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週刊READING LIFE vol,113

26歳小沢くん、その男、魔性につき《週刊READING LIFE vol.113「やめてよ、バカ」》


2021/02/01/公開
記事:小石川らん(Reading life編集部ライターズ倶楽部)
 
 
30代に入ると、素敵だなと思う男性にはすでに家庭があったり、近々彼女と結婚する予定があったりする人ばかりになってくる。
 
誰かにドキドキしても、だいたいはがっかりすることの方が多いので、もう誰にもドキドキしないぞと誓って過ごしてきた。願ったり叶ったりで、特にドキドキさせられるようなこともなかった。また、私自身も誰かのことをドキドキさせるような存在ではなかったようだ。「求めよ、さらば与えられん」とは真逆のことが起きていた。
 
そんなときに現れたのが小沢くんだった。
 
小沢くんは当時勤めていた会社にエンジニアとして入社してきた。流行りのツーブロック。流行りの丸メガネ。お洒落系IT男子。年は26歳。中途採用の多いベンチャー企業の中で最年少社員となった。
 
小沢くんとは業務上関わりがあるわけでもなく、チャットツール以外のコミュニケーションが希薄な社内において、正直私のことは認識されているかどうかも怪しかった。しかしビルのロビーですれ違うと軽く会釈をしてくれるので、どうやら社内の人として入社間もない頃から認識はされていたらしい。知らん顔をして通り過ぎていく人が多かったなかで、そんな些細なことがなんだか嬉しかった。
 
そんな小沢くんと一緒にランチをすることになった。ちょっとしたことで個人的にやり取りをする機会があり、せっかくだからと誘ってみたのだ。二人きりというのは緊張するので、他の人も誘おうかとも思ったのだが、それだと「交流はしたいけど『そういうつもり』ではないので」といらん警戒を張っているように思われそうだったので、自分からは提案しなかった。むしろ小沢くんから「他の人も誘ってみますね」と言ってくれることを望んでいたのだが、そうはならなかった。
 
約束の13時が迫るごとに、吐きそうなぐらい緊張してきた。深呼吸をしながらそのときを待った。
 
「そろそろ行きましょうか」
 
と小沢くんからきたチャットメッセージにあたふたと反応していると、小沢くんがオフィスの向こうで他の同僚と話しているのが見えた。
 
「他の人も一緒に大丈夫ですか?」
と小沢くんが同僚を3人ほど引き連れてきた。安心しつつも、小沢くんと二人きりではないことに少しがっかりしつつ、私たちは5人でランチをすることになった。
 
ランチの席は小沢くんの正面だった。小沢くんの肌は白くてツヤツヤで、ピカピカとしていていかにも20代の肌だった。
 
「おばちゃんが色めき立っちゃったな」と、自然光の下で見る33歳の私の肌はどんなふうに映るのだろうかと思うと急に恥ずかしくなり、まともに小沢くんの顔を見られなかった。他の同僚がいてよかったと思った。でないと食事も会話もきっとまともにできなかったと思う。 それでもやっぱり恥ずかしくて小沢くんとは目を合わせることができなかった。
 
小沢くんは社内の静かなムードメーカーでもあった。
 
コミュニケーションを取りたい癖に、恥ずかしがり屋な人たちの多い職場で、小沢くんは行きつけの飲み屋にみんなを連れて行ったり、日本酒を会社に取り寄せて飲み会を開いたりと、みんなが集う場所を作ってくれていた。そんな様子を他の同僚と遠くから眺めて「小沢くんがいてくれれば社内コミュニケーションは安心かもしれないね」なんて話をした。
 
あるとき小沢くんが故郷から大量の桃を会社に取り寄せた。お昼休憩のときに桃を抱えて給湯室に向かう小沢くんと目が合うなり「小石川さん、桃を切り分けるの手伝ってください」と声をかけられた。
 
若くて、肌がピカピカで、お洒落で、ムードメーカーな小沢くんというキラキラしたイメージが私の中ですっかり定着していたので、二人並んで給湯室で桃を剥くのはなんだか恥ずかしかった。身体が熱を帯びているように感じたのは、給湯室のエアコンの効きが悪かったせいだけではない。隣の小沢くんのことをあまり意識しないように目の前の桃だけに集中した。その傍らで小沢くんはつまみ食いしながら桃を切り分けていた。
 
「うわー。美味い! ちょっと小石川さんも食べてみてくださいよ」
 
突然小沢くんの意識がこちらに向いたことにオロオロしていると、小沢くんが桃を一切れ私の口元へ持ってきた。
 
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 
ドキドキを気取られないように、なんでもないふうを装いつつ小沢くんの手から桃を食べた。唇が小沢くんの指に触れてしまうのではないかとドキドキした。白くてみずみずしくて、甘くて柔らかい桃は、どんな性のメタファーになりえるのだろう。とにかく甘かった。
 
「ね? 美味しいでしょ?」
「ホントだー」
 
なんでもない。ただ桃が美味しいだけだ。
そう言い聞かせたが苦しいぐらいに顔が熱かった。顔だけではない。頭全体が熱い。首から肩、腕、指先まで熱を帯びているのを感じる。鼓動は大きくなり過ぎて、全身を打ち鳴らしていた。耳の後ろから自分の心臓の音が聞こえた。
 
「どういうつもりなんだろう……?」
 
その後、切り分けた桃をたくさん食べたはずなのに、小沢くんから食べさせてもらった桃より甘い桃はなかった。

 

 

 

その夏の終り、私は会社を辞めた。退職から2ヶ月ほど経って、久しぶりにSNSを開くと小沢くんの投稿が目に入ってきた。
 
「今日が最後の出社日でした。みなさんありがとうございました」
 
と書かれていた。
 
なんとなく小沢くんが良い辞め方をしたのではないのだろうと前後の投稿から察した。久しぶりに連絡をとってみると案の定そんな感じで、「今度飲みにいきましょう」という話になった。
 
甘い桃を食べた翌年の夏、小沢くんとセンター街にあるお店で待ち合わせをした。店内は薄暗かった。これぐらいの照明だと小沢くんの肌のピカピカさが発揮されない代わりに、30半ばの私の肌の陰りは隠してくれる。
 
お互いの退職の経緯をひとしきりした後に、私から切り出した。
 
「桃を切ったときのこと覚えてる? 小沢くん、私に桃を食べさせてくれたよね。私、あれすごく恥ずかしかったんだよ」
 
そう言うと小沢くんはこともなげに
 
「覚えてますよ」とだけ言った。
 
てっきり「あぁそんなこともありましたよね」と笑い話にしてくれると思っていたのに、彼の口調は静かで、ただこちらをじっと見るだけだった。何を意図した口調なのか、眼差しなのか。それとも意図なんてないのか。
 
私は給湯室での出来事を思い出したこと、そのことを小沢くんに伝えたこと、そして今、目の前に小沢くんがいてこちらを見ていることがとても恥ずかしくなって、ただ視線を落とすしかなかった。
 
飲み直そうということになって、センター街の店を出た。思い出話のついでに、かつて職場が入っていたビルを見に行こうと、道玄坂を目指した。道玄坂を登り切る少し手前にあるビルの前で
 
「入社したての頃は楽しかったのになー」
「僕だって『やるぞー!』と思って入社しましたよ」
 
なんて、儚く消えた前職時代を回想した。
 
時間もまだあるし、飲み直そうということになって、道玄坂から渋谷駅近くへ移動することになった。
 
「こっちの方が近道です」
 
と言って小沢くんが案内してくれた道は、宇田川町のラブホ街を抜ける道だった。軽薄な性の香りがするネオン街を前に、一瞬どきりとしたがすぐにそれを打ち消した。
 
「ラブホ街が抜け道だってことは、渋谷に詳しい人なら誰でも知ってることだし」
 
と言い聞かせながら、お酒が抜けきらない風を装って無理にテンションを上げて、色っぽい雰囲気にならないようにした。
 
しかしホテルのネオンを見ながら考えていた。今、小沢くんが「ちょっと入ってみません?」と言ってきたら、私はどうするのか? どうしたいのか? というか「どうするのか?」と考えている時点で、どうしたいかなんて決まっているのだ。ただ、私はもう大人だ。一夜を過ごしてしまったら、あの桃の味の記憶が変わってしまうことは決まっている。男女の関係になったら失うことの方が多いのだ。行きずりならともかく、よい印象を抱いて1年間一緒に働いた小沢くんの印象を壊したくないと思った。
 
しかし「あぁ私たち、これからそういうことをするんだ」と舵を切る瞬間が私は好きだ。これまでの関係性からの突然の跳躍。なんならセックスという行為よりも、その瞬間の方に強烈な快感がある。でもそうなったら、どうなってしまうのか、もうこれ以上知る必要のないぐらいに知っている。
 
美味しいけど飲んだら死ぬ、そんな毒薬を目の前にして、飲もうか飲むまいか逡巡する。けれどそんな迷いがあることを気取られて、小沢くんにうっかり「それ」を提案されないように、そんな雰囲気を作らないようにした。無理におどけて振る舞う。もういい歳だし、ラブホ街なんて気にせず歩きますよ。なんともないですよ、とばかりに。
 
何事もなく着いた2軒目のお店で、小沢くんがこんなことを聞いてきた。
 
「さっきホテルに誘ったら小石川さんついて来てくれましたか?」
 
全部見抜かれていたのだろうか。正面切って聞かれたら、私も本当のことを言うべきだと思った。
 
「別にさっきじゃなくても、今誘われても私は小沢くんについていくよ」
 
小沢くんがどんな反応をするのか見るのが怖くて、グラスに付いた水滴を拭う指先を見ながら応えた。
 
「1ヶ月前なら誘ってました。でも僕彼女ができちゃったんで」
 
小沢くんの声が「拒絶」ではなく、ちょっと残念そうに聞こえたことが嬉しかった。つまらないし、どうしようもないことだが、まだまだ私のことをそういう目で見てくれる人はいるものなのだと少し感動すらした。小沢くんは一瞬でも私にドキドキしたのだろうか。この際ドキドキでもムラムラでも十分に嬉しかった。
 
ここでしんみりしてしまうと、私が振られたかのような感じになってしまう。余裕のあるお姉さんを装って、彼女の話を聞き出した。
 
彼女とはマッチングアプリで知り合って、趣味や感性が合うこと。お互いのことを尊敬していること。結婚するならこの人だなと思っていることを話してくれた。
 
小沢くんが恋人に対して一途な男子であることは、働いていたときから飲み会の席での恋愛話で知っていた。小沢くんが小沢くんであるために、私なんかと寝ることはないよ。誘わなくて正解だったよ、小沢くん、と思いながら微笑ましく話を聞いていた。
 
こうして小沢くんに翻弄された1年が終わった。別に小沢くんのことがはっきりと好きな人だっということではない。しかし思わぬ距離で接してくる小沢くんについて「私のことどう思っているんだろう?」と意識せざるを得なかった。
 
もしかしたら、それが若者が年上の女性に接するときの悪気ない距離感なのかもしれないとも思えた。しかし「もう誰にもドキドキするまい」と念じていた私にとっては、どっちにしても十分に刺激的だった。
 
小沢くんとはその後会っていない。何通かメッセージのやり取りをして、今度は他の人も誘って飲もうなんてことを話したけど、忙しかったり、気恥ずかしかったり、ご時世的なものがあったりしてそれが延び延びになっていた。
 
しかし何よりも、怖かったのだ。今後また会うことで小沢くんに対して何かを期待してしまったり、私がうっかり決定的な行動を起こしてしまったり、それが打ち砕かれたときの後悔と自己嫌悪を想像すると恐ろしかった。
 
桃を食べさせてもらってドキドキしたこと。
「覚えてますよ」と静かに言われたこと。
「1ヶ月前なら誘ってました」と言われたこと。
 
それだけでも、数年間色っぽいことに飢えていた私をとろけさせてくれたのだから、それで十分だった。
 
年末、SNSを開くと、小沢くんが「彼女と同棲をはじめました」と投稿していた。きっと結婚も近いのだろう。
 
「ちょっといいなと思う男はみんな近々結婚する」という振り出しに戻ったことに気が付いて、なんだか自分でもおかしかった。
 
そして、小沢くんに会うことはきっとこの先ないのだろうと思った。その確信が清々しかった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
小石川らん(Reading life編集部ライターズ倶楽部)

華麗なるジョブホッパー。好きな食べ物はプリンと「博多通りもん」。

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2021-02-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol,113

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