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チーム天狼院

なんとなく大人になってしまった、何もない僕たちへ。《週刊READING LIFE Vol.71 「なおざり」》


記事:平野謙治(チーム天狼院)
 
「なりたい大人には、なれましたか?」

嘘だって、思ってもらってもかまわない。
でもその時は、確かにそう聴こえた。

まるで墓石が、喋ったかのように。
 
 
 

つい、この間の休日のこと。
浦安市内の霊園に、僕は来ていた。

「……久しぶりだね」

祖母の墓石を見つけて、小声でつぶやいた。
平日の昼過ぎ。ひとりごとを言おうが、聴くものは誰もいない。

「突然ごめんね」

この墓参りは、何も前々から予定していたわけではない。ひとり、ドライブがてら、ふらっとやって来たのだ。
家族に言うのもなんだか恥ずかしかったから、誰にも言わずに来た。

「……高校生の頃、以来だよね。
オレのこと、覚えてる?」

せめてこれくらいは、と買ってきた線香に火をつけながら、ひとりごとを続ける。
返事がないことなんて、構いもせず。

「もう今年で25歳だよ。
大人になったでしょう。こう見えて、働いてるんだよ」

やたらと、風が強い日だった。何もこんな日に来なくても良かったかもな、と少し後悔しつつ、冷え切った手のひらを合わせる。同時に、目を瞑る。
その、瞬間だった。

「そう。それで……
なりたい大人には、なれましたか?」

死んだはずのばあちゃんの声が、聴こえた気がしたんだ。

ハッとして、目を開ける。
当然、そこには何も変わらない景色が広がっていて。

うん。まあ、そうだよな。
そんなことは、わかっている。

諦めに近い感情を抱きながらも、僕はもう一度目を瞑った。
 
 
 

「なりたい大人、か……」

そもそも僕は、どんな大人になりたかったんだっけ。
子供の頃に初めての思い描いた、将来の夢。覚えている人は、どれくらいいるだろうか。

僕は、覚えている。初めての夢は、「コックさん」。幼稚園の頃、なんだか絵に書いた記憶がぼんやりある。
それでその次は、「漫画家」。これは、小学校低学年の頃かな。作文かなんかの課題で、そうやって書いたんじゃないかな。

そんで、その次は……

……

……思い出せない。

というより、もしかしたらそれ以降、「将来の夢」を描いてこなかったのかもしれない。
そもそも、「コックさん」や、「漫画家」だって、「将来の夢」だったとハッキリ言えるのか?

多分、違う。
絵や、作文の課題が出されたから、なんとなく書いたんだ。自分の意思で、それになりたいと強く思ったわけじゃない。

だって僕は子供の頃から、料理をほとんどしたことがない。マンガなんて、書いたこともない。
それが、何よりの証拠だ。全然、本気じゃない。まったく、目指していない。

なんとなく、周りの空気に合わせて、「コックさんになりたい」と、「漫画家になりたい」と、そう言っただけなんだ。

それなら僕は、何になりたかったのだろう?

記憶の海を泳ぐ。だけどそこには、思い当たるようなものは見当たらなくて。
これ以上深く潜ったら溺れそうで、僕は考えるのをやめた。
そして、結論づけた。

ああ、そうだ。
僕は、何も目指してこなかったんだ。
ただなんとなく、今まで生きてきたんだ。

それは、なぜか?
それももう、理解している。

何かを目指すには、痛みが生じる。スポーツに喩えると、わかりやすいだろうか。
プロ野球選手になるためには、不断の努力を続ける必要がある。様々なものを、犠牲にして。友達と放課後遊ぶこと。ゲームをして遊んだり、カラオケに行ったり、ダラダラすること。あるいは時に、勉強や、恋愛など。
「なんとなく生きていれば得られるかもしれないはず」の、様々なものには目もくれず、ただプロ野球選手になるために。日々を費やしていく。

だけどそれだけ努力して、実際にプロになれるのは何分の一だろうか。何万分の一以下だろう。わかっている。そういう、世界だ。

すべてを懸けて、それでも届かなかった、その時。自分の心は果たして、壊れずにいられるだろうか。
情けない奴だと、笑ってくれても構わない。だけど僕はまず、「なれなかった時に傷つく自分の姿」を、思い浮かべてしまうんだ。

そもそも、自分が「何万分の一」になれるような人間だと信じることができていない。自分自身に、期待していない。だって自分には、一番になれるような素晴らしいものが、何も無いから。
だから何も、目指さない。やりたいことが何も、思い浮かばない。なぜなら、「自分にはできない」という、前提があるから。

そういった自信は本来、努力する中で得ていくものだと思う。なのに自分は、努力を始める勇気すら持てず、いつまでも安全なところに居続けてしまう。

ちっぽけで、しょうもない、ダサい人間だと、わかっている。それでもそんな自分を、守りたい。傷つきたくない。くだらないこのプライドを、抱きしめてたい。
そうやって、何も目指すことなく生きている。何も成し遂げることなく、寿命を費やしている。

けれど、ここまで24年間生きてきて、もうわかったことがある。
僕は、そんな僕が、好きじゃない。

本当は、そうじゃない。
実現させる・させないに関わらず、
できる・できないに関わらず、
何かを目指して、ガムシャラに生きている人に、なりたいんだ。

例えるならそう。「絶対にあの魚を釣り上げる」と言って、来る日も来る日も、船を造り続ける人たち。
時間をかけて、たくさん補強して、ようやく完成した船で海に出る。
道中出会う小さな魚なんかには、目を奪われることなく、ただひたすら遠くを見つめて航海を続ける。
目的はただ一つ。あの魚を、釣り上げるために。

かっこいいよな。そういう人たちは。
ドキュメンタリーを観ても、マンガを開いても、映画館に行っても、主役はたいてい、そういう人たちなんだ。
そこにはドラマがあって、人の胸を打つ。スポットライトを浴びるその姿に、強烈に憧れる。

今の自分は、そうじゃない。ありあわせの素材で出来た船で、なんとなく川を下る人生。
失敗したくないから、決して海に出ることなんてない。知っている範囲の、安全な川に終始する。
それでも何かしらは欲しいと、釣り糸を垂らす日々。偶然釣り上げた魚の中から、良さそうなものを選別しているだけだ。

そのくせ、そんな日々に満足していない。
自分が釣る魚に、満足していない。
遠くの海に、まだ見ぬ魚に、焦がれてる。だけどそれ以上に、溺れたくないと思っている。
だから今日も、川から出ない日々。そしてそれに、満足できない日々。
こうして考えると、あまりに間抜けで、滑稽に思える。

「なりたかった大人に、なれましたか?」

その問いに対する答えなんて、最初からわかっていたんだ。

「なれませんでした」。

傷つきたくない。惨めな思いを、したくない。
そうやって逃げ続け、何かを目指すことなく、何となく大人になってしまった。
何もない、大人になってしまった。
それが今の、劣等感にまみれた自分自身だ。

「優しいね」と、よく人に言われる。全然、嬉しくない。それは、あなたのための優しさではないから。

自分には、何もないから。優しくするしかなかっただけなんだ。
せめて人の邪魔だけは、したくない。「必要ない」と言われるのが、何より怖いから。
自分がここに居てもいいと、せめて思えるように。そのための、優しさでしかないんだ。

こんなどうしようもない自分にも、いつだって無条件で味方でいてくれる人たちがいる。
家族や、親戚、友人たち。ばあちゃんも、いつも優しかったね。何もない俺をいつも、たくさん褒めてくれたね。
なんでだろう。思い返すとそれだけで、涙が出そうになるんだ。

それは多分、失った時の恐怖を知ってしまったからなのかな。
ばあちゃんは、10年以上前に亡くなった。それからここ最近の2年で、身内が3人も亡くなった。たまたま、続いたのかもね。でも偶然とは思えない。死は平等に、訪れる。避けられないことなんだ。

あれほどまでに温かかった手すら、冷たく固くなってしまうことを、僕は知ってしまった。

みんながそばにいてくれるのは、一体いつまでだろう。
頼むから、いなくならないで。もらったたくさんの恩を、まだ少しも返せてはいないから。

そうだ。僕はせめて、恩返しができるような人になりたい。
みんなを安心させたい。大切な人たちの役に立つ、そんな大人になりたい。

それこそ、どれだけ暗い夜でも光を放つ一等星のような。
「何かを持っている」人に、なりたかったんだ。
「俺にはこれがあるから」と、自信持って日々過ごして行きたかったんだ。
でもそれが、できなかったんだ。

ねえ、ばあちゃん。教えてよ。
まだ、間に合うかな?
「なりたかった大人」に、まだなれるかな?

ここに来て、「大丈夫だよ」って言ってよ。無条件で、全部肯定して。冷え切ったこの手を、温めてみせてよ。溢れんばかりの愛で、俺を救ってくれよ。

ぎゅっと、目を閉じる。あの頃のように、もう一度会えるような気がしたんだ。
 
 
 

しばらくして、目を開ける。
そこには、少しも変わっていない霊園の風景が広がっていた。

当たり前だ。墓石は喋ったりしない。死者は蘇ったりしない。
事実、僕の耳を掠めるのは、冷たい風の音だけで。
すべては自分の弱さが見せた幻想だと、途端に気付かされる。

「救ってほしい」だなんて。いったい僕は、何にすがっていたのだろうか。
自分を救えるのは、自分しかいないのに。

だって、そうだろ。
「可哀想な自分」なんて、いくらでも演出できる。
「こんなに頑張ってるのに」と、言うのは簡単だ。口にすれば、たちまちあなたは悲劇の主人公になれる。

で、それで?
悲しみに染まった先に、何がある?
周囲の人々からの、なけなしの同情を得て。それで自分を慰めて。それが、僕の、なりたかった姿なのか?

他人からの承認は、鎮痛剤。一時的には有効だ。だけど根本は、何も解決してない。
他でもない自分が、自分のことを受け入れなければ。苦しみはまた、顔を出す。

何が、「一等星になれませんでした」だ。
星なんていう、綺麗なものに喩えて、自分を悲劇の主人公に仕立て上げたかったんだろ。その浅ましさに、反吐が出る。

最後にばあちゃんに問いかけた質問。
「なりたかった大人」に、これからなれるかどうか。

その答えは多分、生者も、死者も、誰も知らない。
それこそ神様だって、知らないかもしれない。

すべては、自分次第なんだ。
やりたいことや、何かになりたいという気持ち。
「傷つきたくないから」と、「どうせできないから」と、何かにつけて逃げ続けて。
大切にできなかったのは、今までのお前自身なんだ。

なおざりにされてきた感情たちと向き合い、
「お前には無理だよ」と自分の中で言い続けるもう一人の自分の息の根を止めなければ。
望んでいる未来なんて、永遠に訪れやしない。

来たときに点けた線香は、灰へとその姿を変えていた。
誰しもいずれ、こうなるのだから。

いつの間にか解けていた靴紐を結び直し、僕は霊園を後にした。
 
 
 

◽︎平野謙治(チーム天狼院)
東京天狼院スタッフ。
1995年生まれ24歳。千葉県出身。
早稲田大学卒業後、広告会社に入社。2年目に退職し、2019年7月から天狼院スタッフに転身。
2019年2月開講のライティング・ゼミを受講。16週間で15作品がメディアグランプリに掲載される。
『母親の死が教えてくれた』、『苦しんでいるあなたは、ひとりじゃない。』の2作品でメディアグランプリ1位を獲得する。
6月から、 READING LIFE編集部ライターズ倶楽部所属。
初回投稿作品『退屈という毒に対する特効薬』で、週刊READING LIFEデビューを果たす。

 
 
 
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