fbpx
メディアグランプリ

祖母が亡くなって涙が出なかった日


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:高木優加(6月ライティングコース)
 
 
毎年この時期になると、祖母のことを思い出す。
 
「富山から老田まで逃げてこられた人達の長い長い行列が国道にできてね。ばあちゃんは、お母さんと近所の人と塩ふっただけのおにぎり一生懸命配ったがよ」
 
あまり知られていないが、私の故郷である富山は、第二次世界大戦において、広島、長崎に次ぐ空襲の大きな被害を受けた地方都市だ。1945年8月1日の深夜、富山市の中心部が空襲の対象となり、10万人以上が罹災し、2000人以上が亡くなったそうだ。私は、祖母から空襲の時の話を聞いて、厳しい時代を逞しく生きた祖母を誇りに感じたものだ。
 
そんな祖母は、私なんかからすると波乱万丈な人生を生きた人だった。
先祖代々の地主業を継いだ祖父と結婚し、叔母と父親の二人の子供を育てた。一時期は羽振りがよかったようで、叔母は幼き日に「お嬢様」として百貨店で優待を受けたことを時々嬉しそうに語って聞かせる。ところが、経営者としてはお人好しに過ぎた祖父が、事業のパートナーに騙されて、巨額の借金をこしらえ、会社を倒産させてしまった。祖母は、家に借金取りに押しかけられ、住んでいた家を手放さなければならなくなり、叔母と父を連れて住所を転々としながら、いろんな仕事をし、知人に頭を下げてお金を借りて、今の私の実家を立てたそうだ。
 
このような苦労をした祖母は、初の内孫である私の誕生を非常に喜び、「宝だ」といってそれはそれは大事にしてくれた。そして、両親が共働きであったこともあり、私は0歳の頃から祖母と寝起きを共にし、衣食住の世話をしてもらっていた。
 
祖母は、私が生まれた頃は実家の近所の公務員宿舎の寮母として働いていた。そして毎月の給料日には、私を連れて庁舎に行って多くはない給料を受け取った後、お決まりの回転寿司屋で昼食を食べ、その後、近所の本屋に寄って、『マンガ日本の歴史』などの本を私に1冊ずつ買い与えたものだった。
 
別にいい思い出だけではない。我が家の嫁姑関係は決して良くなく、祖母と母親との口喧嘩は日常茶飯事であったし、「(母親は)ヒステリーで鬼の様で恐ろしい人だ」などと私に吹き込み、また、祖母に大きな苦労をかけた祖父には、顔を合わす度に罵詈雑言を投げかけていた。そんな時、私は言い返すことも止めることもできず、ただ祖母の怒りが静まるのを待っていた。
 
良くも悪くも幼かった時の私にとって、祖母は全てであり、時々祖母が死んだらどうしようと妄想しては布団の中でメソメソと泣き、祖母に笑われたものだった。
 
そんな祖母との関係が変わったのは、私の中学進学がきっかけだったと思う。
私は幼い時おとなしく、小学校では少しいじめられたりして、つまらない毎日を送っていたのだが、中学校に入学してからは、友人や先生に恵まれ、勉強や部活などの学生生活に夢中になっており、祖母と過ごす時間も少なくなっていた。
 
そんな中、私が中学1年生の終わり頃、祖母が急に体調を崩した。最初は、背中が痛いと言って整骨院に通っていたが、検査をしてみたら末期のすい臓がんだった。祖母は体調が悪くなってから凄く死ぬことを怖がり、泣きながら「もう死ぬんかな」と私に聞いてきた。私は祖母ががんであることを知らされていなかったこともあったが、中学校での新しい生活にすっかり気を取られており、「大丈夫だよ。まだ若いのに死ぬわけないじゃん」とだけ返し、祖母の不安な気持ちに、十分に寄り添うことができなかった。
 
そして、中学2年の1月の最終土曜日、学校で父から「ばあちゃんが死んだ」という電話を受け、早退して家に帰った。家に帰ると、祖母の遺体がすでに座敷に寝かされていた。まだ65歳だった。その時のことはほとんど覚えていないが、私ほど祖母との関わりがなかったはずの妹が大泣きしていた。
 
その一方で、何故か私は涙が出なかった。
 
それは、がんの痛みで苦しみ、また、痛み止めのモルヒネで、私や妹や母のことだけでなく父や叔母のことも分からなくなってしまった祖母をもう見なくて済むという安堵感もあったが、中学に入ってからの私は、何かと干渉してくる祖母を少し鬱陶しく感じていたように感じている。
 
私は小学生の頃は、勉強でも遊びでも居間でやっていたが、中学に入ってからは、勉強が忙しくなったり、パソコンを買ってもらったりして、祖母の部屋の真上にある自分の部屋にいることが増えた。すると祖母は、真上の私の部屋から椅子のきしむ音が聞こえなくなると、私が居眠りをしているんじゃないかと下から木の棒で天井をドンドンとつついたりしていて、私は何だかちょっと監視されているような気持ちになったりしていたのだった。
 
心身を尽くして育ててくれた祖母を鬱陶しいだなんて、何て薄情なのだと思うが、今思うと、それは祖母からの「自立」の感情だったのかもしれない。
 
法律的には「祖母」であるが、私にとっては大いに母としての側面をもっていた祖母。
夫は、私の性格について「お義父さんにもお義母さんにも似てないね」というが、多分幾ばくか祖母に似ているのだろう。
 
そんな私もあと数週間で母親になる予定だ。
強かった祖母のように尊敬すべき母親になる自信はない。ただ、我が子を愛して守り、自分がこの人生で学んだことを伝え、いつの日か自分も鬱陶しがられるのだろうと思うと悲しいが、私がいなくなっても生きていける強く自立した子を育てたい。
 
 
 
 
***
 
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325



2022-08-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事