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桜を見ると……

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:住山鈴香(ライティング・ゼミ通信限定コース)
 
 
満開の桜の季節。桜を見ると思い出すことがある。
不妊治療をしていた4年間のことだ。
なぜ、桜かというと、不妊治療のために通っていた鍼灸院が桜の名所の近くだった。この季節は、施術の後、毎回、川沿いを散歩してから帰っていたからだ。
まだ肌寒い春先の桜並木の散歩は、桜の美しさに心が癒され、華やぐのと同時に、桜の下で遊んでいる小さい子供を連れたママたちを見るたびに、なぜ私には……。と自然と涙が滲んでくることも度々あった。
私にとって桜は、そんな複雑な気持ちが交差した4年間の象徴のようになっているのだ。
 
私が不妊治療を決意したのは、40歳直前の39歳の時。すでに不妊治療するにも厳しい年齢だ。きっかけは、毎年の定期検診でかなり大きめも子宮筋腫が見つかったことだった。その前年まで、まったく検診では何も言われたことがなかったので、かなりの衝撃だった。そして、女医の先生に「子供は?いないの?産まないんだったらとったほうがいいかもね。」とサラッと言われてしまった。頭が真っ白になったのを今でも覚えている。
 
39歳まで、子供について考えてこなかったわけではない。28歳で結婚し、この時はすでに結婚11年目。大学の同級生と結婚したので、夫とは友達のような自他共に認める仲良し夫婦だ。仕事もずっと続けており、仕事に夢中というわけではなかったが、やりがいもあり、幸い会社では順調に必要とされるポジションにはなっていた。周りから見れば、そんな私はなんの不満もないように見えていただろう。しかし、子供のことにはずっと悩んでいた。
 
結婚して9ヶ月目に妊娠はした。ただ、すぐに流産してしまったのだ。何かが悪かったわけではなく、誰にでもよく起こりえる妊娠初期の流産だった。しかし、この流産をきっかけに、夫と子供のことを言うのがタブーになってしまった。流産処置に付き添ってくれた夫が、処置後、麻酔から覚める前の私が、うわ言で痛がっている姿に、こんな大変な痛い思いをさせてしまったと心に恐怖を覚えてしまったからだ。夫にとって、「子供を作る=私にまた痛い思いをさせる」という構図ができてしまったため、それ以来、子供を作ろうという話を私がしようとしても、はぐらかされるようになり、そうすると、私も夫を傷つけると思い、自分も子供は欲しいという気持ちを言わないようになり、さらに、それが続くと、言わないだけでなく、その気持ちさえも押さえ込むことになってしまったのだ。
 
ちょうど20代後半から30代半ばの頃、周りの友達や職場の同僚にも次々と、子供が生まれ、そのうち、職場では後輩にも普通に子供ができるようになると、誰かの妊娠報告を聞いてはブルーになったり、お腹の大きい人を見るだけで辛かったり、子供の写真の年賀状が妙に憎らしかったり、なぜ私だけ……、と不妊女性特有の不妊様と呼ばれる状態も経験した。そんな妬みだらけの自分が嫌になったり、でも、人前では笑顔で「おめでとう」と言っている自分が惨めだったり、かなり辛い時期だった。よく、お風呂場でシャーワーを出したまま声が聞こえないように大声で泣いたものだ。
 
そして、結婚11年目にしての子宮筋腫。それまでも、何度かは、夫に子供が欲しいという胸のうちを打ち明けたことはあったが、気持ちを受け止めてはくれるものの、なんとなくお互い不妊治療ということに踏み出せないままでいたのだ。夫は不妊治療についての知識もなかっただろうし、不妊治療をしてまでとは考えていなかったのだろう。
しかし、この筋腫で後がなくなった。年齢的にも筋腫のことも、今始めないと子供を授かるということはもう無理なのだ。
それを機に、夫婦で今まで向き合えなかったことに向き合うことになった。そしてたくさん話した。夫は夫なりに私が辛い気持ちなのに気づいていたのを初めて知った。でも、どうしてあげたら良いのかが分からなかったようだ。向き合って初めて、お互い想いあっていたのだということにたくさん気付かされた。ただ、どちらもどうして良いか分からなかったから、お互いに言葉にできていなかっただけだった。
 
その後、40歳目前ではあったが、夫婦で専門医に説明を聞きに行き、最近は40歳前後で治療をしている方も非常に多いことも知り、治療を始めた。幸い、夫婦共に、数値的な異常はなかった。人工授精から体外受精にステップアップし、毎回、期待はしても着床せず生理がきてしまうことで、精神的面での気持ちの落ち込みがキツかった。そんな4年間、ちゃんと夫は気持ちを理解し支えてくれたし、一緒に頑張ってくれた。
 
治療は43歳までと決めていたので、43歳の誕生日を迎えた直後の体外受精を最後に不妊治療はやめた。4年間治療はしたものの私たち夫婦には子供は授からなかった。
 
しかし、夫婦2人で決めた選択に後悔はない。今でも、もし子供がいたらと思うことはあるが、それは昔のような妬みではなく、こういうこともできたかもという楽しい妄想だ。
 
桜を見ると思いだすあの頃の気持ち。冬には枯れ枝のような桜は、春には美しい満開の花を咲かせる。私にとって長い冬だったが、新しい春を迎え、今は満開だ。春が終わると散る桜のように人生も散ったり、咲いたり。今はコロナで例年とは異なる春だが、そんなことは関係なく桜はちゃんと今年も美しい姿だ。もし今、現状が辛く、しんどい人も、きっと必ず美しく咲く。それを忘れずにいよう。
 
 
 
 
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2020-04-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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