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死にたてのゾンビ

ぼくらはみんな死んでいる《不定期連載「死にたてのゾンビ」》

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2021/05/10/公開
記事:三景夕季(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私は死んだ。それはほんの小さな願いで、積年の願いだった。
けれど私はむざむざと生き返って、この文章を書いている。
 
経緯は後述するが、私は死ぬことによって、ある真理を見つけた。
「人間みなゾンビ」なのだ、と。
 
さて、私は死んでいた――と言うと少し驚かせてしまうかもしれないので、まずは私の死について説明させてほしい。ここで言う死は肉体的な死ではない。精神的な死でもない。自分で自分を傷つけたという意味でもない。私が言う死は、おそらく現代人にはよくある死だ。
私は先日死んだのだが、正しくは「先日“も”死んだ」のだ。先日の死についての理由を述べるならば、それは「文章を書くのに嫌気がさしたから」だ。
 
今こうして記事を書いているライターズ俱楽部は、一週間に一本の課題提出がある。文字数は5,000字、お題も設定されている。この講座の基礎講座にあたるライティング・ゼミの課題は2,000字かつフリーテーマなので、単純に字数だけで見積もっても、ライターズ俱楽部はライティング・ゼミの2.5倍の難易度を誇る。
それだけが要因ではないけれど、その難易度のおかげもあって、私は努力虚しく死んでしまった。現に先週と先々週は、課題を放り投げて趣味に逃避することを選んだ。
 
いや、はじめの方は根気だけでなんとか頑張っていたのだ。詳細は省くが、私は自分が得意だと自認できるのもは文章くらいしかなかったものだったから、どうにかそれを向上させたかった。せっかく受講し始めたのだから、と頭に鉢巻を巻く勢いで奮起した。推しを推すに足る人間であれば課題の一つや二つこなせなくてどうする、と自分を𠮟咤した(推しがいる人間は、こうやって自分の中のエンジンを起動することが多々ある)。
けれど根気だけでやっていけるほど人間は単純ではない。書けども書けども成長の実感を得られない自分に苛立ったし、推しを推すに足る人間でいたってこのご時世だ、推しを観に行ける機会は早々ない。誇らしい自分で推しに向き合う機会がそもそもない。無報酬でもなにかに取り組み続けられる人間は、よっぽどの狂人だけだろう。
何かを極める過程とは得てして苦しい時期が続くものだと、頭では分かっていたつもりではあった。あったが、現実は想像をやすやすと超えてきた。いくらエンジンが動いていようと、ガソリンがなくなれば自動車は走らない。成長もささやかな褒美も得られない日々を前にして、私の心はお祭りの型抜きの型になってしまった。画鋲で一刺しすればたちまち全体を貫くようなヒビが入ってしまうような、脆く繊細なそれに。
 
そういったわけで、私はあっさりと死んでしまったのだ。事故に遭ったわけでもないし、どん底に突き落とされたような絶望でもない。しばらくじっとしていれば癒えるような傷だ。だから死んだというには、少々大げさなのかもしれない。けれど現代人、とりわけ現代の若者はよく死ぬ。楽しみにしていたテレビ番組の録画が上手くいっていなくて死ぬし、教科書を忘れて死ぬし、推しの顔がよくて死ぬ。ちょっとした恥をかいて死にたくなったりもする。私の死はそれらと同様のノリであり、ライトな死だ。SNSに書き込むように言うのなら、「文章書くのつらい、死」みたいな雰囲気だろう。
 
とはいえ、死んでいたことに関しては何も後悔していない。いや、課題を出さなかったために成長の機会をいくつか捨ててしまったことは少しもったいないと思っているけれど、課題以外の点においては、死んでいて良かったなあとさえ思っている。今こそライトに死んでみせている私だけれど、似たような事態に遭遇した昨年の私は、これほどライトに死ぬことができていなかったからだ。
昨年の私は、自分の人生至上最大の挫折を味わっていた。かつて別記事にも書いたことがあるのだが、要約すると「絵の練習に邁進するも、無理な努力をした結果身体が拒否反応を起こし、練習しても上手くなれない自分に絶望し、そんな自分と毎日を楽しんでいる周囲の人々とを比較しめちゃくちゃ落ち込む」という不健康極まりない挫折をしていた。絵が描けないくらいでなんだとか、周囲と比べるなんて馬鹿だとか言わるであろうことは重々承知している。けれどこの挫折から立ち直るまでには結局3、4か月を要し、その間SNSのアカウントを消去したりしているので、当時の自分にとってはこれ以上ない挫折体験だった。
それが効いた。かつての挫折が抗体になったのだ。
昨年は絵が描けなくて死んだ――つまり、何かかができないことが苦しくて死んだ。つい先日は文章が書けなくて死んだ。昨年と先日とではできないことの種類こそ違うけれど、悩みの根幹は同じだ。であれば、次に打つ手を私は既に知っていることになる。それを知っていながら活かさない手はない。
自分の心から発せられるSOSをいち早く察知した先日の私は、昨年の死因を参照し早い段階で手を打つことで、致命的な死をライトな死に抑えることができたのである(その過程で、二週間課題を提出しないという荒療治――いや、戦略的撤退を行った)。
 
さて、ここまで私が体験したライトな死について話してきたわけだけれど、この感覚はある程度共感してもらえるものだと思っている。私の好きな短歌にも、このようなライトな死の感覚について的確に表した歌があるのだ。
 
「もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい」(岡野大嗣『サイレンと犀』)
 
はじめてこの歌を目にしたとき、唸った。まさしく「それ」なのだ。私たちは確かに、死にたいと思う。けれど永遠の/完全な死に沈んでしまうことを望んでいるわけではなくて、頃合いを見計らって、また海面に浮上したいとも思っている。
この歌についての鑑賞文を寄せている『短歌タイムカプセル』において、同首は「『死にたい』は実のところ『生きたい』という叫びの裏返しだ。過去が消えれば生き直せるのにという人生リセット願望を、この歌の後半はユーモラスに言い当てる。虫の良い、軽い呟きに見えながらも案外、『死にたい』と思ったことがある全ての人への優しい慰めにもなっているのではないだろうか」(佐藤弓生)と評されている。
理由は分からないけれど、私たちは無意識的/本能的に、生きたいと願ってしまうことがある。その衝動は生きたいという願いだけが発露するのではなくて、正反対の願いとして噴出することもままある。このままの停滞状態で生き続けるくらいなら、現状をリセットして、ニューゲームをプレイしたい。そうすればきっとこの状況を打破することができる……と考えるからだろう。そして私たちは「死にたい」と願い、死に、ほとぼりが冷めたあたりで生き返るのだ。
 
私たちは、エンドレスの輪廻転生を繰り返している。教科書を忘れて死にたいと思った数時間後には隣の席のクラスメイトと机をくっつけて授業を受けているし、推しの顔が良くて死んだ次の瞬間には生きるための活量をもらっている。私たちは毎日毎秒死んでいて、毎日毎秒生き返っているということになる。
ところで、漫画『めだかボックス』(原作:西尾維新、作画:暁月あきら)の外伝である『グッドルーザー球磨川』には「継続する死は永続する死」なる言葉が出てくる。詳細は省くが、球磨川禊(くまがわ・みそぎ)は自身の死を否定し生き返る能力を持っているため、死ぬことはない。しかし彼に敵対するキャラクターは、「生き返るたびに殺し続ければ、それは死と同義ではないのか」と問うのだ。
私たちは毎日毎秒死んでいて、毎日毎秒生き返っている。『めだかボックス』語録に当てはめればそれは「継続する死は永続する死」であり、つまり私たちは死人だ。しかし私たちの死はライトなそれであるから、実際にはその後も日々は続いていく。「ほとぼりが冷めたころには生き返」り、そしてまたライトに死に、生き返る。こんな私たちは――ゾンビと呼べるのではないだろうか。
 
オールウェイズ・ゾンビである私たちはみな、翻って死後の世界で余生を過ごしている、ということになる。昨日も今日も、明日だって死に続けている私たちは、人生いついかなる時も死にたてのゾンビだ。
たかが余生、されど余生。死にたての自分で過ごす余生の先はまだまだ長いだろう。先行きの見えない日々に及び腰になってしまうことだってあるかもしれない。けれどライトに死んできた私たちは、大体の物事に対しては程度の抗体を持っている。ましてや私たちはゾンビなのだから、今は余生なのだし、仮にライトに死んでしまってもいつだって生き返ることができる。だからたとえ死を直感するような何かが目の前にあったとしても、可能な限りそれに触れていきたい、とゾンビたる私は思ったのだ。思うままに死んで/生きていくために。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
三景夕季(みかげ・ゆうき)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

埼玉県生まれ。社会人四年目。
昔から文章を書くことは好きだったものの、あくまで趣味の範疇であったため極めようとはしていなかったが、一念発起して天狼院書店のライティング・ゼミを受講。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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