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プロフェッショナル・ゼミ

つらかった子ども時代から、抜け出すアイデアの一つについて《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:相澤綾子(プロフェッショナル・ゼミ)

 いつ頃からだったかもう思い出せない。学校からの帰り道は憂鬱な記憶しかない。
 家に帰れば、厳しい母親がいる。今日は何のことで怒られるのだろう。失くしものをしたとか、服を習字の墨で汚した日はさらにつらい。どんな風にそれを告げるべきか考えながら、自分の足元を見つめて歩いていた。
怒る時、母は、いつもまっすぐに私を睨む。まばたきはしていただろうけど、長い時間私の目を捉えて離さなかった。苦しくなって目を逸らすとさらに怒られることが分かっていたので、私は母親の背後にある電灯に少し焦点をずらしながら、何と答えれば、一番怒りが少なくて済むだろうかと必死で考えていた。反省することなど稀だった。最初は自分が悪かったと思っても、長く怒られるうちに、ここまで怒られるべきことなのだろうか、という気持ちが沸き上がってくる。最後にはいつも、とにかくこの行き詰るような時間が早く過ぎればいい、としか考えられなかった。
 さすがに大きくなってからは、そういう失敗はしなくなった。けれども、母の私に対する基本的な態度は変わらなかった。進路を選ぶ時、就職の時、母は私に対していろいろと意見をしてきた。私はただ自分の考えで選んだつもりだったけれど、母は「いつもママの言うことに従わない」と言った。
 結婚の時もそうだった。あることないこと夫の欠点を挙げ、ろくでもない男だ、と言った。最後には、私自身について、「器量が悪いからやっと見つけた男にしがみついている、男にうつつを抜かしている、男狂い」と批判した。汚いもののように私を睨みつけた。
 私は黙って話を聞きつつ、でも決して、「別れる」とは言わなかった。確かに私は母の言うとおり、しがみついていたかもしれない。今の夫のことが大好きで別れることなど考えられなかったし、この恋が終わったら次の相手をいつか見つけられる自信など全くなかった。
繰り返しその話を持ち出してきたが、私は折れなかった。最後には、
「ママを捨てるの?」
と母親が泣き叫んだ。結局は子どもが離れていくのが許せなかったのだ。勝手に結婚しても良かったのかもしれないけれど、母を捨てたかったわけではない。式にも出て欲しかったし、その後も親子の関係を続けたいと思っていた。夫は、私が母とのやりとりを逐一報告しても、面倒がらずに理解してくれた。そして両方の家族だけの式を挙げ、無事結婚することができた。

 変わった母親だし、随分と苦労させられたと思っていたけれど、単なる過干渉くらいにしか考えていなかった。

 それが深刻なことと気付いたのは、自分の子どもを産んでからだった。
 自分の子を育ててみると、母親のありがたみが分かる、とよく聞く。でも私の場合は違った。何かのきっかけで、どんな風に自分が怒られたかを思い出して、涙が止まらなくなることさえあった。

 例えば、子どもがテーブルの上のものが気になって手を伸ばし、食器を落としてしまう。食器のかけらが飛び散り、中に入っていたスープが床に破片と混ざって広がる。すぐに、ああ、こんなテーブルの端に置いておかなければよかった、と思う。でもそのすぐ後で、自分が小さかった頃に、同じような状況でどんな風に怒られたかが、蘇ってくる。慌ただしい夕方に、割れた食器の片付けという作業が入ってくるのは面倒だし、イライラするものだ。小さかった頃といっても、今目の前にいる私の子どもよりも、もっと大きくなってからのことだったかもしれない。そんな風に取ろうとすれば食器が割れると予想がつくのが当たり前の年齢になっていたかもしれない。
 でもとにかく私は、その蘇った記憶で頭がいっぱいになる。震えながら飛び散った食器のかけらを拾い、破片の混じったスープをぞうきんでかき集めて捨てる。床を拭き直し、遠くに飛び散っていないだろうかと掃除機をかけ始める間も、涙が止まらない。

やがて私は、スーザン・フォワードの「毒になる親、一生苦しむ子供」にたどり着いた。私の家を訪ねてきた母が、本棚の隅に隠しておいたのを目ざとく見つけた。
「ママのことを、毒になる親だって言いたいわけ?」
と問い詰めてきた。ぞっとした。でもすぐに、
「まさか。親になったら読んでおくべき本として薦められていたからね」
と私は答えた。母が「嘘をつかれるのが一番嫌い」と言っていたからこそ、母に対してだけは、身を守るための小さな嘘がすらすら出るようになっていた。
 母の場合、毒親といっても、本格的な身体的虐待やネグレクト、性的虐待ではない。母はおそらく「過剰に口出しする親」に該当している。さらに、母親の前では黙っているのに、後で何かとフォローしてくれる父親は優しい味方だと思っていたけれど、毒親の配偶者のほとんどがそうであるように、「共犯者としての親」に該当することが判明し、より傷ついた。スーザン・フォワードは、親と対峙すべきだと言った。でも私にはできない。私自身がそれを望んでいない気がしたからだ。

 対峙するのはやめようと決意し、とりあえず気持ちは落ち着いた。できるだけ穏やかな関係になるよう気を付ける生活を選び、7年ほどが経った。
そんな中で私は、ある本の存在を知った。一見矛盾するようなタイトルに心惹かれた。運よく、その本の教えに基づいた子育てをテーマに地元の子育て支援団体が勉強会を開催することを知った。私はそれに参加し、衝撃を受けた。こんな風に私も育ててもらえたら良かったのに、と思えることばかりだった。
 一番いいなと思ったのは、子どもに対して対等に接するということだった。母は今でさえ、私が何もできない人間だと思い込んでいる。料理をしている様子を後ろから眺めて、ままごとをしているみたい、と言ったこともあった。私自身の子育てについても介入してくる。何か気に入らないことがあると、言うことを聞かないならサポートしないし、縁を切ると言い出す。自分が優位に立っていないと落ち着かないように見えた。
 私は、そうはなりたくない。子どもたちに対等な目線で接していきたいと考えた。

 勉強会のあと、私はその本を手に入れた。立ち止まって考えなければならないことが多くて、読むのにとても時間がかかった。その中では、「親との関係」についても、取り上げられていた。正直なところ、私は子どもとの関係をよくしたいがために手に取ったのだけれど、実際は、自分と親との関係についてばかり考えながら読むことになった。
 今までの自分が「かわいそうなわたし」、「悪いあの人」ということしか見ていなかったことを理解した。母親を毒親であると思いたくて、ひどく怒られたことや、結婚を反対されたことなど、そんなエピソードばかり集めて心に刻み込んでいるのだ。
 どんなにそんな思い出ばかりだったとしても、私は今こうして元気に大人になって、ここにいる。貧しい中でもかわいい服を着せようと洋服を手作りしてくれた。勉強もよく見てくれた。いつもおいしいものを作ってくれたので、母が実は料理嫌いであることなど考えたことなどもなかった。
 私がずっと立っていた場所からは、三日月のように見えていたが、場所が変わったらもっと明るかったのだ。それは全く違うように見えるけれど、月という同じものなのだ。雲に隠れて見えないこともあるし、満月であっても、自分自身の陰で欠けていくことさえある。自分がどう見るかで、こんなにも変わってしまうのだ。

 母はやっぱりどこか変わっているとは思う。でも、だからといって、母と私の関係が良くないのは、母だけが原因ではない。親だから、優位に立っているのだから、親が改めるべきだと考えていた。でもそんな風に考えていても、いつまで経っても状況は不安定なままだ。まず私が変わらなければいけない。

 昨年末のことだった。母は、朝電話をかけてきて、翌日私の祖母の見舞いに行くのに、次男を連れていきたいと言った。次男は保育所をよく休みたがるので、「明日は保育所をお休みして、じいじとばあばと一緒に、ひいおばあちゃんのところに行くよ」と言うと喜んだ。ところが、夕方もう一度その話をすると、その日一日保育所でとても楽しく過ごせたからなのか、行きたくないと言い出した。
「そんなこと言わずに、ひいおばあちゃんが会いたがってるよ」と言いくるめようとした。明日になればまた「やっぱり保育所お休みしたい」と言い出すかもしれないのに、と思った。でも冷静に考えれば、いつもは保育所に行かせようとしているのに、こちらの都合で休ませようとするのは身勝手なことだと反省した。せっかく保育所に行きたいと前向きになっているのに、そんなことを言ってはいけない。

 母に断るのがとても憂鬱だった。小さなことでも、自分の思い通りにならないとそれがきっかけでしばらく機嫌が悪くなることがあったからだった。ここ半年くらい穏やかな状況が続いていたのでそれを保ちたかった。私はどんな風に話を持っていくか、しばらく考えてから、電話をかけた。
「あの子もいつも休みたがっているから、すごくありがたい提案だったし、今朝は喜んでいたんだけれど……でも今日は保育所が楽しかったみたいで、明日も保育所に行きたいと言うし、もうすぐクリスマス会で練習もあるから、行かせようと思うんだけれど」
そう説明すると、母はあっさり、「それならそれでいいよ」と答えた。
私は拍子抜けした。

そして、あることに思い至った。今までの私は、母親の勝手な思い付きにより、断るという嫌な状況に置かれてしまったことが不愉快で、苛立たしさを出してしまっていたかもしれない。私の方こそ、敬意を持って接していなかったかもしれない。つまり、母のことを、子どもに対して権威を振りかざすダメな親で、あんな親にはなりたくないと見下していたのだ。大人になってからだけではない。嘘が嫌いという母親に対して、自分の身を守るために平気で嘘をつくようになっていた。もっと前から、怒られながら、これはそこまで怒るべきことだろうか、と考えていた。そしてその気持ちが、私の声に、表情に表れていたのだ。

 この成功と小さな気づきが、私を勇気づけてくれた。

 もちろんその後も、母は、私に対して対等に接してくるわけではない。
でもだからといって、私を支配したいと思っているわけではないのだ。いや、そういう節があるとはまだ思うけれど、自覚しているわけではないだろう。子どもの頃は私をちゃんとした大人に育てようと一生懸命育ててきてくれたし、夫が忙しくて平日ワンオペな私を、サポートしようという気持ちがあることは間違いないのだ。
 私は、これまで母が私にしてきてくれたことと、同じことを子どもたちに対してできるだろうか。私には無理だ。フルタイム勤務だけれど、時短にして、子ども達と過ごす時間を増やすという選択もできる。でもそれをしないのは、自分の時間の方を優先したいからだ。さらに自分が子育てし終わったのに、さらに孫の世話まで引き受けようとしてくれている。私はそこまでできるだろうか。もちろん自分を犠牲にしてまでしたからこそ、イライラしていたのではないかと思うから、私は同じようにしようとは思わない。良かったかどうかは別として、私は子どものためにそこまでできるだろうか。
 立つ場所を変えてみて、母の月が明るかったことに、ようやく気付くことができた。

 「かわいそうな私」、「悪いあの人」をだけを見ていても仕方がない。大切なのは、「これからどうするか」なのだ。そして私はその一歩を踏み出せたような気がする。

 私が心から改めたときに、母がどんな風に反応するかは、母の課題だ。ただ私は、もう母に対して敬意を持って接することができる気がする。まず行動を起こすのは、私だ。日々、母との関係を大切に考え、真摯に接していきたい。
 そして、子どもたちにも敬意を持って、勇気づけしていきたい。

岸見 一郎、 古賀 史健「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」

参考文献:スーザン・フォワード「毒になる親、一生苦しむ子供」

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