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メディアグランプリ

不器用な父の片思い


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:大和田絵美(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
私が生まれた時、父はアフリカにいた。
医師として、アフリカの貧しい子ども達にポリオの予防接種をするという、あるプロジェクトに参加していたからだ。
父は私が生まれたことを、遠い大地で数日後に知った。
 
そんな始まりだった、私と父。
長い間、私にとって父親は遠い人だった。
普通に一緒に暮らしていたし、嫌いでもなかった。
でも、遠い人だった。
まるで、ホームドラマに出てくる父親のように、存在はしているし、声も聞こえる。
動いている姿も当然見ることが出来る。
でも、テレビのようにただ見ているだけのような、私の声や思いはまるで届いていないような、人肌が感じられない、そんな存在だった。
 
3歳の頃、4歳年上の兄の真似をして、日記を書いた。
小学校の先生に提出して、返事をもらう兄がうらやましくて、私は父に日記を見てもらうことにした。
父は仕事人間で、私が起きている時間に会えることはほとんどなかったので、人生で初めて日記を書いた日、私は嬉々として、日記帳を父の書斎に置いた。
そして返事が来るのを楽しみに眠りについた。
翌朝、私の期待通り、父のコメントがついたノートが食卓に返ってきていた。
ドキドキしながらノートを開くと、そこには確かに父の返事が……
 
「ぬ」が逆です。
「あたし」ではなく、「わたし」です。
……以上。
 
間違ったことは言わないが感情のないAIのような返事だった。
その返事は子どもながらにとても衝撃的で、「お父さんは私に興味がないのかな」と思ったことを、今でもはっきりと覚えている。
 
10歳の時、兄が病気になって、同じタイミングで父が単身赴任になった。
何にも説明してもらえなかった私は、父が家族を捨てたと思い込み、離れたところで暮らす父に初めて手紙を書いた。
母は兄の世話に手いっぱいで、寂しさが募っていたので、その手紙に、「助けて欲しい。もう死にたい」と書いた。
言ってはいけないことだと分かっていたが、私の辛い気持ちに何とか気付いて欲しかった。
数日後、待ちに待った父から届いた返事には、「あなたが死んでしまったら、叔母さんが悲しむからやめて欲しい」と書かれていた。
父に止めてもらいたかった。
父や母が悲しむから死ぬなと言ってほしかった。
命を粗末にするなと怒られてもよかった。
叔母が悲しむからという理由で、自殺を止められるという訳のわからなさ。
日本語で書いた手紙にタガログ語で返事が返ってきたような衝撃だった。
このことが決定的なきっかけになり、「こんな父とはまともな親子関係を築くことは出来ない」と私は小学生の段階で早々に諦めた。
 
でも、それから十数年が経ち大人になるにつれ、父のことが何となく分かるようになってきた。
父は不器用でとてもシャイなのではないかと。
私のことをどう思っているのかは一度も聞いたことがないけれど、一緒にカラオケに行った時に当時流行っていたモーニング娘の「ハッピーサマーウェディング」を冗談で歌ったら、父は泣いた。
その時だけではなく、娘が嫁に行くというシチュエーションのドラマや本などでも泣いていた。
そんな姿を見ていると、本当は私や家族のことが大切なのに、それをストレートに伝える術を父は持っていないのではないかと思うようになったのだ。
 
父のことが分かったと思ったところで、父とはいまだに満足に話すことが出来ないので、大人になってからも何かあると手紙を書くようにしていた。
返事は相変わらず見当違いだったりするのだが、それは想定内なので、もう私は傷ついたりしない。
その代わり、父は必ず私のことを「貴女」と書くことに気が付いた。
私の名前ではなく、「貴女」と。
大切だとか、好きだとか言われたことはないけれど、「貴女」という字から確かに父の愛情を感じるようになった。
 
そんなシャイで不器用な父と母はどのように愛情を育んでいるのか、子どもから見たら謎でしかなかったが、私の両親は安泰とは言えなくても、大きな危機もない夫婦関係だったと思う。
日々家にいない父の文句を言うこともなく、母は父親役もこなし、お給料日には父がいなくても、「家族のために働いている父に感謝をしよう」と教える母だった。
母はいつも家に1人だったけど、母親としても妻としても一生懸命で、良妻賢母を絵に描いたような人だった。
 
しかし、そんな母も私達子どもの自立と父の現役引退をきっかけに変わっていった。
母親業と妻業から解放された母は、趣味を見つけ、自分の時間を楽しむようになった。
 
そして今度は父が1人、家に取り残されることになってしまった。
 
そんな父は、今、母に絶賛片思い中なのである。
隣でご飯を食べている母が、不意にむせた時、そっと背中を撫でる。
旅行中に急な坂道があった時、右手を差し伸べる。
テレビを見ながら、さかんに母に話しかける。
空いている日は、母をすかさずデートに誘う。
しかし、母の反応は反抗期の娘が父親を拒絶する時のように辛辣だ。
背中に触れられれば、「触らないで!」と叫び、差し伸べられた右手は無視。
話しかけられても、たいていは聞こえないふり。
デートの誘いも無碍に速攻でお断り。
二人暮らしなのに、父とのタオルは分け、洗濯物も一緒には洗わない。
「関係ないでしょ!」「私に構わないで!」という言葉は日常茶飯事。
でも、ちゃんと愛されていることをしっかり分かっている。
やっぱり反抗期の娘のようだと思う。
 
そんな母との関係を、中学生同士の恋愛のようにめげずに楽しむ父。
お母さんの誕生日に、何をあげたらいいかな。
お母さんの好きな食べ物は何だっけ。
お母さんが怒っているんだけど、どうしたらいいかな。
私はさながら、父の親友や姉のように相談にのっている。
父と母は人生の終盤にさしかかった今、2人で体験型恋愛育成ゲームをやっているような感じがする。
 
いつか、母から父に宛てた恋文が届く日が来るだろうか。
母が父に優しい言葉を語る日はあるだろうか。
父が差し伸べた手を母がとり、一緒に並んで歩くような時間は過ごせるだろうか。
父と母の数十年ぶりのデートは実現するだろうか。
 
想いはあるが、不器用な父は、相変わらず母に優しい言葉をかけてあげることは出来ていない。
父の片思いは、叶う日が来ないかもしれないなと思いつつ、私は父の恋が再び成就する日を祈って、密かに応援している。
 
 
 
 
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2020-03-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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