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親の通帳を預かる


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:喜多村敬子(ライティング・ゼミ超通信講座)
 
 
ご両親が高齢になってくると、
生活や介護、それを支える財産がどうなっているのか
心配になってくるのではないだろうか。
親の介護費は親自身の財産で賄うのが、
昔と違って、今の少子高齢社会の常識になってきた。
認知症の気配がみられると、家族などによる財産管理は必須になってくる。
11年前、その認知症が私の当時70代の両親にも始まった。
そして、今、私はその通帳を預かっている。
どの様にそうなったのか、ご参考になればと思う。
 
関西の両親の子供は私と妹。
2人とも家庭を持ち、当時も今も関東に暮らしている。
両親の様子がおかしいとなった時から、
毎週それぞれが実家に電話をかけることにした。
電話と帰省の記録をワードのファイルにして、情報を共有した。
電話では年相応に問題なく暮らしているようだったが、
帰省すると、父はもう既にお土産代にでもとくれたお金を、
繰り返し渡そうとした。
 
親類でもある両親の掛かりつけ医に相談した。
検査の結果、両親に認知症が始まっていることが分かった。
母は状況を受け入れたが、父はその話を聞く気もなかった。
かつて母は、認知症の父方の祖父母宅に単身赴任して介護をし、
認知症の家族会に入っていた。
その母は、自分たちの変化を気づいていたのだろう。
もしもに備えてと、通帳と印鑑のそれぞれのしまい場所を、
帰省の度に教えてくれた。教えてことを忘れて、何回も。
そして、後見人になってほしいと言った。
その後、医師の勧めと母の希望で、ホーム探しを始めた。
 
妹も私も、実家まで新幹線などで片道4時間。
帰省の回数と一回の滞在日数は段々増えて行った。
妹と一緒の時も、各自で行くこともあった。
 
認知症あるあるが実家にもあった。
母は、同じ食品を無駄に沢山買い、ゴミの出し忘れ、洗濯物の干し忘れ。
両親揃って、飲み忘れた残薬がデパートの紙袋に一杯。
当初、父は家事をしない分だけ症状が分かりにくかった。
家事をする母の方が、手際が悪くなっていくのが細々と目につくのは道理だった。
 
父はかねがね、経済的な心配はないと言い、
株や預金の一覧表を見せてくれていた。
確かに金額的には、とりあえず心配はなさそうだったが、
物忘れが進むと、その管理が問題になってきた。
 
父は、生活費などを下ろしに、
徒歩10分もしない近くのA銀行に行っていた。
下ろしたことを忘れて、日に2度も行く。連日行くことも。
まだまだ足腰が丈夫だった父は、「ちょっと行ってくる」と出ていく。
通帳と、家で記入・押印した「引き出し依頼書」をバッグにも入れずに、
そのままで持って行くのが、危なっかしい。
 
自分は十分に自立していると思っている父に、
買い物ついでの振りをして、A銀行について行ってみた。
小さな支店に父が入店するや否や、
父の顔を見たベテラン風の女性行員がサッと窓口にやって来た。
その様子から、丁寧な対応の中にも、
父が要注意人物になっていることが分かった。
頻繁に来るので、銀行が変に思うのは当然のことだ。
元々ATMに不慣れな父は、いつも窓口で預金を引き出す。
この時は、書き間違えた数字の上に、
重ねて数字を書き直した依頼書を差し出した。
訂正印が必要だと言われ、「なぜ印がいるのか」「今持ってきていない」
「自分で書いたのだからいいではないか」とゴネる。
銀行としては、訂正印もなく書き直した書類でお金を渡せない。
不備のある書面で手続きはしないのは金融機関の鉄則だ、責任問題になりかねない。
大声は出さないが、父は強く言い張る。
私は、「もしも間違ってお金を渡してしまうのを防ぐためだから」
「急ぐものではないから」となだめて、一緒に家に帰った。
この時、父が普段から随分と、
銀行に迷惑をかけていることがはっきりと分かった。
私が娘だと分かった時の、行員がホッとした表情が印象的だった。
後から、再度一人でA銀行へ行き、
長女であることと父の事が気がかりであることを伝え、
連絡先を渡した。
 
いったい、預金に何が起きているのか。
父が通帳を保管している2階の書斎で、父の目を盗んで、通帳を開いた。
今ここでじっくり見ている時間はないと、
写メは不調で、書斎のコピー機を借りた。
まるでスパイ映画の様で、
自分がこんなことをするなど、想像したこともなかった。
しかも、実家で、である。
階下から父が来るはずがないタイミングを狙ったのだが、
見咎められたらどうしようかとドキドキした。
健常な時でも見つかったら大変なのに、
認知症で猜疑心が出て来た父に見つかったら、
どれだけややこしいことになることか。
こんなことぐらいでビクついて、
自分には到底、映画のようなサスペンスは無理だと思った。
この口座は、以前は引き出しが月1回だったのが、数回になっていた。
それには波があったが、ある時期から急に回数が増えていた。
当然、残高の減りが以前より早くなっていた。
 
ここはお財布代わりの銀行で、メインバンクではなかった。
父がやたらに下ろしたお金は、
母が預かって、仕舞って、夫婦で忘れていた。
幸いにも、不要な羽根布団等の不審な購買行動の跡も、
妙な支払いの痕跡もなかった。
お金は、家の中のそれなりの所から、
度々私たちに発見され、母に渡された。
娘たちで口座に戻しておくこともあったが、父は気にならないようだった。
全体として、家からお金が流出していないと思われ、危機感は薄かった。
頻繁に父が使う通帳を預かるとなれば、大騒ぎになるだろう。
メインバンクに比べれば残高はずっと少なかったので、
もしも残高0円になったとしても仕方がないと腹をくくった。
問題は、両親の老後を支えるまとまった預金がある
メインバンクのB銀行だった。
 
B銀行へは電車で1駅だったので、両親はあまり行かない。
その為、長い間記帳されず、どうなっているのか分からなかった。
この口座は死守しなければならない、通帳を預からないと。
そこで、一か八か、
「普段使わない口座なので、私が通帳だけ預かっていた方が安全ではないか」
と父に提案した。
母は、娘たちに通帳を預け、
必要に応じて娘付き添いで銀行に行くのが安心と思っていた。
だから、助け船を出してくれたが、父は即刻却下した。
 
この後、このメインバンクB銀行でひと騒動あった。
銀行に勧められて、預金の大半を両親が金銭信託にしたのだ。
 
「銀行から勧められた信託を断ったはずなのに……」
事が発覚したのは、母からの相談だった。
契約したのかどうか、両親ともに記憶があいまいだった。
書類を確認すると、長年続けた定期預金が丸ごと金銭信託になっていた。
銀行に問い合わせて、分かったのはこんなことだった。
 
担当者が訪問、使う予定のない定期預金に金銭信託を勧めた。
説明を聞いて、母が良い商品だと父に言い、契約。書類もきちんと父が記入した。
契約者が高齢の場合は、説明に家族の立ち合いと、支店長の確認が必要である。
そして、母が一緒に説明を聞き、支店長も同席していた。
契約に自信がなくなった父が後で電話をして、再説明を受けて、承諾した。
 
実家の電話は、これ以前に全通話が録音されるものに買い替えていた。
そこで銀行との通話を聞いてみた。
きちんと説明があり、父がはっきりと承諾していた。
その会話の様子は全く普通だった。
 
私はB銀行に事情を説明しに行き、契約内容の確認をした。
両親ともに自分たちがやったことに自信がなく、
私が通帳を借りて出向くことに何の抵抗もなかった。
むしろ、「頼む」という事だった。
久しぶりの記帳もして、金銭信託以外は、問題がない事が分かった。
しかし、そのままずっと預かるのはできなかった。
 
銀行との話はスムーズにいった。
実は、この2カ月前に、父を母が説得して、
私たち姉妹が後見人になるための
任意後見契約の公正証書を登記していた。
この契約をもとに家裁に申し立て、
正式に任意後見人になる仕組みだ。
この証書を持参したので、
私の身元と立場がわかり、信用してもらえた。
 
この頃の両親は、ちょっと話したぐらいでは
理解力に問題があるのが分からないことがあった。
夫婦揃って認知症が始まっていると知り、銀行側は内心慌てたようだった。
その信託は、たまたま、金融関係の夫が調べて、
自分でもやってみようか思ったことがあるものだった。
なので、変なものではないことは分かっていたし、
一年物で、難しい判断は要らなかった。
解約金が高いので解約はせず、自動継続はしないことを確認した。
一年後、説明通りの定期預金より高い利息が付いて、口座に振り込まれた。
これで一件落着した。
しかし、「これが証券会社から勧められた株で、暴落したら」
と思うとぞっとした。
 
こんな両親が、老後を支える柱のこの口座で、
さらに何かしたら怖い。母の口座もある。
そこで銀行に相談した。
この支店の窓口での引き出し金額に上限を設けられ、
それ以上の金額の場合は家族に連絡をもらえると分かった。
普段は遠くに離れて住んでいるので、
その時に私に何ができるか分からなかったが、
少しでも術があればと思った。
これを聞いた母は、父の耳に入るとややこしいからと言い、
私と二人で利用を決めた。
私が思ったより10万円少ない限度額を母が希望して、そのように手配した。
限度内で何回も下ろされる危険性はあったが、対策がないよりましだ。
カードについては、母は自分の暗証番号を忘れ、
父は作っていなかったので、使う心配はなかった。
私と同年配の担当の女性行員に、「いろいろ大変ですねぇ」と労われた。
 
結局、両親がB銀行に行くことがないまま、
私がその通帳を預かることができた。
実家の医療費控除の確定申告を例年のように私が済ませた時、
いつも世話になると両親は恐縮した。
その雰囲気に乗じて、通帳を預かった。
振り込まれる医療費控除の還付金や、
税金や公共料金の引き落としを、
私が記帳、確認するのはどうか。
印は預からないので、引き出しはできず、記帳だけだから。
わざわざ電車で一駅行かなくてもよくなるしと、畳みかけた。
色々なことが面倒になっていた父に、これがアピールしたらしかった。
母も加勢してくれた。
父から通帳を頼むと手渡された。
経緯を書いた預かり証に、父の確認の署名をもらい、渡した。
妹に知らせると、「お姉ちゃん、やったね! どうやったの!」と言われた。
でも、こんななし崩しの説明の効力は一時的だ。
 
私が自宅に戻った後、
父が「通帳がない、敬子が持って行ったのか」
と気にしていると母から電話があった。
父だけでなく、母も経緯があやふやになっているようだった。
説明すると、「やはりそうよね」と母が言った。
 
妹が帰省すると、預かり証は行方不明になっていて、
通帳がないと父がかなり心配そうな様子だった。
両親はひそひそとそのことを話していた。
「婿の仕事が金融関係だから……」
「お前には言っておくが、敬子が通帳を持ち出してな……それだけのこっちゃ」
などと妹は何回も父から聞かされた。
「B銀行の通帳を敬子が持ち出した」「敬子に注意しなければ」
というメモや張り紙そこら中にあった。
預かり証は見つからず、妹は何度も説明を繰り返した。
 
もちろん、通帳は預かり続けた。
両親が見て安心できるようにと、
説明付きの預かり証、両親自筆の確認メモ、
通帳の最新コピー、税金の通知等を綴じたピンク色のファイルを渡した。
何度も説明を繰り返すうち、事情は母の頭には収まったようだった。
通帳がないというメモがあちこちにあった。
父が見ると、また思い出して話をぶり返すからと、
妹と私は見つけ次第、回収した。
 
帰省の度に、父にピンクのファイルを見せて、繰り返し説明した。
ファイルは存在自体忘れられ、行方不明になりがちだった。
父は、「通帳を次回は持ってこい」と言いながら、
すっかり忘れていることもあった。
説明してもすぐに忘れて、「通帳がない」と家族を呼んだ。
 
その時々に合わせて対応していくだけ、深く考えても仕方がない。
母は協力的で、父はいつも説明すれば、納得した。
詰問、怒鳴られることがなかったのは、幸いだ。
多くの介護する家族は、そんな目によく遭うのだから。
 
もう一つのA銀行の通帳は、どうなったのか。
 
母の決断で両親が関東のホームに入る時に、回収した。
掛かりつけ医、父の元部下・実弟が、
ホームへの住み替えを父に説得に来てくれたが、
父は受け入れなかった。
そこで、関東の父のいとこがちょっと前に亡くなったので、
弔問に泊まりがけで行こうと実家から連れ出した。
両親と私の3人で実家を後にした。
父の弟が新幹線で合流、ホームまで付き添ってくれた。
旅先にまで通帳を持っては行かない。
いつもの所から印鑑通帳一式を私が持ち出しておいた。
母は私が預かることを承知していた。
もうこの家に父が戻ることはないだろうことは、皆が察していた。
父だけがそれを知らなかった。
出かけることだけで頭が一杯だった父は、
もう通帳の事は気にしていなかったし、帰宅して探すこともない。
A銀行の残高は、あと数ヶ月持つぐらいしかなかった。
 
両親がホームに移り住んだ後、
私と妹は家裁に両親の任意後見人になる申し立てをした。
家裁が決めた監督人の弁護士の下、両親の後見を始めた。
銀行に後見を届け出て、正式に通帳を管理している。
 
ホームでは、父が時折、通帳のことを母に聞いていた。
「娘たちがきちんとやってくれている」
「色々な支払いもしてくれている」と母が説明した。
何か支払いがある時には、
母はいつも「お父さんの所から払っておいてね」
と私たちにそっと言った。
父の「通帳」問答は収まっていった。
今も両親はホームに暮らしている、症状は進んだ。
もう、父は通帳のことは頭にないようだ。
 
母はいつも父の意向を汲みながら、
父が働きやすいように、暮らしやすいようにしてきた。
家事、育児、義両親の介護を一手に引き受けてきた。
老後の前半戦、父は言っていた、
「母は完璧だ、蓄えもある、自分の面倒は自分たちで見る。
先々の事はちゃんと考えている」と。
どんな事を考えているのかと尋ねたが、答えが返ってくることはなかった。
「6歳年下の完璧な妻と自宅で最期まで暮らす」つもりだったのだろう。
父には後見もホームも「圏外」だった。
今、老後の後半戦、
父の意向とは逆の母の希望通りになった。
 
 
 
 
***
 
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2021-08-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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