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4番センター 山本 背番号8

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記事:綾乃
 
「え、そうだったの?!」
そのニュースを聞き、私は叫んだ。
野球解説者の山本浩二氏が大病から復帰したという報道だ。
 
昨年はテレビ解説でほとんど見かけず、どうしたのかと心配していたが、まさか膀胱がんと肺がんで4度も手術を受けていたとは。
リハビリのかいもあり、現在は日常生活に支障がないほどまで回復をしたと言う。
 
webの写真では、かなり痩せていた。
20㎏も体重が落ちたそうだ。
痛々しい限りである……、ともちろん思うものの、ほっそりとして涼しげな姿は、昔に戻ったように見えた。
「やっぱり、コージさんはこうでなきゃ……」
 
カープを愛する広島県民にとって“山本浩二”は、いつまでも格好いいヒーローなのだ。
 
本塁打王4回、打点王3回、首位打者1回。通算2339安打で名球会入り。
現役時代の打撃成績を見ると、それだけで突出した選手であったことがわかる。
さらに、ダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を10回受賞し、走攻守そろったプレイヤーだった。
 
でも、彼の魅力はそれだけではない。
 
彼は、カープに強さを与え、ファンに勇気を与えてくれたのだ。
 
1950年の創設以来、ほぼ万年B クラスで最下位が定位置だった広島カープ。
弱小かつ貧乏球団は、何度も存亡の危機に立たされた。だが、急成長をしてきた山本浩二を中心とする赤ヘル打線の爆発で、1975年に初めてセ・リーグの覇者となる。
原爆が投下されてから、ちょうど30年のことである。
 
何もなくなった地で、すべてを一からつくりあげてゆかねばならなかった広島の人々は、終戦から5年後に誕生した球団に自分たちの姿を重ね、応援した。
そして悲願の初優勝である。
それをけん引したのが「赤ヘル軍団」の若き主砲、山本浩二だ。
彼はまさに復興の象徴だった。
 
優勝パレードに駆け付けた人々は、原爆で亡くなった家族の遺影を掲げて、選手たちに感謝を伝えたと言う。
優勝してくれてありがとう。
広島のまちに、希望をくれてありがとう。
そういう気持ちだったのだろう。
どん底だったまちを救った救世主に感謝せずにはいられなかったのだろう。
 
その後、カープは常勝球団として、1991年まで合計6度の優勝を重ねる。
その時々に、山本浩二の活躍があった。
 
「4番センター、山本。背番号8」
ウグイス嬢からアナウンスされるたびに、ファンはいつも熱狂した。
彼は文字通り、チームの、そしてファンの真ん中にいた。
 
レギュラーシーズンだけでなく、お祭り男だった彼は、オールスターゲームでも華々しく活躍した。
その一つに、本塁打記録がある。
オールスターでの通算14本塁打はプロ野球記録として、今でも一位に輝いている(かつて3試合開催されていた球宴が、日程の都合で最近は2試合しか行われず、記録をぬりかえにくい事情もあるのだが)。
 
そんなヒーローも、最近は少々笑いのネタになっていたのが、私としては悲しかった。
確かに、引退後に広島の監督を合計で10年やったが、優勝は1回のみで、Bクラスが7回と低迷した。
監督をつとめたWBCでも優勝を逃した。
指揮官としての実績は、ほとんどない。
 
そして体形はどんどん、ぽっちゃりしてくるし、懐かしの「珍プレー」では、センターフライをグローブでなくおでこで受けたシーンばかりを放送されて、権威失墜の危機にまで陥った。
さらに解説の仕事では、プレーを見入ってしまうことが多く、サッカーの松木氏ほどではないにしても、解説をしていないことがしばしば見受けられた。
 
しかし、だからと言って、彼のヒーロー性が失われるわけではない。
 
重松清氏の小説「赤ヘル1975」(講談社)では物語の中に、山本浩二、本人が登場する。
野球部に所属している準主役の少年が、一年生ながら実力でレギュラーになり、反感を持った先輩たちにしばかれて、チームがばらばらになるシーンがある。
そこで、山本浩二が彼らの練習試合にフラリと現れて、強いチームの条件とは、一つにまとまり軍団となることだと言い、先輩と後輩の間にあった溝を埋める。
  
「え、そんなんで、チームがまとまるの?」と思われるかもしれないが、それが山本浩二であるなら、往年の広島ファンは、すべて納得できる。
これぞ、ヒーローの成せる技であると、膝を打ちまくるだろう。
重松氏もそれをもちろん理解していて、この重要な役どころを、やはり山本浩二にやらせたのだ。
 
オールスターでも、こんなことがあった。
1980年代の球宴は、とにかく派手で、ハーフタイムには出場選手たちが仮装やら寸劇をして、客をわかせた。
 
ある年、広島の選手たちが昔話の「桃太郎」を演じたことがあった。
山本浩二が桃太郎の扮装をして、猿などの着ぐるみを着た他のメンバーたちとともに、グランドを練り歩いた。
その時の彼の、若武者姿の凛々しかったことと言ったらない。堂々としていて、実にさまになっていた。
「金満の強い球団」という鬼たちに立ち向かってゆくように私には見えた。
 
どうでもいいことだが、その出し物で、なぜか犬だけは本物だった。
そしてその犬が、聖なるグラウンドで、あろうことか大便をしてしまったのも、忘れがたいことである。
 
鬼たちに立ち向かってゆく山本浩二は、相手のことをよく観察していた。
試合で攻撃の時、次の打者が番を待つネクストバッターズ・サークルで、よく彼はじっと相手投手のことを見つめていた。普通は、相手投手の投球に合わせて素振りをする選手が多い場面で、彼は片膝を立て、バットのヘッドを地面につけ、グリップエンドを手で抑えながら、見ていた。
侍のように凛として、貴公子のように品があるその独特のポーズに、ファンは誰しも心酔した。
 
そんなことを、大病から復帰したニュースを聞き、懐かしく思い出した。
 
4度の手術のほか、胆石除去や気管支系など、合わせて7回も手術を行ったそうだ。
1年近くになる闘病生活とリハビリは、強靭な肉体と精神がないと乗り越えられないものだろう。
 
報道陣に対して彼は、またいつでも解説の仕事に戻ると告げたそうだ。
ヒーローの回復は、またもや我々に勇気を与えた。
 
4番、センター山本。彼はいつでも広島ファンの真ん中にいる男である。
 
 
 
 
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2020-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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