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週刊READING LIFE vol,109

生命の恩人《週刊READING LIFE vol.109「マフラー」》

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2020/12/31/公開
記事:石川サチ子(ライターズ倶楽部)
 
 
「止めてください」
 
顔を近づけてキスを迫る、その老人を払いのけて私は、密室を飛び出した。
階段を降りるときに、首にぐるぐる巻き付いたマフラーがほどけて、足下に引っかかりって転んだ。
 
足首が鈍い音を立てた。痛い。痛い方の足を引きずって、それでも必死に逃げた。
心臓がドキドキしていた。息がハカハカしてきた。どこまで逃げたら良いんだろうか。足が痛くて思うように動けない。
 
逃げねば、人がたくさんいるところに。
 
後ろから、その老人が追いかけてきているかもしれない。恐かった。
 
繁華街に出よう、誰かに助けを求めよう。誰に助けを求めたら良いんだろうか?
私は電話をかけていた。
 
「もしもし」
 
聞き慣れたFさんの冷静な声で、興奮が少し収まった。
声が震えて、思うように言葉がでない。
 
「もしもし、もしもし、サチコさん?」
「どうしたの?」
 
Fさんが、心配そうに言った・
 
私は、何度も深呼吸した。
 
「すみません」
「ごめんなさい」
 
それしか言えなかった。
 
涙がどっと流れてきた。
 
Fさんが私を心配して、池袋の喫茶店まで駆けつけてきてくれた。
Fさんは、お腹が大きくなっていた。そろそろ臨月の頃だ。
 
泣き続ける私の背中をFさんは、黙ってさすってくれた。
 
「ごめんなさい」
 
私にキスをしようとした老人は、当時通っていた劇団の養成所の演出家だった。
私たちは、彼をM先生と呼んでいた。
M先生は、演劇界でも名が知られていた。
北欧にある演劇の盛んな国で、舞台演出家として活躍した後、当時、国際的に見てレベルが低いと感じていた日本の演劇界を世界基準までレベルアップさせる目的で数年前に帰国した。そして若い俳優の養成に力を注ぐために、劇団の養成所を開いた。
 
私は、その養成所の一期生で、20代だった。
その養成所で会社勤務と掛け持ちでM先生から演出と俳優について学んでいた。
 
スタニスラフスキー
リー・ストラスバーグ
燃焼のメモリー
 
M先生の本場仕込みの理論と実践は、毎日が刺激的だった。
 
Fさんは、M先生と生まれ故郷が同じだった縁で事務として養成所に関わり、私たちのお世話をしてくれた。
 
私は、初めてFさんに、M先生とのこれまでのことを話した。
 
M先生は、ずっと前から私に「好きだ」と言って、関係を迫ろうとしてきた。しかし、私はM先生の感情を逆撫でしないように、やんわりと断っていた。
 
「M先生のことは、尊敬はしています。しかし、私の精神年齢が幼く、先生を恋愛の対象として見られません」
「まだ精神的に未熟なので、大人の男性に対しては、親のような感覚になってります。M先生に対して、それ以上超えられません」
 
M先生は、祖父ほど年が離れていて、70歳になろうとしていた。
 
しかし、M先生は、若い頃、女性に相当もててきたようだった。若い頃の写真を見せてもらったことがあ利、クールな感じでかっこよかった。
 
M先生は、見た目の良さと実力で、日本だけではなく、北欧などの女優たちと浮名を流してきたそうだ。M先生が口説けば、女性はみんな喜んだ。追いかけてくる女性から逃げるのに、大変だったと語っていた。
 
ある時は、北欧のトップクラスの女優との肉体関係を持った後の出来事を語っていた。その女優は、M先生との関係が初体験だったようで、足元に血が落ちていたと、生々しく語った。
 
私はそういう話を聞くのがすごく嫌だった。
森鴎外の舞姫を連想して、気分が悪くなった。
 
そんな私の気持ちなど全く理解しておらず、M先生は、なぜ私がM先生に対して恋愛感情を持たないのか、不思議だと言った。
 
「あなたは、僕と恋愛すれば、才能が開けるはずだ。その頑なな心が、あなたの才能にフタをしている」
 
私にも才能などあるのだろうか?
もし、あるとしたら、M先生と関係を持つことで本当に開花するのだろうか?
私の才能とやらが開花したら、私は、演劇業界でプロとしてやっていけるようになるのだろうか?
プロとして活躍できるのならば、私はM先生と関係を持つべきのだろうか?
 
どんなに考えても、
 
目の前にいる、どう贔屓目に見ても「おじいちゃん」としか見えないM先生との恋愛など、想像するだけで吐き気がした。
 
劇団の中では、M先生はカリスマだった。絶対的な存在だった。養成所の仲間たちは皆、M先生を尊敬していた。
M先生の指導の下、俳優として学び、磨きをかけ、世の中に羽ばたこうとしていた。
 
「僕は本物なんだ」
「君は、本物が分からないんだ」
「僕の仕事ぶりを見て、鳥肌が立つほど感動しないなんて君の心は相当麻痺しているか石のように頑固だ」
「君よりも、僕の方が君のことをよく知っている」
 
M先生は、頑なにM先生を拒む私に呆れながらも、なんとか頑固な私の気持ちを砕こうとした。彼のために。

 

 

 

頑固なのは、生まれつきだった。生まれた時から、堅い石が頭の中と心の中に入っていたのだと思う。
 
親の言うことは、納得するまで聞かなかったし、常識も理由がわかるまで従おうとしなかった。
 
そんな私を母親は「お前は素直じゃない」と言った。
「素直じゃないから、誰からも可愛がられない」
「そんなんじゃ、嫁の貰い手がない」
「世の中に出たら、お前のような考え方では通用しない」と嘆いた。
 
自分の気持ちに嘘をつくのが凄くイヤだった。
 
もし嘘をついてしまったら、例えば、嫌いな人とムリやり仲良くしたり、面白くないのに、周りの空気に合わせて笑ったり、欲しくもないものをもらったりすると、無性に腹が立った。
 
気持ちが、憮然とした態度に現れて、周りの人たちにはずいぶん嫌な気持ちにさせてしまった。

 

 

 

母親の予言は的中した。
 
幼稚園、小学校から納得いかないことだらけだった。
一日中、先生の言う通りのことをやらなければならない。授業中はじっと座って、大人しく先生の話を聞蚊なければならない。先生のご機嫌を損ねないようにしなければならない。
 
我ながら、よく我慢したと思う。
 
中学時代の男性教師には、ある時、こっぴどく怒られた。
 
「お前のようなやつがいるから、学校がまとまらない」
 
と、冷たい廊下に正座させられ、頭を何度も蹴られた。
 
アルバイトを始めた、大学時代、時給の良い仕事に飛びついたら、テレアポで、教材を販売する仕事だった。
電話帳を開いて、一軒一軒に電話をかけ、中身の分からない教材の紹介をした。
紹介は、渡されたスクリプトをテープのように棒読みした。
 
上司からは、感情がこもっていないだの、弱気で読んでいるだと散々注意されたけど、よく分からない教材だから想像力も動かなかった。
 
就職して金融関連の会社に入社。自社商品の中身を知れば知るほど、商品の良さが分からなくなった。
 
他社商品との差がほとんどない商品を、顧客のためではなく、会社の利益を最優先にするために売り続けるのは、ストレスだった。
 
自分の気持ちと行動がバラバラになって、私という存在が粉々に砕けそうになっていくようだった。
 
身体と頭が離れていかないように、首にマフラーをグルグル巻きにしておく必要があった。
そして、演劇という趣味で、心と頭と行動のバランスを取ろうとした。

 

 

 

M先生の気持ちを受け入れられない頑固な私は、これ以上養成所と関わってはいてはいけない人間だと思った。
生まれつき持ってしまった頑固さで、仲間たちの気持ちを揺るがすことはできないと考えていた。だから、M先生の気持ちを頑として受け入れられない私は、養成所を止めようと、何度も思っていた。
 
しかし、養成所に顔を出さないでいると、仲間から連絡が来た。ありのままの私を受け入れてくれると信じていた養成所の仲間たちとの関係は、壊したくなかった。
 
Fさんは、私に優しく言った。
「一人で抱え込んでいたんだね、苦しかったよね」
 
私はFさんに言った。
 
「不義理のようなやり方かも知れないけれど、もう、この養成所にはいけません、キッパリ縁を切ります」
 
Fさんは、「寂しくなるけど、サチコさんが決めたらなら。他にも劇団の養成所はたくさんあるからね」と慰めてくれた。

 

 

 

それから当時勤務していた金融会社をやめた。
そして、都内をウロウロ、野良犬のように歩き回った。
 
私が納得できる仕事って何だろう?
そもそも、私は何で生きているんだろう?
 
自分の気持ちに素直に生きようとすれば、どこに行っても衝突する。
お給料ももらえないこともある。
 
自分の気持ちよりも、会社や上司など周りの利益を優先させないと、生きていけない。仕事とはそういうものだし、お金をもらうことの難しさも知った。
 
同時に、漠然として将来への不安もあった。
このまま年だけ取って、何のスキルも身につかないどころか、使い物にならなくなるのは明らかだった。

 

 

 

M先生のことがあって、一年くらいして、養成所で一番仲の良かったUちゃんから手紙が届いた。
私が連絡を断つために、電話番号を変えていたから、連絡がつかなかったためだ。
 
Uちゃんには、会ってすべて話しておこうと思って待ち合わせ場所を決めた。
 
Uちゃんは、私の顔を見るなりに、一気に、しゃべり出した。
 
「あの養成所なんだけどさ、サチコさんが居なくなってから、大変なことになってしまったよ」
 
事情を聞くと、M先生が、KさんとRさんに手を出していたというのだった。
 
KさんとRさんは、その劇団の養成所の主役級の女優だった。彼女たちは、主役を争い、お互いライバル心をむき出しにしていた。
 
ライバルに主役の座を奪われたくない、
ライバルよりもレッスンしてもらいたい、
ライバルよりも、お芝居が上手になりたい、
ライバルよりもーーー
 
M先生に身体を預ければ、ライバルよりも優位な立場になると信じて、二人は、M先生の思うがままにされていた。
 
同じ養成所に通う、Rさんの恋人が、M先生とRさんの仲を疑い、MさんとRさんの関係がばれた。そしてすぐに、M先生とKさんとの関係もばれた。あっという間に他の仲間たちも知れ渡った。
 
私は、拍子抜けした。あれほど、私を「好きだ」と近づき、必死の思いで断り、他の仲間たちに迷惑がかからないように、M先生のカリスマ性を損なわないように、一生隠し通していこうと、右足を捻挫してまで逃げ出してきたのに。
 
何のことはなかった。
 
M先生は、養成所の他のメンバー達にも同じことをしていた。男女関係になるのを迫っていた。FさんとUさん以外の女性をほとんど口説いていたようだった。
 
他の女性たちも、
 
「僕と付き合えば、僕と関係を持てば、君の才能が開く」と熱く口説かれていたのだろうか。
あの時、自分の気持ちに素直になって、M先生を拒み、逃げ出した私の判断は正しかったと思った。

 

 

 

それからは、頑固のままで行こうと決めた。
 
頭と心に、生まれつきある堅い石は、心と頭の美容整形の技術が進歩しても、ムリだろう。
他人には、頑固に見えても、私は自分には素直なのだ。
 
頑固に、自分の気持ちに素直になる道を選んで、とことん、この厄介な性格に付き合うことにした。

 

 

 

いつしか私は、ブログブームに乗って、ブログを書くようになっていた。
ヘタだけど、自分の気持ちに正直に書く事で自分が何を求めているのか?何となくだけれどわかるようになっていた。
 
そして、正直になればなるほど、共感する人たちが集ま利、ささやかながら、見知らぬ人たちと交流することもできた。
 
あれほど頑固だった気持ちも、心なしか柔らかくなってきたようだ。
 
頭の中の堅い石は、年々、カチンコチンに硬くなっているように感じるけれど。

 

 

 

先日、クローゼットの片付けをしていたら、しばらく開けていなかった箱の中から、昔使っていたマフラーと一緒に、20代の頃に通った養成所で使ったテキストが入っていた。
 
20代の頃の私の抜け殻。
 
マフラーは、私の頭と身体がバラバラにならないように、つなぎとめてくれた生命の恩人だ。
 
あの頃に比べて、社会は女性にとってずいぶん風通しがよくなっているように思う。
 
権力を使って、女性を自分の慰みに利用する男性は叩かれるようになった。
 
私は、もっともっと自分の気持ちに正直になろうと思う。そして、もっと自分にとって居心地の良い場所を求め、なければ作ろうと思う。
そうすることが、次に続く人たちにとって、暮らしやすい世の中への道筋を作る小さな一歩だと信じている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石川サチ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

宮城県生まれ、宝塚市在住。
日本の郷土料理と日本の神代文字の研究をしている。

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2020-12-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol,109

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