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週刊READING LIFE vol.59

ラブホテルの階段で、ボコボコに殴られた話《週刊READING LIFE Vol.59 「世迷事」》


記事:平野謙治(チーム天狼院)
 
(この話は、一部フィクションです。)
 
それは、目の前で勢いよく振り上げられた。
避けるすべなんて、もはや何も無くて、僕は思わず目をつぶった。
 
こめかみに、強い衝撃。次の瞬間には痛みもすぐに追いかけてきて、よろけながら後ずさる。
 
ズキズキと痛む頭で、混乱しながら必死に考える。
どうして、こんなことになったのだろう。「優しく」してあげていた、つもりだったのに。
 
……傘の柄で、殴られるなんて。

 

 

 

一本の電話が入ったのは、24時過ぎのことだった。
バイト終わりの帰り道。iPhoneで音楽を聴いていた僕は、それが着信音に変わったことにすぐ気づいた。
パッととると、聴き慣れた女声が耳に飛び込んできた。
 
「おお。お疲れ様」
 
電話をかけてきたのは、バイト先の同期。とは言っても、職場だけの関係に留まるような関係ではなく、複数人で遊びや飲み会に頻繁に行くような、親しい間柄の女友達だ。
 
「急にごめんね。聞いて欲しい話があって……」
 
彼女の声は、明らかに沈んでいた。
 
「どうしたの?」
 
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、彼女は一気に話し始めた。
何でも今日、彼氏にフラれたらしい。彼氏のこともよく知っている。同じバイト先の、先輩だからだ。
彼女たちカップルのことは、バイト先でよく話題になる。しかしそうか、別れてしまったんだな。
 
聞いているうちに、どんどん感情的になっていく彼女。声は次第に涙交じりになり、聞き取りづらくなっていった。
僕は冷静な頭のまま、相槌を打ち続けていた。
 
「……夜遅くにごめん。どうしても誰かに話したくて……」
 
30分ほど話し続けて、少し落ち着いてきた頃だろうか。そんな言葉が、彼女の口から出た。
 
たしかに、正直思っていた。「めんどくさいな」、と。
最初は興味があった。だけど「別れた」という結果さえ知れたのなら、あとはもういい。
今日も夜遅くまで働いて疲れている。明日も朝早くから一日中バイト。できることなら、一刻も早く眠りたい。
だけど……
 
「暇だから気にしないで。オレで良ければ、いくらでも聞くよ」
 
僕の口から出たのは、思ってもいない言葉だった。
 
「人に優しくしなさい」。
子供の頃から、そう教わって生きてきた僕は、いつしか「NO」と言えない日本人になっていた。
 
本音を言えない、情けない奴。そう言われると、たしかにその通りだと思う。
だけど僕は、信じていた。相手を受け入れることこそが、「優しさ」だと。
 
少し前のことだろうか。「忖度」という言葉が、注目されたのは記憶に新しい。
 
「他人の心情を推し量って、相手に配慮すること」。
ワイドショーでその言葉の意味を聞いたとき、僕は思った。まさにこれは、自分のことだと。
 
注目された過程もあって、肯定的な意味で受け入れられはしなかった、その言葉。だけど僕は、それこそが優しさだと思って、今まで生きてきた。
事実周りの人たちは、僕を「優しい」と形容した。これが、正しい。ずっと、そう思っていた。
 
だから、「話を聞いてほしい」と言った彼女に対して、「断る」という選択肢を、そもそも僕は持っていなかった。
そして彼女は普段の関わりから、僕が断ることはないだろうと知っていたのだと思う。
だからこそ僕を選び、電話をかけたのだろう。
 
その後彼女の話は、深夜3時まで続いた。
いくら眠かろうと、同じ話を彼女が繰り返そうとも、僕はひたすら相槌を打ち続けた。

 

 

 

翌日。
強烈な眠気と戦いながらもなんとかバイトを終えた僕は、電車に乗り込んだ。
見渡すと、座席は埋まっていた。座ったら寝過ごしてしまうから、かえってちょうどいい。
そう思って携帯を開くと、彼女から一本のメッセージが入っているのに気づいた。
 
「昨日は話聞いてくれてありがとう!
電話してたら直接話したくなったから、来週二人で飲みに行かない?」
 
手帳を開く僕。指定された日の夜は、特に予定がなかった。
大学の課題など、やるべきことも特にない。
 
この時点で僕の頭からは、「NO」という選択肢は消えていた。
誘われたら行ける限り行くのが、「優しさ」。そう信じていたから、断ることへの抵抗は強かった。
 
「いいね、行こう!」
 
そう返して、眠りについた。

 

 

 

約束の日。
駅で待ち合わせ、彼女が予約してくれた居酒屋へ。
バイトのシフトも合っていなかったから、電話以来会うのは初めてだった。
 
思ったより、大丈夫そうだな。待ち合わせたときの表情を見て、僕はそんな風に思った。
 
しかしそれは、シラフの時だけだった。
お酒が入れば途端に、元彼の愚痴のオンパレード。中ジャッキが空になるたびに、彼女の感情は加速していく。
 
「これ、酷いと思わない!?」
 
「普通の人なら絶対~って思うよね」
 
押し付けがましいほどに、彼女はいちいち同意を求めてきた。その中には偏った感情論も多分に含まれていて、内心「いやそれは違うだろ」と思うことも少なくなかった。
 
それに元彼は、なんと言ってもバイト先の先輩。僕だってお世話になっている。彼女の肩だけ持つわけにはいかない。だけど……
 
「まあたしかに、そういう考え方もあるよね」
 
僕は決して、「NO」とは言わなかった。否定せず、かと言って肯定もせず、彼女の感情が落ち着くまでただ、話を聴き続けた。
 
八方美人と言われるかもしれない。でもそれこそが「優しさ」だと、僕は信じていた。
 
「お席の方、ラストオーダーになります」
 
2時間半が経過して、店員さんが通知に来た。「お冷やを二つください」と、僕は言った。今日はこれでお開き。そのつもりだった。
 
「ねえ、もう一件行かない?」
 
風向きを変えたのは、彼女の一言だった。
 
時刻は既に22:30過ぎ。
お互いの終電が24時前後であることを考慮すると、この時間から二人で二次会に行こうという誘いの、「続き」を意識せずにはいられなかった。
頭の中で翌日の予定を思い返しながら、「いいよ」とだけ、僕は返事をした。優しさと、小匙いっぱい分くらいの、下心を以ってして。
 
二次会は、カウンター席の店へと移動した。
飲みすぎたのか、はたまた演技なのかはわからないけれど、彼女は明らかに酔いが回っているように見えた。
 
突っ伏した姿勢から、見上げるように赤い顔でこちらを向いていた。言葉も滑舌も曖昧になっていた。
 
「ねえ」
 
おもむろに僕の腕を引っ張り、彼女は言った。
 
「私たち、付き合おうか!」
 
一瞬。ドキッとさせられた。
だけど同時に、冷静に思った。この返答は、間を置いてはいけない。
変に沈黙を作ったら、「YES」か「NO」か答えざるを得ない状況になる。
 
「まあ付き合ったら、先輩より幸せにする自信はあるかな」
 
努めて冗談っぽく、僕はそう答えた。
 
これだけ元彼の愚痴を聞かされたあとに、付き合いたいと思う人いるのかな。
そんな本音は、甘いカクテルと共にグッと流し込んだ。
 
「……ねえ、そろそろ終電やばくない?」
 
最後の優しさで、僕は聞く。しかし彼女は、
 
「でもちょっとまだ、歩くのしんどい」
 
ぐったりしたまま、そう言ってのけた。
 
確信犯だったと、思う。事実、終電がなくなった10分後には、彼女はスタスタと歩いていたから。
二次会に来た時点で、当然この状況は想定に入っていたから、僕もそれ以上は何も聞かなかった。
 
いつの間にか外は、雨が降っていた。僕は傘を持っていなかったから、彼女の傘に二人で入った。
心許ない大きさに身を寄せながら、湿った夜道を歩く。その足取りに迷いなんてなかった。
 
無駄に煌びやかな入り口を抜け、受付へと向かう。バイト換算にして8時間くらいのお金を渡し、部屋の鍵をもらう。
安いのか高いのか、よくわからない。だけどこの日の判断に、後悔なんてひとつもなかった。

 

 

 

翌日。一転してスッキリとした晴れ模様だったが、僕らが起きたのは昼過ぎだった。
チェックアウトを考えると、決して余裕はなかった。
 
「やばい。急がないと」
 
彼女を起こし、お互い慌てて身支度をする。昨夜の余韻に浸る暇なんかなかった。
だけど必死にやったおかげで、なんとか出れる状態になった。
 
「よし行くか」
 
そう言ってドアを開けようとすると、彼女から思わぬ言葉が飛び出た。
 
「私たち、昨日から付き合ってるってことでいいんだよね?」
 
「え?」
 
一瞬、僕の思考は停止した。今度は冷静では、いられなかった。
お酒が入っていた昨日とは違い、曖昧にして逃げることができないと、瞬間的にわかったからだ。
 
意を決して、しかし、ぼそぼそと喋るような声で、僕は言った。
 
「いや、オレはそんなつもりないけど……」
 
この言葉を発した瞬間、彼女の纏う空気が変わったのが、目に見えてわかった。
 
「は? それどういうこと?」
 
「それより時間やばいから、とりあえず出よう」
 
振り返らず外に出る僕を追うように、彼女も出てきた。
 
「そんなつもりないなら、延々話聞いてくれたり、なんであんなに優しくしてくれたの?」
 
昨夜とはまた違った感情が、その言葉には宿っていた。
……ああもう、なんて答えればいいんだよ。
 
「そうした方がいいかなって思ったから、優しくしただけだけど……」
 
「はあ? 思わせぶりな態度とって、遊んでたんでしょ!」
 
ヒステリックに叫ぶ彼女。振り上げられた、右手の傘。狭い階段で、僕はそれを避ける術なんかなかった。
 
目をつぶる。こめかみに走る痛み。続けざまに二撃、三撃と頭と顔を容赦なく顔を打たれる。
 
「いやべつに、そんなつもりは……」
 
三発食らって、ようやく傘を掴み止めた。
痛みが残る頭を、必死に働かせながら弁明する。
 
「こっちはただでさえ傷ついてたんだし、あんだけ優しくされたら、勘違いするでしょ!」
 
そんなこと言われようが、彼女に特別優しくしたつもりなんて、全くなかった。
僕からすれば、いつも通りの行動。それこそテッシュ配りのバイトが、駅から出てくる人みんなにテッシュを渡すかのように、無差別に配った優しさ。それが彼女の手に、たまたま渡っただけ。そんな感覚だった。
 
「べつにお前のためじゃない。オレは、そうするのが当たり前だと思ったから……」
 
ここまで口にして、僕は止まった。自分で言っていることの、違和感に気づいたからだ。
 
お前のためじゃない?
あれ? 優しさって、相手のためにあるんじゃなかったっけ?
彼女のためじゃないなら、誰のために
 
途端に、自覚した。ああ、そうだ。
オレの優しさは、人のためなんかじゃなかった。
今まで人に優しくしてきたのは、自分のためだったんだ。
自分が優しくされたいから。否定されたくないから。だから忖度して、「NO」と言わず、上辺だけで受け入れるポーズをとって見せた。
自分が傷つかないため。ただ、それだけのために。八方美人として、努めて過ごした。
 
その結果がどうだ。彼女はこれだけ怒り、傘でボコボコに殴られた。
傷つかないための行動で、傷だらけになった。こんなに皮肉なことはない。
なんだかすべてが、くだらなく思えてきた。
 
言葉を失ったまま立ち尽くしていると、彼女は泣きながら去っていった。
何か言われたかもしれない。けどもう、その言葉は耳には入らなかった。

 

 

 

しばらくして、ようやくホテルをあとにした。結局かかった延長料金。なんだかもう、どうでもよく思えた。
あてもなく、真昼間の駅前を歩く。口の中は、血の味。
絶え間なく出入りする人たちと、何度となくすれ違う。
傷のついたこの顔は、どんな風に写るだろうか。今だけはそんなこと、気にならない。
 
あーあ。嫌われちまったな。
今まで忖度ばかりして生きていたのが、バカみたいだ。
 
嗚呼、畜生。
こめかみの上が、ズキズキと痛む。
 
誰か僕に、
誰でもいいからさ、
「優しく」してくれないか。

◻︎ライタープロフィール
平野謙治(チーム天狼院)

東京天狼院スタッフ。
1995年生まれ24歳。千葉県出身。
早稲田大学卒業後、広告会社に入社。2年目に退職し、2019年7月から天狼院スタッフに転身。
2019年2月開講のライティング・ゼミを受講。16週間で15作品がメディアグランプリに掲載される。
『母親の死が教えてくれた』、『苦しんでいるあなたは、ひとりじゃない。』の2作品でメディアグランプリ1位を獲得する。
6月から、 READING LIFE編集部ライターズ倶楽部所属。
初回投稿作品『退屈という毒に対する特効薬』で、週刊READING LIFEデビューを果たす。
 


2019-11-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.59

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