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メサイアコンプレックス(救世主妄想)は武器になる


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記事:majyo(ライティング・ゼミ集中コース)

メサイアコンプレックス(救世主妄想)について、初めて知ったのは1999年介護保険が始まる前の、介護事業の研修だった。

「メサイア」とは、「メシア(救世主)」を意味する。簡単に言うと無意識のうちに自分が救われたいがために、誰かを救おうとする。必要とされる自分でいるために、困っている人を助けたい。誰かの役に立つことでした自分の価値を感じられない。
対人援助職に多く、その根底には、自分に対する劣等感と承認欲求がある。

あまりに衝撃的すぎて言葉を失った。
これって、まさに私のことかもしれない。
自分ではうまく言語化できなかった、自分の気持ちがスパッと見透かされた気がした。
人より秀でるものが何もない自分、誰かの役に立つことでした自分の存在価値が見つけられずにいた。
更に、その時の私は、救急病院勤務で突発性難聴になり聴力を無くしてやっと自分にかかっている負荷に気づいて転職をしたばかりだった。
かろうじて日常生活に支障がない程度には回復したものの、もとの聴力には戻らなかった。

経験を生かして、負荷を減らして介護業界へと転職して初めて自分のコンプレックスに向き合うことになる。これは慎重に、注意して働かなくてはと思ったはずだった。

病院ではあくまでも医者の指示に従って、看護職員として自分の出来ることをすればよかった。介護の現場では、看護師としてあるいは管理者として自分の判断を求められることが多くなり、メサイアコンプレックスが加速した……様な気がした。

でも、実際は違った。
加速したのではなく、避けてきた自分の本質と向き合うしかなくなっただけだ。
介護の仕事は自分の限界を見せつけられる。
何が何でも救おうとすればするほど、ただ、から回りをすることの連続だ。
病院や施設なら24時間カバーすることが出来ることも、在宅介護の中で自分たちのチームが関われる時間はほんの一部でしかない。
必死になる自分をよそに、家族どころか利用者からも望まれないことすらある。

自分の時間を削ってがむしゃらに働くことで救おうとしていたのは、まぎれもなく自分自身だったことが今ならよくわかる。

患者の為に……、お客様の為に……という大義名分で、私は喜んですべての時間を差し出した。私だけでなく、同僚の何人かもまた同じだった。
介護保険が始まって数年の間に何人もの同期入社や、同僚がバーンアウトで働けなくなり、メンタル不調で退職していった。

全く家庭をかえりみる余裕のなかった私の結婚生活は破綻し、体調を崩してついには仕事にも戻れなくなった。

思い返せば、仕事に限らず、いままでもずっとそうだった気がする。

友達の相談があればどんな夜中でも何時間も付き合い、自分のことも家族のことも重きを置いかず、無理ばかりを重ねていた。
しかも、何でもないふりをするのが得意ゆえに、その負担感は誰にも気づかれることもなく、またそれが私の自信にもなっていた。
無理していることを悟られるは嫌だった。
自分を愛してくれるはずの夫より、両親より、誰に必要とされたかったんだろうか。

いったい誰に認めて欲しかったのか、必要として欲しかったのかさえわからないのに。
いつも私はもがき続けた。もがけばもがくほど、酸欠になって溺れていくようだった。
絡みつく不安と劣等感でどんどん身動きが出来なくなる。
業績を上げても、お客様から感謝されても、更に上に、もっともっと……。

あがき続けて、ついにはある朝起き上がれなくなった。

気が付けば、時間に追われてばかりいる私には、困って相談したい時だけ連絡してくる人しか残らなかった。
本当に困った時にこそ相談してくれるのが友達だと疑わなかったけど、実際は違った。

何のメリットもなくても、何の利害関係もなく一緒に過ごせる人こそが友達だ。

何度恋愛をしてもうまくいかないのは、尽くすことにだけ夢中になって相手のことを何も見ていないからだということにも、やっと気づいた。
尽くし続けることで、それが相手には普通になり、当たり前にそれ以上を求められるようになる。背伸びして無理をし続けている私にはすぐ、限界が来る。
本当の自分をさらけ出せない恋愛がうまくいくはずがない。

何の魅力も持たない自分が逃げ道として、役に立つ自分でありさえすれば愛されると信じたかった。単なる都合のいい人になるだけだというのに。

本当に誰かを救いたいと思うなら、まずは自分が救われていないと無理だ。
誰にも愛してもらえないからこそ、自分で自分に愛を注いて幸せにする。
誰にも抱きしめてもらえない時こそ、自分で自分を抱きしめるように大切にいたわる。

そんな当たり前のことに、気が付くまでにかなり時間がかかってしまったけど、今度こそ自分と向き合うことが出来そうな気がする。

メサイヤコンプレックスは対人援助の在り方をゆがめることもあるけと、しっかり克服することが出来れば、その経験はきっと無駄にはならない。
沢山の苦い失敗も、苦しみも、味わったことのある人にしかわからないものだから。

私にしかできないことがあるはず。
そう考えて、カウンセリングを学び始める。


2021-12-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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