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メディアグランプリ

優しすぎる世の中の、電車における小さな苦悩


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:原田沙織(ライティングゼミ・日曜コース)
 
 
最近の若者、いや人々はなんて優しいんだろう。
電車に乗っているとそう感じる。
 
私の目線の先には優先席。最近は優先席でなくても繰り広げられる光景。
席の譲り合いである。
 
森絵都の短編、「最後は臼が笑う」にもその情景が描かれている。
自分より年上の人や妊婦さん、子ども連れを見ると、席を譲るという情景。
丁寧にお辞儀をしながら、立っている人と腰掛けている人が交代する。
譲られた人、譲った人、どちらも穏やかな表情を浮かべている。
みんなが幸せな、優しい世界。
 
電車で困っている人には席を譲る。それが「常識」となったのはいつからだろうか。
はっきりとは覚えていないが、少なくとも私の学生時代にはそんな常識はなかったように思う。電車のドアが開くとともに、ホームに整列していた人々の椅子取りゲームは始まる。勝った人はふんぞり返り、負けた人は背中を丸めてつり革をつかみ、次の駅での第二戦に備える。
 
椅子取りゲームがとても苦手だった私は、いつも背中を丸めながらため息をついていたものだ。あまりに勝てないため、とうとう大阪駅から姫路駅までの1時間30分の道のりを、つり革をつかみ立ったまま眠るという特技まで覚えた。
それが今では、毎日誰かが誰かと席を交代している光景を目にする。
世の中は良い方向に向かっているらしい。
 
世の中が優しくなりはじめると、ひとつの苦悩が出てくる。
そう、「誰に席を譲るか」という問題だ。
 
先日のことだ。自宅に帰ると、母が鼻息あらく私を待ち受けていた。
私がドアを閉めるのを見届けた瞬間に、彼女は口を開いた。
「今日、初体験をしたの。電車で席を譲られちゃった」
詳細をまとめると、どうやらこんな話らしかった。
 
56歳になる母は、まだまだ自分が若いと思っている。もちろん口では、「お母さん、もう年だから労わってよ」などと言ってはいるが、女としてのプライドを捨てていないのを私は知っている。せっせと毎月白髪染めをし、日々のスキンケアを怠らない彼女は確かに同年代の女性よりも若く見える。
 
そんな彼女が電車に乗り込んだ。人はまばらではあるものの、空席はなし。彼女は当たり前のようにつり革をつかんだ。
 
その時である。
 
彼女の目の前にいた若者がおもむろに腰をあげた。20代前半、金髪頭をワックスで固めた、いかにも最近の人らしい若者だった。
何も言わずに立ち上がった若者。目線だけが母を見る。母は自分が席を譲られたという現実を理解できず、きょろきょろ周りを見渡し、最後にもう一度若者を見る。若者は母をちらりと見ながらあごを少し上に上げる。
 
お礼を言って母は椅子に腰掛けた。若者は、何も言わずにただ薄い唇を、軽く上にあげてふっと笑った。
「あの笑い方がなんとも言えなくてねえ。でもまさか自分が席を譲られる世代になっているとは思わなかったよ」
母はそう言って言葉をしめた。
 
そこで私は気づいた。人は年を取り、当たり前のように席を譲っていた日常が、いつしか席を譲られる日常に変わるということを。
 
私は、席を譲る時の心地よい緊張感は味わったことがあるが、席を譲られる緊張感は考えたことがなかった。人のよい母は驚きだけで済んでいたが、さらにプライドが高い人だと、加齢を意識し嫌悪感を感じるのではないか。
 
では、席を譲るべきかどうか、人はどのように判断しているのか。
会うたびに友人に聞いてみた。杖をついている人、白髪の人、自分より手の皺が多い人……。答えはさまざまだったが、出てくる出てくる。失礼なキーワードの数々。人は無意識に他人を上から下まで観察し、その年齢を考察するのか。人間の観察力に、私は驚きを感じた。ただ、一方で脳での判断には限界があることも分かった。
50代の人々に席を譲るべきか、譲る側も悩んでいたのだ。
 
最初に紹介した森絵都の短編集では、電車の席を譲られることで女性としてのプライドを傷つけられた女、そして傷つけるためにわざと席を譲る男の姿についても描かれている。「私ってそんな年齢だっけ」彼女たちは席を譲られたという事実とその居心地の悪さに憔悴し、心に傷を負う。そんないやらしい人は現実ではもちろんいないだろう。それでも善意から起こす行動で無意識に他人の心を傷つけている人、逆に傷ついている人は、おそらく間違いなく世の中に一定数存在するに違いない。
 
なんて世の中だろう。優しさが広がったばかりに傷を負う人がいるのだ。これが多様な価値観が広がった現代の、厳しい現実なのである。
 
道徳でいう「常識」は人によって異なる。「弱い人を守ってあげることが大切」という常識が、時には当人にとって「弱いと決め付けられて、見下されている」という心に傷を負う事実となることもあるのだ。人間の正義というものは、主観で成り立っているということを、電車の中で私は痛感してしまった。
 
どうすれば相手にとって本当に優しい世界となるのか。深く掘り下げるには時間がかかるだろう。なにせ、行動をしないことには、それが良かったか、悪かったかの判別もできないのだから。そして考えるのをやめてしまうのも、きっといけないことなのだろう。挑戦して、失敗して、経験を積む。きっとそれでしか答えは出ないのだ。
 
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」そんな言葉が今日も頭にひびく。そして、その言葉に導かれるようにして、苦手な椅子取りゲームで偶然勝者となった私は、今日も目の前にいる人に席を譲るべきか否かを全力で観察し、頭を悩ませるのだ。
 
 
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2019-01-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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