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メディアグランプリ

街の海釣り


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:わかたける (ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
かれこれ十数年前、当時住んでいたマンションの隣人が警察沙汰になった。
 
僕は、大阪城公園のカフェで、今年の紅葉を眺めている。落葉していく銀杏は、冬に向かう風にのり、終わることのない万華鏡のように優美な舞いを見せる。紅葉の美しさは落葉に向かっていく滅びの美しさ、人生を閉じようとする者の美学だ。鮮やかな雪のように降りしきる落葉をみると、僕は当時のことを思い出す。
 
僕たちは新婚だった。新居に選んだのは十階建てマンションの最上階だ。
そこである日、外の一般道に向けて、マンションの廊下の手摺りに、釣竿がかけられているのを見た。大物を狙えそうな、海釣り竿のリールには頑丈な太めの糸がついていて、地上まで垂れている。ここは大阪市北区。都市のど真ん中にある。いったい何を釣ろうとしているのだろうか。釣竿は数日かけられたままだった。昔、中国の仙人、太公望が針を付けずに、釣りをした話を読んだことがあるが、まさにそれが再現された格好であった。
ある日、片付けられた竿は、また数日すると、何かを釣り始める。
お爺さんの釣りは幾度となく繰り返された。
 
お爺さんと話すようになったのは、引っ越しして間もなくのことだ。嫁が作った豚の角煮をお裾分けで持って行ったのがきっかけだった。
「おおっ。ありがとうなー」はじめて見たときのお爺さんは、細身に白い半袖の下着と、白いもも引きを履いていた。頬も痩せていて、全身の毛をむしり取られた鳥の様に見えた。
頭の毛も鳥のようにむしり取られている。
どうやら一人暮らしのようだ。
「ちょっと待ってやー。ちょっと待って」豚の角煮のお返しに、何かを渡そうと部屋に戻っていく。その声は鳥の様に甲高く、若いころは快活な人だったろうと想像させた。
実際、お爺さんは快活で親切な人だった。僕が駐輪場で自転車のカギを取り忘れていると、わざわざ取って、持って来てくれた事も度々ある。僕たちが旅行で四五日、家を留守にしていると、病気じゃないかと心配して、何度も訪ねていたこともあるらしい。
「これしかないわ」と言ってビールを持って来てくれた。確かにお酒が好きなようで、玄関外の脇には、いつも空のビールケースが積まれているのを僕たちは見ていた。「有難うございます。また何か作ったら、持ってきますね」「ありがとう、ありがとう、そんな気を遣わんでもええで」お爺さんは笑いながら、何度も同じ話を繰り返した。
 
お爺さんが、釣りを始めた頃から、管理組合である話が持ち上がっていた。
誰かが、管理費を滞納しているらしいと。
その金額はかなりのもので、長期間滞納していると、ひとつ下の階に住んでいる男が話してきた。その男は、以前から嫌味な感じで、言っていることは正論なのだが、いつも不快な感情を与えてくる、ドラえもんのスネ男のようなおやじだった。猿みたいな顔に、汚れたレンズの眼鏡をいつもつけている。自分が正論の立ち位置に立った場合には、相手を見下すように、理詰めで攻めてくるタイプだ。
 
秋の終わりが近づくと、お爺さんにも少し変化が現れた。釣りには飽きたらしく、この頃にはまったく竿を出さなくなった。そのかわり、玄関のドアノブに手錠をぶら下げだした。表札の代わりに、大きな立て看板の様な板で刑務所と書いた。いつしか頭上には、監視カメラも設置している。
その頃には、怒声も聞こえるようになる。甲高い声は、すぐにお爺さんと識別できた。「いったい誰と揉めているのだろう」相手の声は、野太く聞き覚えがない。「たぶん、息子じゃないかなぁ」僕たちはよく話し合った。「どんな家にも、いろいろあるよ」そう言いながら僕たちは心配していた。
ただ、お爺さんは僕たちには優しかった。いつも笑っている。年寄によくある、話の堂々巡りはあったが、お爺さんが楽しそうなので、僕らはいつも、笑って終わるのを待った。
はじめて会った時から、お爺さんだったが、いまは腰も曲がり、ほんとに毛のむしられた鳥が歩いているよう見える。その姿は、酒しか寄添うものがない、孤独な老人そのものだった。
 
「なめるなよ、コラー」
「あんたが悪いでしょう」
「お前に関係ないやろ、やってもたろうか」
「管理費ぐらい払うのは当たりまえでしょ」
「殺したろうか」
今までにないくらいの怒声が、マンション内に響く。しかし声の相手はいつもと違う。あのスネ男の声だ。猿と鳥の甲高い声が十分ぐらい続いた。僕たちは知らなかったのだが、お爺さんとスネ男は、これまでもよく揉めていたらしい。だがその夜は、それでは収まらなかった。お爺さんが、包丁を手にスネ男の玄関まで詰め寄ったそうだ。
誰かが通報したらしく、ほどなく警察が来た。それでも、お爺さんは興奮したままだった。管理費のことで馬鹿にされたのが余程、悔しかったのだろう。
 
その年の瀬ごろ、弁護士がお爺さんの部屋を訪ねているのを、偶然見た。
「追い出されるな」僕は直感した。
聞くところによると四十年以上住んでいるという。先立たれた奥様と、子供を育てた思い出のあるこの街から、見知らぬ街へと追放されるのだが、もうお爺さんの味方は、誰もいない気配が、マンション内に満ちていた。
 
翌年にスーパーで、僕たちはお爺さんを何度か見かけた。
「あれ、お爺さんおるで」「遠くに行ったんじゃなかった?」
「なんでやろう。おかしいな」
「やっぱり、寂しいからここまで来たんじゃないかな?」
年末、お爺さんは、マンションを売り払い、そのお金で管理費を払って、どこか紹介された遠い場所へ引っ越したと、スネ男から聞かされていた。勝ち誇った様なスネ男のニヤついた口元から、黄色い歯が見えていた。
「お前も将来、そうなるぞ」僕は言葉を胸にしまい、汚れた眼鏡のレンズを見つめて気をそらした。
 
お爺さんは、僕たちには最後まで良いひとのままだった。
もし、老後の孤独や痴呆が彼を変えたのなら、悪人とは言ってはならないだろう。もし、そこに、動かぬ身体と貧困が加わったなら、攻める対象になるだろうか。
 
あの時、スーパーで見かけた姿が最後になった。
もう何年も経っている。もしかすると、お爺さんはもう死んでいるかも知れない。僕たちは、時々そんな会話をする。
スネ男と揉めていたあの秋に、お爺さんはどんな紅葉を見たのだろう。どんな人生だったと振り返っていたのだろうか。
僕たちには、豚の角煮をさし上げて、喜んでくれたお爺さんの顔が見えてくる。
 
 
 
 
***

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2020-12-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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