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週刊READING LIFE vol,116

心配症の母と娘《週刊READING LIFE vol.116「人間万事塞翁が馬」》


2021/02/23/公開
記事:岡 幸子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
昔から母は心配性だった。
家族の帰宅がちょっと遅れただけで、誘拐されたのではないか、事故にあったのではないかと、よくない妄想が広がるらしい。私が高校生の時、模試で帰宅がいつもより遅くなったら、家の前に母が立っていて驚いた。心配のあまり家の中で待っていられなかったという。
 
心配症は高脂血症とか、高血圧症と同じように、遺伝するようだ。
母のことを心配し過ぎだと笑いながら、私も変なところで心配症だった。高校生のとき、関東大震災レベルの地震がいつきてもおかしくないと習ったら、屋根から瓦が落ちてくるのが心配になった。雷が鳴ると、自分の家に落ちるのではないかと心配だった。大学生になったら、寝坊して体育の単位を取りこぼすのが心配だった。そのせいで卒業できない夢を何度も見た。車を運転するようになったら、前を走るトラックの車輪が突然外れてぶつかるのではないかと心配になった。
 
そんなだったから、20歳のとき、自信満々の人を好きになった。
それが、良かったのか悪かったのか、巡り巡って私の心配性はどうなったか。
まあ、聞いてほしい。
 
自信満々の彼の近くにいるのは楽だった。言う通りにしていれば「大丈夫だ」と保証してもらえた。「ここにいれば大丈夫、雷なんて落ちない」とか、「車輪が外れたって、よけてやるから大丈夫」とか、とくに根拠のない自信なのだが、この人のそばにいれば大丈夫だという安心感が得られた。一方で、彼の好みに合わないことをすると「そんなんじゃダメだ」と叱られた。結婚するつもりで両家の親に挨拶もし、大学を卒業するときには婚約指輪までもらったけれど、その年の冬には破局した。破局の決定打は、彼の放った一言だった。
 
「今のお前は、僕の婚約者失格だ」
 
これは、こたえた。
彼の言う通りにして守ってもらう生き方は楽だったけれど、この調子では結婚しても「妻失格」「母親失格」と言われ続けることだろう。結婚前から失格じゃあ、この先、彼の課す高いハードルを超え続けるのは絶対無理だ。彼にしてみれば私のことをいつもより少々強く叱っただけ。別れ話になるとは思っていなかった様子で、私の気持ちはまったく理解できないようだった。
両親にも友人にも結婚宣言していたので、自分で決めたこととはいえ、周囲への破局報告は辛かった。昨日まで、自分の行動の指針にしていた彼がいなくなり、身ぐるみはがれたようだった。別れは、抗癌剤のように私が生き延びるために必要な薬だったけれど、副作用は強く苦しいものだった。毎日、「別れて本当に良かった」と自分に言い聞かせながら、心のどこかで彼が改心して「やっぱりお前しかいない」と言ってくれることを期待していた。過去にとらわれた日々だった。
 
転機は、意外な形で訪れた。
数年後、彼から唐突な結婚報告に続き、『子どもが生まれました』の年賀状が届いた。
赤ちゃんの名前を見て、絶句した。
 
「子どもが生まれたら、僕たち二人の名前から一文字ずつとって名づけよう」
 
私に話していた通りのことを、次の彼女を奥さんにして早々に実現してしまった。まるで、デパートの紳士服売り場で試着して、自分サイズのスーツならどれでも良かったみたいじゃないか。この一着に惚れ込んだとか、この生地がいいとか、選択にこだわりはないのか。
ないんだなあ。
あったとしても、考えてみれば、私に自分という芯がなかったのだからどうしようもない。
一人でいるのが不安だった。彼の好みに合わせることをモットーにして、彼のご機嫌をうかがうような付き合い方をしていた。気に入られるように振る舞ったのは、嫌われることに対する私の不安が招いた結果だった。自業自得だ。
 
「別れて本当に良かった」
やっと、心の底からそう思えるようになった。
そればかりか。
治療がうまくいった癌患者が、健康のありがたさを実感できるように、それから5年後の私は、たった一言で「これが愛だ」と実感できるようになっていた。
 
「私にどうしてほしい?」
新しい彼氏に向かって、昔のくせで、ついそう問いかけた私に返された答えは意外なものだった。霧が晴れたようだった。その一言で、結婚を決めたといってもいい。
 
義母がまた良かった。
テニスのプロが素人のサーブを打ち返すように、何を言っても軽々とポジティブに返してくれた。
 
「初産が高齢出産で不安です」
「大丈夫、案ずるより産むがやすしよ」
 
「食べ過ぎて太っちゃいました」
「体力がついて、良かったじゃない」
 
「つわりが酷くてやせちゃいました」
「良かった、やせると産道を赤ちゃんが通りやすいのよ」
 
「定期健診で貧血と言われました」
「早めにわかって良かった、これからお薬を飲めば大丈夫よ」
 
何を言っても「良かった」になる。
義母と話すと、心配の黒が優勢だったオセロゲームの盤面が、あっという間に白優勢にひっくり返されていった。悪いと思った出来事にも、良い面があると教えてくれた。そんなに心配しなくても大丈夫、そう励まされている気がした。
 
初産は、終わってみれば本当に「案ずるより産むがやすし」だった。
ムダに心配した時間がばかばかしくなった。最初から義母のように、物事の良い面を見るようにしておけば、昔の母のように、娘の帰りを家の外で待つようなムダな時間を過ごさなくてもすむ。これからは義母を見習いたい、そう思った。
 
義母とはもっと一緒の時間を過ごしたかった。
初孫を抱いた3年後、風邪をこじらせてあっけなく逝ってしまった。
 
その後の私は子育てに行きづまったとき、できるだけ「良かった」と思う努力をした。
けれど、さすがにどうしても「良かった」と思えない出来事もあった。
 
娘が中2のとき、いじめにあって、ほぼ一年間給食を食べられなくなったとき。
息子が高2のとき、体育の授業中、受け損なったソフトボールで鼻を骨折したとき。
 
いや、あるいは義母ならマジシャンが杖を花に変えるように、瞬時にポジティブな出来事に変えたかも知れない。時間はかかったが私も、子供たちが大学生になった今では、この出来事を「良かった」と思うようになってしまった。
 
娘は、人の心の痛みがわかる優しさを身に着けた。
息子は、骨折が回復したら鼻が高くなった。
何が幸いするかわからない。
 
義母は、夫を残してくれた。
心配症と真逆の性格は義母ゆずりだ。しかも自立している。
「私にどうしてほしい?」と聞いたら、「貴女をどうこうしようなんて考えたことありません」と答える人だった。私は自分を矯正する必要も、ご機嫌伺いをする必要もなかった。あるがままの私を認められたときに感じたのは、「これでもいい」という安心感だった。
 
つい先日、安心感が長い年月をかけて心配症の私の症状を改善したことに気がついた。
古い書類を整理していたら、昔の写真が出てきたのだ。
大学生の頃も子供たちが小さかった頃も、昔の写真に写る私の表情は、何だか心配そうだった。写真の向こう側に不安が渦巻いているようだった。
驚いた。
20代にも30代にも、40代にも戻りたくない。
子供たちも無事に育って、心配事が減った今が一番幸せだ。
それで表情まで変わるのか。
 
今が幸せだとわかるのは、マイナス経験のおかげだ。
元彼に婚約者失格と言われたおかげで、夫の言葉のありがたみがわかった。
心配症の母のおかげで、義母の素晴らしさがわかった。
 
心配症が軽くなった今、思うのは。
 
心配症もそう悪くはなかったな。
母の娘で良かった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
岡 幸子(おか さちこ)

東京都出身。高校教諭。平成4年度〜29年度まで、育休をはさんでNHK教育テレビ「高校講座生物」の講師を担当。2019年12月、何気なく受けた天狼院ライティング・ゼミで、子育てや仕事で悩んできた経験を書く楽しさを知る。2020年6月から、天狼院書店ライターズ倶楽部所属。
「コミュニケーションの瞬間を見逃すと、生涯後悔することになる」、「藝大声楽科に通う大学生が、2年間で2回も声帯結節になった話」の2作品で、天狼院メディアグランプリ週間1位獲得。

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2021-02-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol,116

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