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週刊READING LIFE vol.129

「私は事故なんて遭わないし」……本当に?《週刊READING LIFE vol.129「人生で一番『生きててよかった』と思った瞬間」》


2021/05/24/公開
中川文香(READING LIFE公認ライター)
 
 
がしゃん。
 
音と共に、背中からぐんと前に押し出された。
 
何が起こったのか分からなかった。
視界の左端に茶色の物体が映る。
目を向けると、私の横を斜め前に向けて車が通り抜けた。
運転席ではハンドルを握ったご婦人が、「しまった」と言わんばかりの顔をしてこちらを見ている。
 
追突された。
 
そう気が付くまでに、時間にすると数秒だっただろう。
けれど、体感としてはもっと長い時間が過ぎたような、スローモーションの世界に入り込んだような不思議な感覚だった。
 
追突された。
 
とっさにその事実を脳内に落とし込み、落とし込んだら急にドキドキしはじめた。
ハンドルを握る指が小刻みに震える。
 
どうしよう、どうしたらいいんだ?
ひとまず、今道路のまん中にいるから、路肩に寄せないといけないんだよね?
どこか他の車の邪魔にならないところ。
ああ、でもなんか動くと車から変な音がする。
このまま路肩まで行けるかな?
どうしよう。
どうしよう。
 
外に聞こえるんじゃないかと思うくらいにドキドキ波打つ心臓を抑えながら、静かに考える。
鼓動と裏腹に、頭の中はしーんとしていた。
冷静なつもりだけれど、脳内は混乱してぐちゃぐちゃで、静かに同じところをループしていた。
自動車事故に遭ったのは、初めての経験だった。
 
 
後続車に気を付けつつ、車を動かす。
後ろのタイヤ付近からギーギーと軋んだ音がする。
追突したご婦人の車も路肩に停めてある。
その前方に、ゆっくりと車を停めた。
 
こんな音がするくらいだから、きっとこのまま運転しては帰れない。
レッカーを呼ばないといけないか。
どうしよう、仕事中なのに……社用車なのに……
どこに連絡したらいいのか……保険会社はどこなんだろう?
保険会社の前にまずは警察を呼ばないといけないのか。
ああ、この後、昼からも出かける用事があったのに、どうしよう、このままじゃきっと間に合わない。
まずは部長に連絡しないと。
いやいや、その前に警察か。
 
ぐるぐると思考が空転する。
ドキドキと鼓動が波打つ。
 
車を降り、「大丈夫ですか?」と声をかけると、
「ああ、どうしましょう! とんでもないことをしてしまった!」
と、ご婦人が駆け寄ってきた。
 
私もパニックだけれど、ぶつけてしまったご婦人はもっとパニックになっているようだった。
それもそうだろう。
逆の立場だったら、きっと私だって取り乱すに違いない。
 
混乱真っただ中で車の周りを右往左往するご婦人を見て、少し冷静になれた気がした。
 
私が、通報しなければ。
 
110にダイヤルすると、
「○○署です。事件ですか? 事故ですか?」
と尋ねられた。
 
110番にダイヤルするのも初めてのことだった。
「事故です」
と伝えると、電話口のお姉さんがまず、こう言った。
 
「お怪我は、無いでしょうか? お相手の方もお怪我は無いですか?」
 
そうか、まずは命の危険が無いかどうかを確認するのか、救急車を呼ぶかどうかの判断が必要だもんね、と頭の一部分で妙に冷静に考えながら「どちらとも大丈夫です」と伝える。
衝撃はあったものの、幸いどこにも怪我は無かった。
ご婦人にも怪我は無かった。
それから電話口で詳細を尋ねられた。
 
車は安全な場所に移動しているか。
どんな状況の事故なのか。
事故現場はどのあたりか。
 
与えられた質問にひとつひとつ答えていくと、だんだんと落ち着いてきた。
 
この後に部長に電話して、事故に遭った旨伝える。
それから総務に連絡して、保険の手続きについて確認する。
そして、保険会社に連絡する。
 
そうすれば、大丈夫。
 
電話を切って、ご婦人に「今、警察を呼びました」と伝えた。
「ありがとうございます。どうしましょう、これからダンスの教室に行く予定だったの……車検もあと少しだったのに……ああ、どうしよう、子どもに怒られる……」
この状況でダンス教室の心配か、と思ったけれど、私だってこの後の仕事の心配をしているのだからお互い様か、と、また妙に冷静な頭の一部分で考える。
人間、予想外の出来事に遭遇すると、その出来事そのものとは違うことに意識が向いてしまうのかもしれない。
「会社に電話するので」とその場を離れ、自分の運転していた車へ戻って部長へ電話した。
部長はびっくりしながらも「大丈夫ね? 昼からの用事は分かったよ」と声をかけてくれ、続いて連絡した総務部長は、「心配だからそこまで行くよ」と言ってくれた。
会社から教えられた保険会社に電話して事故の状況を伝えると、「大変でしたね、お怪我が無くて何よりです」と言われた。
 
たくさんの人に報告して改めて、「私、事故したんだ」という実感が湧いてきた。
なんてツイて無いんだ。
そう思ったけれど、反対に「良かった」とも思った。
 
大事故じゃなくて良かった。
二人とも怪我していなくて良かった。
生きてて良かった。
 
 
車の後ろに回ってぶつかった場所を確認すると、左後方にへこんだ跡があり、車体がタイヤのホイール部分にめり込んでいた。
ご婦人の車は、車体前方のランプが割れている。
結構な衝撃があったのだということが分かる。
通り過ぎていく車からの視線をガンガンに浴びながらしばらく待っていると、パトカーが到着した。
 
その後は、テレビで見るような光景が続いた。
警察の方の内一人が、先に車輪のようなものが付いた長い棒を持って、くるくると何かを測っている。
それを横目に見ながら、もうひとりの方の質問に答える。
 
片側二車線の中央線側の車線にいたこと。
前の車が右折待ちをしていたので、その後ろに停まったこと。
前の車のタイヤが見える位置に停車していたこと。
しばらく待って、前の車が動き出そうとしたところ、後ろから衝撃が走ったこと。
 
「状況から察するに、おそらく時速40キロくらいでぶつかったのではないかと思います」
 
現場の調査を終えた警察の方が、私たちにそう伝えた。
時速40キロというとまあまあのスピードがある。
今回は、ご婦人が直前で私の車に気付いてとっさにハンドルを切っていたこと、そのおかげで車体の一部分同士だけの接触で済んだことが、怪我が無かったということに繋がったようだ。
少しでも状況が違っていたら、真後ろからの追突だったら、二人とも怪我をしていたかもしれない。
改めて考えると冷や汗が出る。
 
程なくして保険代理店の方、会社の総務部長、レッカー車が順番に到着し、あわただしく事故処理が進んでいった。
今回の事故は、私の車は完全停車中、しかも急ブレーキを踏んだわけではない、というところから過失割合は10対0で、ご婦人の方が10割の過失、ということになった。
追突したご婦人の方は「少しぼーっとしていて、気付いたら目の前に車があった」と言っていた。
警察の方から、「急に停まったわけでは無いので、もっと早くに気付けたはずですよ。お相手に怪我があったりすれば免許停止にもなるんですよ」と諭され、肩を落としていた。
聞けば、年齢は80歳だという。
高齢ドライバーの事故が相次いでいる、と耳にするけれど、「車が無いと生活出来ないような場所に家があるんです」というご婦人の言葉も納得できるし、なんとも言えない気分になった。
 
「お相手の方と連絡先を交換しておいてくださいね。この後の処理は基本的には保険代理店同士のやりとりになりますが、直接当人様同士で連絡することもあると思うので」と代理店の方に促され、ご婦人と電話番号を交換する。
「本当にすみませんでした」としょんぼりするご婦人と、ご婦人側の保険代理店の方を残し、総務部長と一緒に事故現場を後にした。
 
「心配だから、念のため」という総務部長の言葉をありがたく頂戴して、その後そのまま病院にかかり、レントゲンを撮ってもらった。
検査結果は異状なし。
様子を見ましょう、ということになった。
会社に戻ったのは、事故から5時間ほどが経過した後だった。
 
会社に着くと皆口々に「大変だったね、大丈夫だった?」と声をかけてくれた。
不謹慎だけれど、まるで、骨折した子が注目を集めてなぜかヒーローみたいになる、小学校の教室みたいだな、と思った。
事故からだいぶ時間が経ったけれど、あの衝撃や事故処理の様子が頭から離れない。
頭はしーんと静かだけれど、ずっと色々な人達としゃべりっぱなしで、変な興奮状態に入っていた。
「事故直後は興奮しているのもあって痛くないかもしれないけれど、少し経ってから痛みがでてきたりするから、気を付けてね」
私も以前事故に遭った時そうだったから、とひとりが声をかけてくれた。
 
その後も、会社で誰かとすれ違うと「事故に遭ったんだって? 大変だったね」という会話になり、ひとしきりその話をする、というのが数日続いた。
その中で、分かったことがある。
 
私が想像している以上に、事故に遭った経験がある人は身近にたくさんいる、ということだ。
 
追突した・された、曲がるときに直進車とぶつかった、自損事故をした、それぞれ状況は異なるけれど、「実は私も、事故に遭ったことがあってさ」と打ち明けて下さる人の多いこと。
その度に、「大変でしたね、無事で良かったですね」と言い合い、自動車事故というのはごく身近に存在する脅威なのだ、ということが現実として私の目の前に立ちはだかった。
 
免許を取得して約14年。
ペーパードライバーだった期間も長いけれど、今では毎日のように車を運転している。
「私は気を付けて運転しているから」
「そんなにスピード出さないし」
なんて奢っていると、きっと足元を掬われてしまう。
どんなに注意していても、生き物なのだから、ふとした瞬間に注意を持っていかれてしまうことだってある。
だんだんと運転に慣れてくると、漫然とハンドルを握ってしまう日もある。
それに、自分がどんなに注意していたとしても、相手が注意をしていなければ事故になることだってある。
ひとたび道路に出れば、たくさんの人がそれぞれの車を動かしている。
その中には、少し具合が悪いけど無理して運転している人がいるかもしれないし、急いで移動しようとイライラしている人もいるかもしれない。
 
“絶対に、事故はしない”
なんて言いきれる人はいないはずだ。
 
「私は事故なんて遭わないし」と、脳内お花畑状態で運転していた過去の私に、喝を入れたい。
 
事故に遭う可能性は、誰にでもある。
自分が被害者になることも、加害者になることも、どちらも十分あり得る。
 
自分が動かしているのは、人の命をも奪う可能性がある鉄の塊なのだ、ということを頭の隅に置いておかないと、取り返しのつかないことを引き起こしてしまうかもしれない。
 
幸い、死を意識するほどの大事故では無かったけれど、この思いがけないトラブルから改めて、自動車の恐ろしさを知った。
 
そして、追突事故だと気付き、ハンドルを握る自分の指が震えているのを意識したあの瞬間、「あ、私生きてる」と思ったことはきっと忘れない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
中川 文香(READING LIFE公認ライター)

鹿児島県生まれ。
進学で宮崎県、就職で福岡県に住み、システムエンジニアとして働く間に九州各県を出張してまわる。
2017年Uターン。2020年再度福岡へ。
あたたかい土地柄と各地の方言にほっとする九州好き。
 
Uターン後、地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、まちづくりに興味を持つようになる。
NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPマスタープラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。
 
興味のある分野は まちづくり・心理学。

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2021-05-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.129

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