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母の在宅終末期医療


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:萱原 健司(ライティング・ゼミ10月コース)
 
 
2021 年12月28日に母親の膵臓がんが見つかった。
 
それから闘病生活が始まり、5月9日に亡くなるまで、あっという間に過ぎたようで、とても長くも感じ感じられました。
いつまでも溢れてくる後悔に、少しずつ感謝の念が混じってくるまで、私には半年という時間が必要でした。
 
 
体調不良を感じた母は、かかりつけ医の診察を受けた。
「このまま大きい病院に行って検査しましょう」と言われたので、軽い気持ちで近所の大きい病院で検査を受けたら、ほぼ1日かかったそうだ。
 
検査結果当日、今考えると何故か分からないが、家族全員で病院に向かった。
担当の医師から検査の結果が伝えられる。
 
「膵臓がんです」
 
それを聞いて私は、言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
その後も、医師の説明が続いていたが、あまり覚えていない。
妹が母のがんのステージはどこなのか質問すると、
 
「順当にいって4ヶ月ですね〜」
「治療が乗って1年かなぁ〜」
 
その配慮のかけらもない言葉。それを聞いた瞬間キレた。
 
後から聞いた話だと、その時にいた他の医師や看護師やスタッフの方々は、私が確実に暴れるし、病院が訴えられると思っていたそうだ。
 
私の友人から「スーパーサイヤ母ちゃん」とアニメのドラゴンボールに出てくる「スーパーサイヤ人」から取ったあだ名で呼ばれ恐れられる母も、流石に泣いてしまった。
それを見て余計にキレた。
 
よく我慢できたと思う。
その日の記憶はそこまでしかない。
 
 
コロナ禍ということもあり、入院すると家族にも会えなくなるので、治療方針として在宅医療を選んだ。「延命治療はしなくて良いから、痛いのと苦しいのだけ抑えてくれればいい」という母の意向に沿った選択だ。
両親は同居しているが、私と妹はそれぞれ別々に住んでいる。すると母が私の家で過ごしたいというので、連れて帰った。私は在宅勤務な事もあり、仕事は特に問題にならなかった。
 
そこから母と私の二人で闘病生活が始まった。
私にできることは何か。セカンドオピニオン、食事療法、生活習慣。調べまくった。セカンドオピニオンについては母にやらなくていいと強く言われたので、がん患者の食事療法と生活習慣について本を1〜1.5mほど読んで、生姜やニンニクなどを使った料理や、りんごとニンジンのジュースを毎日3食作った。
母は平熱が低かったので、平熱が36.5℃まで上がるように、良さそうな入浴剤や加湿器や腹巻など、良いと言われているものは全て買い、足ツボマッサージやらなにやら、良いと言われていることは大体やった。
おかげで、母の平熱は36.6℃まで上がった。
 
1月の半ばくらいから訪問看護が始まり、週に1日2時間ほど看護師さんが来てくれるようになった。
爪を切ってくれたり、薬を分けてくれたりしてくれた。
私以外の人と話すのが楽しそうだった。
 
 
そのうち歩くのが困難になってきた。平らな道をゆっくりなら少し歩けるが、階段は無理。
疲れてしまうのだ。月に1〜2回病院に行くのだが、厳しくなってきたため車椅子を買った。駐車場に行くのも困難になってきたからだ。
 
車椅子を買ってから知ったのだが、私が暮らす横浜市は福祉保健活動の拠点としてさまざまな取組を行っている「地域ケアプラザ」という施設がある。
そこに行けば車椅子を借りることができたのだ。知らなかった。
誰かに説明を受けていたのだろうが、聞き漏らしていたようだ。
 
それに似た施設は各市区町村にあると思うので、がんなどの大きな病気になった時は相談に行くと良いと思う。
 
 
3月の終わりぐらいにの検査で、血中酸素濃度が80%台になってしまい、緊急入院をした。
病院が近い方が良いという判断から、私の家から自宅に移り、酸素ボンベを設置して24時間酸素を吸入することになった。当然、お風呂も一人では入れないので、一緒に入り、頭や体を洗ってあげて、歯ブラシの仕上げなどをしていた。子どもの頃に母にしてもらっていたことを、私が母にしてあげてる感じだった。そんな事を母は面白がっていたし、嬉しそうにしていた。
 
 
余命4ヶ月と言われたが、それから5ヶ月間生き抜いた。
最後の2週間ぐらいは、せん妄と呼ばれる症状が強く、ほとんど寝ることがなかった。私も妹が来てくれて、どうにか2〜3時間寝られる状態だった。
亡くなる前夜に妹がたまたま自宅に帰り、朝の5時に父が仕事に出かけた。
その後、朝の6時ぐらいから容体が悪化し、最後は私の腕の中で息をひきとった。
だんだん呼吸が止まっていき、心臓の鼓動が小さくなっていった。
 
亡くなる1週間前に、訪問医療の担当医師から
「もって1週間です。もしもの際は、救急車ではなく、私に連絡をください」
と言われていたので、救急車は呼ばず担当の医師に連絡した。
こういう場合に救急車を呼ぶと、事件性が疑われて警察も来てしまい少々面倒なことになるそうだ。
 
 
葬儀も終わり49日が過ぎた頃から喪失感に襲われた。その喪失感を埋めるように後悔が湧き上がってくる。周りの心ある優しい人たちからは、たくさん励ましの言葉をいただいた。でも、ダメなのだ。
後悔しかできない。
 
その後は虚無感だった。
1日なにもできないのだ。朝起きて気づくと夜みたいな日が3ヶ月ほど続いた。
 
そして現在に至る。
やっと感謝の念が湧いてくるようになってきた。
やっと遺影も現像した。葬儀屋が作ってくれた遺影は父と妹に持たせたので、私の分がなかったのだ。遺影の写真は、私が編集して作ったので、データは持っていたのに、なかなか現像できなかった。
 
母の写真に見守られながら、この文章を書いている。
 
こういう体験に慣れている人はあまりいないと思う。
だから、知っていれば便利だけど、知らない人は知らないよね〜
みたいなことが多い。Excelのショートカットキーみたいな感じ。
車椅子は買わなくても大丈夫だし、ベッドやその他諸々、かなり安くレンタルできる。
 
聞かないと教えてくれないし、助けを求めないと助けてもらえない。
助けて!! って言った方がいい。言わないとだめだ。
 
「ありがとう」「ごめんなさい」
すぐに相手に伝えた方が良い。
 
人は急にいなくなってしまうから。
 
 
 
 
***
 
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2022-11-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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