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週刊READING LIFE vol.130

旅支度は一人前《週刊READING LIFE vol.130「これからの旅支度」》


2021/05/31/公開
記事:馬場 さかゑ(READING LIFE公認ライターズ倶楽部)
 
 
夫が亡くなった。
遅い結婚だったが、それでも40年一緒に暮らした。
子供も二人。
転職3回。
引っ越しに至っては15回以上。
人並みに、山もあれば谷もあった。
 
本気で離婚を考えた時も2度あった。
 
まさか、突然、動脈が破裂して長く寝込むこともなく死ぬなんて予期もしていなかった。
無呼吸や高血圧で、定期的に医者にも通っていたのに。
 
世間からは、気丈に思われている私も、その突然のできごとに我を失った。
 
どうやって通夜や告別式を過ごしたのか覚えていない。
それでも、なんとか滞りなく過ごせたのは、葬儀屋さんや子供たちや姉妹の助けがあったからなのだろう。
それすらも、あまり記憶にない。
 
葬儀に来られなかった人がぽつりぽつりと家に線香を上げに来てくれる。
 
そんなことに、ぼんやり対応しながら、一歩も外に出ることなく初七日を迎えた。
 
初七日を過ぎると、来客もめっきり減り、私は、ぼちぼちと仕事に戻った。
同じ仕事のはずなのに、全く違うもののように感じられた。
世界が少し色褪せたように見えた。
 
後を追いたいと言う気持ちでもなかった。
でも、何をしても以前と同じように楽しめないような気がした。
 
長い間、物事を決めるときの要素の一つとして夫の存在があった。
「だめっていわれるかな」
「どうやって説得しよう」
「これは、だまっていよう」
「一緒に行きたい」
「一緒に食べたい」
「今度連れてこよう」
 
海外暮らしも長かったこともあって、赴任中も帰国してからも、色々な国に旅行に行った。
本当に色々な国に旅行に行った。
 
どこの国のなんと言う街かは、全く思い出せないのだけれど、時々、ふっと、
「ほら、あの時のレストランでスープを頼んだら、鶏が丸ごと入っていてびっくりしたよね」
「あの海岸の岩場で、ウニをたくさん見つけて大喜びしたら、現地の人に、毒だから食べられないって言われたよね」
「道を間違ってうしろからアメリカの警察に追いかけられて止められた時は、あせったなあ」
そんな、たわいもないシーンを思い出しては語った。
そんなときに
「そうそう」
「あ、あの時ね」
と全部を言わなくても分かり合える歴史があることは楽しかった。
 
いわゆる昭和の仕事人間で、引っ越しだって、ほとんど出張で、手伝ってくれたことがなかった。
旅行に行く時も、ほぼ全ての段取りと準備を私がした。
子供たちの着替え、夫の着替え、パスポート、宿泊先、ルート…
四人前の旅支度。
 
滞在型でない旅行は、宿を決めないで出発する。
気に入ったら長く、気に入らなかったら先に進むという自由がなくなるからだ。
 
そのために12月のチェコで、夜中の12時過ぎてもホテルが見つからず、小さい子供二人を連れて、郊外までドライブしてようやく朝2時過ぎに「空きあり」と書いてある宿を叩き起こして泊めてもらったことがある。
 
夏のケンブリッジで、何か大きなイベントと重なりホテルが取れず、通りがかりの人の好意で泊めてもらったこともある。
 
慎重なところのある夫はいつも
「お前のは旅行とは言わない、冒険という」
と怒っていたが、わたしは、ワクワクだった。
 
だって、何が起こるかわからない映画の主役みたいなものだ。
そしてほとんどハッピーエンド。
 
「ほらね、うまくいったでしょ」
 
相当呆れていたとは思うけれど、それでも、40年も一緒にいると慣れてきたらしく、彼もそれを楽しんでいる節も見られるようになってきた。
 
もちろん、喧嘩はたえない。
 
車の前の席で過激な言い争いをしているのを後部座席で、子供たちは、寝たり、黙ったりして対応していた。
 
「後ろの席からね、お父さんのほっぺたが膨らんでいるのが見えると、あ、笑っているんだって嬉しかった」
 
と、成長した娘が言ったのを聞いたときには、心から済まなかったと思った。
 
私と夫は、どんなに喧嘩をしても回復できるという信頼感があったが、こどもたちは、激しい喧嘩にザワザワ・オロオロしながら過ごしていたのだった。
 
そんなことも、あんなことも、全て思い出になってしまった。
 
喧嘩をしない穏やかな生活にあこがれていたが、突っかかってくる相手がいないことが、こんなに物足りないものなのか。
 
 
そうは言っても、配偶者が死亡したらしなければいけないことは山ほどある。
こんなふうに「しなければいけないこと」が、残された人の正気を保っている薬になるのかもしれない。
 
役所に行って、すべき手続きを済ませ、これで、一区切りとなった。
久しぶりに、ひとりでレストランに入った。
本当に久しぶりだった。
 
一人で外食ができないと言う女友達を何人も知っているが、外で働いている私は、そんなことを気にしたことはなかった。
 
でも、気づけば、夫を亡くしてから初めてのひとりでの外食だった。
 
ランチタイムで混み合っていた。
一人客の私に、店の人が聞いてきた。
「相席いいですか」
わたしは、うなずいた。
 
その時、30年前のある光景が、突然、蘇ってきた。

 

 

 

30年前のある日、わたしは、仕事の合間のランチを出張先のそばの食堂で食べていた。
同じように相席を頼まれ、目の前に座ったのは、初老の上品そうなご婦人だった。
 
「失礼します」
「どうぞ」
 
と簡単に軽い笑顔で挨拶を交わした。
 
すると、彼女が、急に、私に話しかけてきた。
 
「先月、主人が亡くなったんですよ」
「はあ」
見ず知らずのご婦人に、「ご愁傷様です」とも言いにくく、私は返事ともならない返事をした。
「もう、さびしくて、さびしくて」
「それは、お辛いですね」
「わたしね。なんにもしたことがなかったんですよ。
主人が、面倒なことはなんでもしてくれたから。
銀行に行ったこともなければ、役所にいったこともなくてね」
「はい」
「亡くなってから、ずっと家にこもってたんですけど、それでも、役所の手続きは今日までにしなきゃならないって言われて、今、役所に行ってきたとこなんです」
「そうでしたか」
「なんにもしたことがなくてね。まったくわからないから、皆さんに教えてもらって、今、終わってきたところなんです」
「大変でしたね」
「で、ちょっとほっとしてね。ご飯でも食べていこうかしらって」
「……」
「ひとりでね。外でご飯食べたことないんですよ。
今日は、初めてのことばっかり。
主人が見ていたら、きっと、びっくりするわね。
お前が、ひとりで、外食するなんてって」
「……」
「ほんとうにね。どうやって生きていっていいかもわからないんですよ。今。
だって、全部、主人がやってくれていたから。
主人のことを思い出しては泣いて、家の物を見ては泣いて、ずっと泣いていたんですけどね。
でも、しなければいけないことはしなければいけないでしょ。
それでね、今日は、出てきたんです」
私は、あいずちの代わりにうなずくだけで、彼女の話を聞いていた。
「だって、追いかけて死ぬわけには、参りませんでしょ。
でも、子供もいないし、ずっと長い間、主人と二人の生活だったものだから。
さびしくて、さびしくて」
「あら、ひさしぶりに、誰かとお話ししたので、つい。ごめんなさいね」
「いえ、いえ」
「主人がね、亡くなるときに、お前を置いていくのだけが心配だ。
って、あんまり言うので、大丈夫よって、こう見えて私は強いのよって、
言ったんだけど、本当にだめね。
なんにもする気になれなくて。泣いてばかりいるの」
 
その後も、私が、
「すみません、昼休みが終わってしまうので、ごめんなさい」
と席を立つまで、彼女は、上品に、静かに、夫を失って途方に暮れている話をした。
 
話を聞きながら、この女性は、本当に夫に愛されていたのだなあということを考えていた。
このか弱げな女性を守ることが、彼女の夫の生き甲斐でもあったのではないかと思った。
 
彼女も、見ず知らずの他人に、話さずにはいられないほどの寂しさを、自分ではどうしようもないほど溢れてくる寂しさを持て余しながらも、そこからどうにも逃れられないほどに、夫を大切に思っていたのだろう。
 
素敵なご夫婦だったのだろうなと想像した。
 
「君はなにもしなくていいから」
と妻をいたわる夫。
そんな形の愛もたしかにある。
 
まさか、先に亡くなると思ってはいなかったのではないか。
先に亡くなることで、その大事な妻が、何もできない自分に途方に暮れる日が来るとは考えたこともなかったのではないか。
 
でも、もし、魂があるのなら間違いなく、亡くなった彼は、その愛する妻が、何日も何日も気力をなくして泣き続けている姿を悲しんでいるに違いない。
 
妻がひとりで生きていける力をつけておいてあげなかったことを後悔しているのではないか。
 
そんなことも思った。

 

 

 

その稲妻のように目の前に降りてきた30年前の思い出。
 
今、わたしは、その時の彼女に近い年齢になり、その時の彼女と同じように夫を失ったばかりの人として、そこにいた。
 
そして、私は、わかったのだ。
 
彼女はきっとその後、夫への思い出は思い出として、立ち直って、彼女なりに強く生き続けたに違いない。
人生で、自分を無条件に、愛し切ってくれた人がいるということは、どんな困難にも、どんな状況にも耐えられる力になる。
自分に対する根拠のない信頼ができる。
 
 
私の夫は、一度も
「お前を残していくことが心配だ」
とは言わなかった。
 
彼は、わたしが、きっとひとりでも、残りの人生を、楽しくワクワクと過ごすと確信していたはずだ。
 
「身軽になっちゃったわ」
ぐらいのことを言って、喜ぶのではないかと思っていたかもしれない。
 
もし、わたしが、先に死んでいたとしても、私も、夫のことを心配しなかっただろう。
 
彼なら大丈夫。
幸せな人生を全うしてくれる。
 
私たちは、そうやってお互いを信頼して尊敬して生きてきた。
 
一緒に生きていた時は、楽しかったし、それがなくなるということは、本当に寂しいことだ。
まだまだ、あそこにも行きたい、あれも食べたい、あんなこともしたい、あんなものも見たいという思いがある。
そして、それが一番楽しいのは、夫といる時だ。
 
「仏像ってほんとうにいいよね」
「全く興味のない、無理矢理連れてこられただけの俺にそのコメントを求める?」
と言われても、一緒に見にいったことが楽しかった。
 
「巻き込まないでね。水やりしてって言わないでね」
「いや、もう、共同経営者に決めたから」
彼が勝手に借りた市民農園で畑仕事を始めた時も、一緒にやっているから楽しかった。
 
たとえ若い頃のような、お互いを気遣った楽しい会話がなくなって、言葉少なにつまらなそうにご飯を食べていても。空気のようにそこにあることが大事だった。
 
それが、もう叶わないのは、本当に寂しい。
どこに行っても、何を食べても、きっとこう思うだろう。
「彼が一緒だったらよかったのに」
「彼にも食べさせたかったなあ」
 
でも、それは、つまり、彼と一緒にいるということだ。
肉体はいなくても、私の心の中には、彼は、いる。
 
そして、その彼は、もしかしたらたまには、
「そんなもの買ってどうするんだ」
「また、つまらないことを言っているな」
と小言はいうかもしれないが、二度と大喧嘩になることはない。
 
 
わたしは、これからも、きっと旅に出るだろう。
そして、相変わらず、無謀な無計画な旅をするだろう。
旅支度は、一人前ですむ。
 
でも、私の旅は、ひとりではない。
 
彼はきっとこう言うに違いない。
「お前のは旅行とは言わない、冒険だ」
 
そして、私は、彼にこう言う。
 
「ほらね。うまくいったでしょ」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
馬場 さかゑ(READING LIFE公認ライターズ倶楽部)

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2021-05-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.130

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