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週刊READING LIFE vol,112

失敗のその先へ《週刊READING LIFE vol.112「私が表現する理由」》


2021/01/26/公開
記事:記事:岡 幸子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
初めて生物の教科書を真剣に読んだのは、教育実習生の時だった。
自分が高校生だったときは、教科書より参考書の方がお友達だった。教科書は、お高くとまった貴族のようで、庶民の自分には近寄りがたい存在だった。
当時の教科書は2色刷り。カラー写真など入っていない。無味乾燥で、読んでもちっとも面白くなかった。あなたレベルで高貴な私と付き合おうなんて思わないことね、そんな拒絶オーラが漂っていた。
教科書を熟読しなくても、お友達の参考書があれば困らなかった。
 
そうはいっても、教育実習生の立場では、さすがに教科書を無視できない。
指導教官に渡されたのは当然教科書である。指定された範囲を高校生に伝えることがミッションだ。実験を一つ入れることが条件で、その他のやり方は任された。
最初の授業は2日後だった。
それで、教科書を熟読した。
 
単元は植物の「光合成」。
数ある生物分野の中でも、小学校から高校まで繰り返し出てくる内容だ。自分が高校生だった頃、光合成とか細胞の構造とか、同じような話が何度も出てくるのが嫌だった。またかぁーとうんざりした。それが文科省の決めたスパイラル構造で、少しずつ高度な知識を積み上げていく目的だったとは、ずっと後になってから知った。
 
実習先の高校は都内で、埼玉県内の自宅から片道2時間近くかかった。往復4時間は遠い。
毎朝通勤ラッシュで電車は混んでいたが、切羽詰まった私は車内のすきま空間でも、教科書を読み続けた。
何をどう伝えたら、高校生がうんざりしないで光合成の話を聞けるのか。
自由に表現していいと言われたが、それが意外と難しい。
他人の家の冷蔵庫を開けて、中に入っている材料だけで料理を作るようなものだった。
しかも、これが人生で初めて作る料理ときている。
どうしたら高校生が食べて、美味しいと思えるようにできるのか。
頭の中で完成したときの味を想像しながら、とりあえず前菜、メイン、デザートを考えた。
前菜で、葉緑体と光合成色素の話をする。
メインはペーパークロマトグラフィーの実験で、緑葉の色素を分離する。
デザートは実験の振り返りにしよう、かな?
 
客である生徒に出す前に、一品目の前菜を作ってみることにした。
放課後、誰もいない生物室を借りて、板書の練習をした。50分、目の前に生徒がいる気持ちになって丸々授業をやってみた。一味も二味も足りない。難しいものだ。高校時代、大好きだった生物の先生から、授業中に私が寝てしまうと、そんなつまんない授業なのかと悲しくなると言われたことを思い出した。当時を振り返り、申し訳ない気持ちが100倍になった。教師にならなくても、教員の気持ちを知る体験として、教育実習には価値がある。バンジージャンプも教壇に立つ恐ろしさも、見るとやるとは大違いだ。
 
本番の日。
教壇に立っただけで、40人の生徒たちが一斉に私を見るではないか。当たり前のことに足が震えた。板書する手も、声も震えた。それでも、生徒たちが羊の群れのようにおとなしく聞いてくれるので、用意した指導案の通り、練習した通りに授業を進めることができた。
それなのに。
 
「光合成の研究で、柳を育てたヘルモントは、5年間、減るもんと増えるもんとを調べたんですよ」
「私が住んでる“みどり住宅”は“春日部市のチベット”と呼ばれていて、駅から遠くて人通りも少ないです。この実験で使われた好気性細菌にも、みどりは不人気。緑色の光には集まっていませんね。やっぱり、人気スポットは赤坂、青山。赤と青の光にはたくさん集まっています」
 
生徒が飽きないように指導案に書き込んだダジャレは完全に上滑り。教室に微妙な空気を流れさせただけだった。
いくら練習通りにできても、生徒ウケが悪かったら徒労感しか残らない。
指導案と現実の授業は大違いだった。
レシピから想像した料理の味が、食べたら期待外れだったということだ。
 
教育実習初回の授業など、上手にできるわけがない。
教員になった今ならそんなこと、アイスクリームが溶けたら持っていた手がべとべとになるくらい当たり前で、何の不思議もないことだ。でも、アイスクリームが溶けることを知らずに手に持っていたのなら驚くかもしれない。
教育実習生だった私は、自分のダジャレがまったく通用しないことに驚いて、がっかりした。
 
幸い次の授業は実験だったので、準備さえすれば生徒たちが勝手に動いて勝手に面白がってくれた。ペーパークロマトグラフィーという、小学生でも簡単にできて、結果もその場ですぐわかる実験だ。細かい指導が必要なくて助かった。
 
次の授業で実験の解説をした。
ダジャレで失敗したので、今回はパフォーマンスで攻めてみた。
ペーパークロマトグラフィーの原理を、自分が巨大な色素になった設定で、教卓の前を移動しながら説明して見せたのだ。これはウケた。
 
だがしかし、大失敗だった。
 
授業が終わってからの講評で、指導教官に指摘された。
 
「色素の移動距離の差を分子量で語っていたけどさ、それ違うから」
「えっ?」
「紙への吸着率の差で決まるんだよ」
「す、すみません!」
「いや、ぼくじゃなくて、次の授業で生徒に謝ってね」
 
やっちまったー。
面白い表現を追求する以前に、科学的に正確な知識を身につけなければ何にもならない。
教材への理解が全然足りていなかった。穴があったら入りたかった。
 
がっくりと肩を落として廊下を歩いていると、女生徒に声をかけられた。
 
「先生、今日の授業面白かったですよ」
「ありがとう。でも、間違った説明しちゃったの。ごめんね。次回、訂正するからね」
「大丈夫ですよ。それより先生、電車の中で教科書読んでたでしょ」
「見てたの? まさか、埼玉から通ってるの?」
「私も、先生と同じみどり住宅に住んでるんですよ」
「あんな遠くから! 毎日大変でしょう!」
「もう慣れました。先生が頑張ってる姿を見て、私も頑張ろうって思いました」
 
なんと、励まされてしまった。
彼女の言葉で落ち込んでいた気持ちが、霧が晴れるように消えてしまった。
生徒の言葉は魔法のように、教師の気持ちとモチベーションを一瞬で変える力を持つことを知った。
その後も、生徒との些細なやり取りにどれだけ救われてきたことか。
 
教育実習は失敗続きだったけれど、教員になってからも大して変わらなかった。
変わったとすれば、失敗するのが当たり前だと思うようになったことか。
失敗は成功のもと。
上手くいかないと、次にどうしようか考えて工夫する。
ずっとその繰り返しだ。
教師になって数十年たった今も、日々の授業は失敗続き。満点など滅多にとれない。
失敗を点検して、次の授業をできるだけ改善する繰り返しだ。
そういう意味では、教室はずっと授業という名の実験場かも知れない。
生徒たちにもたくさん失敗してほしい。失敗したときの心の振れ幅は、成功の何倍も大きいから、強く記憶に残るのだ。立ち直る強さも身に着くだろう。
 
そもそも、人間の存在自体が失敗の積み重ねの上にある。
地球最初の生命は、40億年前に誕生した。最初の生物のDNAが完璧で一度も複製ミスをしなかったら、40億年たった今の地球にも単細胞生物しかいなかっただろう。今の地球に生きる多様な生物は、複製ミスの失敗のおかげで生まれたのだ。
その頂点が人間だ。進化も失敗の実験場だ。失敗バンザイ!
 
失敗との付きあい方がうまくなったと思ったら、高校時代に面白くないと切り捨てた教科書から、挑戦状を突き付けられた。執筆者の一人に加わることになったのだ。昔嫌っていた相手が、改心したから大丈夫といって抱きついてきたようだった。戸惑ったが、改心したのは本当だった。最近の教科書は昔と違ってオールカラーで漫画もOKになっている。これならお友達になれそうだ。
 
生物の魅力と面白さを伝えたい。
生きていることは、それだけで価値がある。
誰かの心に自分の価値に気づける灯をともしたい。
それが、私が表現し続ける理由のようだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
岡 幸子(おか さちこ)

東京都出身。高校教諭。平成4年度〜29年度まで、育休をはさんでNHK教育テレビ「高校講座生物」の講師を担当。2019年12月、何気なく受けた天狼院ライティング・ゼミで、子育てや仕事で悩んできた経験を書く楽しさを知る。2020年6月から、天狼院書店ライターズ倶楽部所属。
「コミュニケーションの瞬間を見逃すと、生涯後悔することになる」、「藝大声楽科に通う大学生が、2年間で2回も声帯結節になった話」の2作品で、天狼院メディアグランプリ週間1位獲得。

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2021-01-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol,112

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