのコンテンツではなくなっているらしい。
 
我々はここに、マジョリティー(多数派)とマイノリティ(少数派)のジレンマを見出すことができる。
 
オタクが受容される世の中、それは即ちオタクコンテンツが人口に膾炙した世の中である。当たり前のように存在する世の中である。
少数派は肩身が狭い。ならば知ってもらおう、受容されようとして、その勢力を広げようとする。オタクの世界で言うところの「布教活動」である。
 
だが何という皮肉であろうか。その活動が功を奏し、少数派から多数派になったとたん、その一派は死滅するのである。
オタクという少数派のコンテンツが世間に受け入れられ、様々な場面で見受けられるようになれば、それはオタクのコンテンツではない。
それは万人のコンテンツである。
「一般」と言える人々のコンテンツである。
世間はオタクに優しくなったというより、優しくできるコンテンツに昇華された、というべきだろう。
 
この事態はオタクにとって、必ずしも歓迎すべき状況とは言えない。
 
皆さんも経験はないだろうか?
あまり売れていないインディーズバンド、世間に広く知られていない作家、あまり人気のないスポーツ……知る人ぞ知ると思っていた、自分だけがその価値を知っていると思っていた、あのコンテンツ。それらが広く世の中に知られるところとなると、嬉しく思う反面、寂しさのような悔しさのような、わだかまりを感じたことはないだろうか?
感傷的な問題だけではない。いつも簡単に入手できたチケットが瞬く間に完売し、グッズはすぐに売り切れ、などといった物理的な問題も発生してしまう。
多数派への移行は、時として、また人によって、メリット以上のデメリットをも生んでしまう場合がある。
 
ゆえに、すべての少数派が多数派を目指すわけではない。オタクはこの傾向がさらに顕著に見られるように思う。
暗黙の了解、長年培ってきた知識、自分たちが平和でいられるルール等、それが侵されていくのだ。結果、排他的・保守的な雰囲気も作られることもある。多様性を掲げて、閉鎖的な自分たちの正当性を主張する場合もある。
もちろん、それらを悪と断じることはできない。人間、誰しも触れられたくない部分というものは持っているものである。
だがオタクコンテンツが一般に広がることによって、現在の地位、すなわち「オタクに優しくなった世間」を成立させたことも、忘れてはならない。
 
ということは、一般化されたオタクコンテンツが広がりを見せる中で、我々はオタクとそうでない人々を一体どこで分けているのであろうか?
断言はできない。しかし、誰しも必ず「オタク」という概念を持っている。うまく説明できなくても、こういうのがオタクでしょ? という感覚を持っているはずである。
 
最初の映画の例で言うならば、『天気の子』を見る人をオタクとは言わないが、『この素晴らしい世界に祝福を!』を見る人はオタクと言えるかもしれない。『バケモノの子』を見てもオタクとは呼ばないかもしれないが、『化物語』を見る人はオタクと呼べるかもしれない。『未来少年コナン』や『名探偵コナン』が好きでもオタクと思われないかもしれないが、『探偵オペラ ミルキィホームズ』が好きだと言うと、オタクと思われるかもしれない。
あくまで個人の見解であるが……
 
しかしこういった基準は人によって違うわけだし、つまりは、本当の意味でのオタクは想像の中にしかいないということになる。あなたのイメージにピッタリ合致したオタクを探すことはほぼ不可能なのだ。
オタクを含めたマイノリティは、この「想像」と言うものに振り回される宿命にある。違う言葉でいえば先入観とか既成概念とか、ステレオタイプといったものである。
 
その先入観をはらんだ概念上の「オタク」像に、私は一オタクとして光を当てようと試みる。暗闇からぼんやり浮かんでいるオタク像に、いくつかのスポットライトを当てようと企てている。
 
これは、オタクを定義しようというものではない。しかし、定義がないままそのものを語るということは、大変困難な所業である。ゆえに、まずは皆さんの中のオタク像を、ここでいう「オタク」に当てはめていただきたい。そして霞みがかったその像が、ゆくゆくはしっかりとした輪郭を持つことを期待する。
 
その上で、単刀直入に言うと、オタクと仲良くしていただきたい。オタクに手を差し伸べていただきたい。
逆に、オタクを自任する方々は、その手をぜひ取っていただきたいと思っている。
 
これは人によっては、「余計なお世話だ!」となるだろう。そんなことはいいからそっとしておいてくれ、という方々も大勢いることは重々承知している。ゆえに、そこに強制力はない。ただの一オタクの密かな「願望」であり、「妄想」であり、「綺麗事」である。そして「願望」とか「妄想」とか「綺麗事」を語らせたら、オタクより右に出るものはいない。ひょっとすると、世界平和という綺麗事を現実にするのも、オタクの力かもしれないと思えるほどに。
 
「平成とはどんな時代だったか」
元号が令和に変わる際、紋切り型のように特集されていた題材である。曰く、創造と破壊の時代、曰く、混沌の時代……オタクの観点から見れば、それは全てである。平成に生まれ、平成に育まれ、時に迫害され、時に持てはやされ、いわば「戦争と平和」を同時代に味わった、そんな時代である。
 
そんな時代にオタクは世界に受容された。ならば、オタクは決断をしなければならない。受容されるがままに多数派として行きていくのか、受容されながらも独自の道を歩むのか、それとも受容を拒むのか……それは、自分自身が何者か、何をしたいか、何を大事にするのか、そういった自己定義とほぼ同義である。
ゆえに、決断を、答えを急ぐ必要はない。いや、そもそも決断しないでもいいのかもしれない。時にこちらに流れ、時にあちらに流れる。そういった生き方を非難する権利は誰にもない。
 
令和の時代が始まり、我々は未来に向かうオタクを考えなければならない。ただし、先ほども言ったように必ずしも答えが出るとは限らない。したがって私が提供できるのは、ある種の視点である。答えや結論は、これを読む読者諸兄が各々導いてもらうしかない。もちろんたどり着かないかもしれないが、悲観することはない。何故なら、それもオタクの在り方だと思うからだ。
 
さあ、これからのオタクの話をしよう。
 
 
≪続く≫
 
 
 

今回のコンテンツ一覧
・『天気の子』(映画/監督:新海誠)
・『この素晴らしい世界に祝福を!』(T Vアニメ・映画・小説/原作:暁なつめ)
・『バケモノの子』(映画/監督:細田守)
・『化物語』(T Vアニメ・映画・小説/原作:西尾維新)
・『未来少年コナン』(T Vアニメ/監督:宮崎駿)
・『名探偵コナン』(漫画・TVアニメ・映画/原作:青山剛昌)
・『探偵オペラ ミルキィホームズ』
(ゲーム・TVアニメ・映画/原作:ブシロード、クロノギアクリエイティブ)

 

❏ライタープロフィール
黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨で、国語と情報を教えている。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

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