fbpx
メディアグランプリ

『愛している』が相手の心に届くまでに必要なものとは


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

 
 
記事:一ノ瀬 朔(ライティング・ゼミ平日コース)
 
『愛している』
 
その言葉に違和感を持ったのは、1回や2回の話ではなかったと思う。
 
ふとした瞬間に、恋人から伝えられた告白は、一見ロマンチックなように思えて、事実トキメキを感じたことは一度もなかった。
 
「愛している」と言われたことに対し「私もだよ」と返すことは、最早、苦痛と言っても過言ではなかった。
 
ちゃんと、相手のことを好きであるはずなのに、どうしてか「愛している」という言葉は交わしたくなかったのである。
 
もしも「愛している」と言われた場合は「カッコつけちゃって」とか「ドラマのワンシーンみたいだね」と、同意することを回避した。
 
「愛しているって言ってくれないの?」
 
「言ってくれと頼まれて言うものじゃないでしょ」
 
そんなやり取りを交わすことも、無きにしも非ず。
 
当時、まだ若かったから気恥ずかしくて言えなかったのか。いや、そう言うわけではない。
 
では、相手のことを好きでなかったのでは? と首を傾げるも、たしかにあの時は好きだったと認識している。
 
だとしたら、どうして私は「愛している」の言葉を避けたがっていたのだろうか。
 
思い返せば、私は一般的に喜ばれることをされても、あまり喜ぶタイプの人間ではなかった気がする。
 
たとえば、夜景の綺麗なレストランに連れて行ってもらったりとか、薔薇の花束をもらったりとか。
 
嬉しい3割、違和感7割。
 
抱く感情は、概ねその割合であった。
 
「ありがとう」と感謝を述べながらも、なんか違う気が……という違和感を拭えない。
 
だって、私は夜景を望めるレストランよりも星空を見上げる夜の散歩が好きだし、薔薇よりも向日葵の方が好みである。
 
ちょっと背伸びしたような喜ばせ方をされるよりも、身の丈や好みに似合ったものを贈られた方が嬉しいのだ。
 
恐らくは、“愛している”の言葉にも似たような違和感を抱いていたのかもしれない。
 
「愛している」
 
とざっくりと言われるよりは、「一緒にいると落ち着く」と言われる方が嬉しいし、その言葉が心からの言葉なのだなと疑問なく受け止めることができる。
 
それまで与えられた“愛している”には、もしかしたらちゃんとした愛情が込められていたかもしれないけれど、それ以上に、ちょっとした見栄や、これさえ言えば喜ぶに違いないだろうと言った安易な計算が目立っているように思えた。
 
相手のことを喜ばせたいから、という理由で“愛している”を使うことが間違っているとは思わないが、それでも、それが真の“愛している”であるかという点については、やはり疑問を抱かずにはいられない。
 
だとすれば、どのような“愛している”に対してだったら違和感を抱かずに済むのだろうか。
 
ある日、テレビでとある夫婦の人生を再現VTRにしてまとめた番組がやっていた。
 
お金がないのにギャンブルに溺れて借金をして帰ってくる夫と、家事と仕事に全ての時間を費やして、なんとかして家計を支え続けた妻。
 
妻が疲労で倒れたことをきっかけに、夫は自分に身勝手さを自覚して改心し、今でも夫婦で仲良く暮らしている、と言った内容だ。
 
取材班が献身的な奥さんに対して「別れようとは考えなかったんですか?」と質問すると、奥さんは可笑しそうに笑いながら「全く思わなかったです」と答えた。
 
「大変は大変でしたけど、私がどうにかしなきゃって気持ちでいっぱいで。そんなこと考える余裕もなかったんです」
 
微笑みながらに語られる夫婦の形は、当時の私には理解できなかったし、取材班の人も、頷きながらも納得にまで至っている様子はなかった。
 
「ご主人は、奥さんのことどう思われますか」
 
「感謝してもしきれねぇよ」
 
ぶっきら棒に答える旦那さん。過去の自分のダメっぷりや、苦労をかけた奥さんへの感謝を語り「奥さんのこと、愛しているんですね」と言われると、間を置くことなく
 
「愛してるよ。もちろん」
 
と、ちょっぴり照れ臭そうに吐き捨てる。
 
照れ臭さからそっぽを向いてしまった旦那さんに「ふふふふ」と笑った奥さんも続いて「私も愛してますよ」と伝え、その取材は幕を閉じた。
 
あぁ、この人たちは、『愛している』を自分のものにできている。
 
そう、直感した。
 
カッコつけた感じもなければ、こう言ったら相手が喜ぶだろうと言った計算も感じられない。
 
自分の中にある大切な感情を、剥き出しのままに相手へと送った言葉は、ただの視聴者でしかない私の胸も温かくしてくれる愛情に満ちていた。
 
きっと、この夫婦は、取材班に「愛しているんですね」と同意を求められなければ、お互いに「愛している」と言い合わなかったのではないかと思う。
 
それでも、お互いにちゃんと理解しているのだ。
 
言わなくても分かるだろ。言われなくても分かっている。
 
そんな無言のやり取りが、ちゃんと成立していたに違いない。
 
過去、私が“愛している”に対して抱いていた違和感は、ここにあったのかもしれない。
 
「何で愛しているって言ってくれないの?」
「言わなくてもわかるでしょ」
 
といったやり取りが交わされている時点では、二人の間にある「愛している」は成長過程の中にあるということ。
 
つまり「愛している」と言ったところで、張りぼての言葉に聞こえてしまう、と言うことだ。
 
“愛している”は、あえて言葉にする感情でもなければ、相手に強要する言葉でもない。
 
たとえば、見栄や計算とは無縁な、気遣いや贈り物の、感謝の言葉の繰り返しとか。
たとえば、お互いがお互いを当たり前のように必要とするようになるまでにかかる時間とか。
 
そう言ったものが“愛している”を育て、二人の間の常識へと育っていく。
 
言わずとも伝わる。言われずとも感じ取れる。
 
そんな関係が成り立っている中で、ふと語られる「愛している」こそ、本当の“愛している”のひとつの形なのだと。
 
 
 
 
***
 
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
 

★2/17(月)に第1講振替講座開催!【2020年2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜


 

天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら

天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階

天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5

【天狼院書店へのお問い合わせ】

【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


2020-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事