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週刊READING LIFE vol.150

あたたかな微笑みはいつまでも《週刊READING LIFE Vol.150 知られざる雑学》


2021/12/06/公開
記事:青野まみこ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
もしや、と思うメールの冒頭は大体決まっている。
「お知らせです」
「発表があります」
こういうふうに始まると、ああ、またかも、と思う。そしてその想像はほぼ当たってしまう。この日のメールもそうだった。
「当店は、11月で閉店します」
そうだったのか……。
友人のご主人が経営しているタイ料理店が、閉店するとの知らせだった。
 
以前勤務していた街にあるその店は評判もよく、私も何度か訪れている。タイ料理店も今では数多く日本では開店しているけど、その店は、例えばガパオライスなどのように日本でもポピュラーになりつつある料理であっても当たり前の味ではなく、「また食べてみたい」と思わせる味だった。
店がある場所は都内屈指のおしゃれタウンでもあった。沿線には舌の肥えたにわかグルメさんもたくさん住んでいて、料理に一家言ある人も多い。エスニック料理激戦区とも言えるこの街で、8年間の長きに渡って順調に経営をしてきた。
 
友人のご主人はとにかく頑張っておられたと思う。
いただいているメールマガジンにはいつも、タイ料理への熱い想いが綴られていた。
料理についてのちょっとしたコラム、
おすすめのナンプラー、
料理にまつわるタイ語のご紹介、
どのメールマガジンの回も心のこもったもので、楽しく読ませていただいていた。
そして、料理の味もとてもしっかりとしたものだった。エスニックが好きな誰かとじっくり話をしたい時には、私は決まってこの店を使った。料理についてはまず間違いなく美味しかったし、こだわりが随所に感じられた。例えば生春巻きのようにポピュラーな料理に添える「タレ」ひとつ取っても、丁寧に調合されていることが伝わってくる。私はそんなこだわりがある料理が好きだった。
 
そんな日常を全て、コロナ禍が吹き飛ばした。
 
いつ終わるかもわからない感染拡大、緊急事態宣言と、コロナは飲食業界を苦しめるだけの存在だったのかもしれない。至る所で「閉店します」の貼り紙と、固く閉じられたシャッター、もぬけのからの店内を見かけるようになり、行こうと思った店をネットで調べると既にその情報は存在しませんという文字が並ぶようになった。
仕入れて調理をして販売して、その売り上げでまた店を回していかないといけない。街に人が出なくなったなら、デリバリーや持ち帰りで売り上げを上げよう、その方向に舵を切る社会の流れになっても、そうそう簡単に全ての店が対応できるわけではないように思う。まさに飲食業も水商売といわれる所以だ。同じ業界でないので正確なことはわからないが、一度止まった流れを元に戻す、かつてと同じような売り上げを確保することは至難の業なのだろう。
 
閉店を知らせるメールには、こんなことが書いてあった。
 
「この1年半はコロナで飲食業界をとりまく環境が様変わりし、
先の見えない不安を抱えながら、試行錯誤の連続でした。
そんな中、これからの働き方を考える中で、
自分らしく働きながらも家族との時間を大切にしたいという想いが日に日に強くなり……」
 
この秋に緊急事態が解除になって、時間制限こそあっても対面のお店がきちんと開かれるという知らせを聞き、また行こうと思っていた矢先だった。あのお店にいけば絶対に間違いないから、そう思える店がまたひとつなくなってしまうのは本当に寂しい。しかし、一組の客だけが踏ん張ってどうにかなるものではないくらい、全てを吹き飛ばしていった力は強大で、太刀打ちできなかった。それならせめて最後に美味しい料理をいただきに行こうではないか。
閉店のお知らせから閉店の日まではとても短かった。でもそれも、お客さんに心配をかけまいとする気遣いの1つなのだろう。
 
ようやく私は閉店の前日に店に行くことができた。混雑する駅のロータリーを抜けて、人波が戻ってきつつある街並みを眺める。数々の小説やドラマの舞台になってきたこの街も例外なく、至る所でシャッターが閉まったままの店が多かった。私のような勤め人であっても、コロナ禍によって組織のいろいろなことが変更になって大変だったのだから、経営者なら尚更だろう。どこも本当に精一杯戦い、ご苦労されたのだ。
おしゃれタウンだというのに、まるで戦場の跡地のようにボロボロに傷ついたようなストリートを私は歩いていった。信号を渡ってすぐの角を左に曲がると、その店は現れた。いつものように少しだけ急な階段を2階まで上がると、手作りの看板が出迎えてくれた。
(年月が経ったのね……)
いつも夜に来ることが多かったせいか、まじまじと看板を眺めたことがなかった。改めて見つめると、看板のところどころにムラがあったり、ヒビが入ったりして、年季が入っていることを知らせてくれる。8年という歳月の重みがそこにはあった。
 
ドアを開けると、いつものようにオーナーの声が響いた。
「いらっしゃいませ!」
明るい声だった。本当に、いつものように。店内のオーラが湿っぽくなくてよかった。
「こんにちは。なかなか来れなくて、でも最後にこちらにお邪魔したいと思って。間に合ってよかった」
「ありがとうございます。いよいよ明日までですけど、ゆっくりしていってください。それで、1つお知らせがありまして、好評につきましてグリーンカレーの素がなくなってしまったんですね。なのでグリーンカレー以外のお料理でお願いします」
「あら、それは残念だけど、よかったですね。みなさん是非にグリーンカレーが食べたいってことだったんですものね」
「そうなんですよ。ありがたいことです。ですので、もしカレーがよろしければマッサマンカレーならお出しできますので、よろしければどうぞ」
 
この店でいただく最後の料理を何にしようか。私はメニューを見つめた。
せっかくなので、看板料理のグリーンカレーにしようかなと思っていたけど、それはこのお店を愛する皆さんも思っていたことだったから、完売になっているのだ。マッサマンカレーも前にいただいて美味しかったし、パッタイも好きだし、ガパオライスも大好きだし、汁物も魅力的だし。あーどうしよう、こんな時本当に迷う。ある意味、このお店で摂る「最後の食事」なのだから。この先、いつこの味にお目にかかれるかわからないのだから。
うーん、うーん、どれも素敵。私は決めかねてメニューから顔を上げ、壁に貼ってあったおすすめ料理のチラシを眺めた。
 
『カオ・モック・ガイ』
 
たぶんタイ料理としては元からあるものだと思うけど、今まで自分ではまったく気にしていなかった料理名だ。
(どんな料理だろう?)
チラシの料理の写真は、お肉のようなものが乗ったご飯だった。よくよく読むとこんなことが書いてある。
『タイ風チキンビリヤニです』
ビリヤニ! それは私が最も好きなエスニック料理の1つである。ビリヤニとは、ムスリムに起源を持ち、インドやその周辺国で食べられている炊き込みご飯のことだ。通常はスパイスとお米(インディカ米やタイ米のように細長いお米)を、肉・魚・玉子・野菜などと一緒に炊き込んでいる。
ビリヤニのいいところは、ご飯がベタベタしていないことだ。
和食の炊き込みご飯も好きだけど、あっさりしすぎに感じることもある。炒飯もいいけど、体調がいい時でないと油っこいのが後を引く。カレーやあんかけご飯や雑炊も食べるけど、早く食べないとご飯が汁を吸って重たくなるので、ゆっくり味わいたいときには向いてない。いわゆる「米飯あるある」をクリアしたいときに、食べたくなるのがビリヤニなのだ。
 
今まで私はビリヤニをインド料理でしか食べたことがなかった。タイ料理にもたぶんビリヤニはあったのだろうけど、ついつい他の料理に目が行ってしまって気が付いていなかった。
カオ・モック・ガイとは、カオ(=ご飯)・モック(=覆い隠す)・ガイ(=鶏)という意味なのだそうだ。鶏肉で覆われたご飯、写真そのものだ。同じくタイ料理のカオマンガイ(タイ風チキンライス)も大好きな私としては、同じ鶏肉ご飯繋がりで大いに期待したいところである。きっとこれが今日の私を待っていた料理に違いないんじゃないかという、根拠のない運命の出会いらしきものに導かれるように、私はカオ・モック・ガイを注文した。
 
わくわくしながら待つこと10分もかからずに、カオ・モック・ガイは到着した。
「お待たせしました。カオ・モック・ガイです。2種類のタレもお使いください」
早速食してみる。パラパラとしたタイ米にまんべんなくしみ込んだスパイスの色と香り、そして上に乗っている鶏肉。全てがいい感じである。鶏肉の上にも、タイ米とはまた違うスパイスがかかっていて、表面がカリッとしている。さらにトッピングされているパクチーが彩りと、独特の香りを添えている。
しばし無言で私はカオ・モック・ガイを食べていた。スパイスご飯、鶏肉、スパイスご飯、鶏肉……。この繰り返しなのに永遠にいけそうなのだ。別にオーダーした野菜たっぷりの生春巻きをサラダがわりに、間に時々挟む。控えめだけどしっかりと主張しているスパイシーな食事が粛々と進んでいく中、プレートの横にある2種類のタレに目がいった。
これ、どうするのだろう。ご飯にかけるのかな。
尋ねてみると、1つはヨーグルトにスパイスを振ったもの、もう1つはミントソースということだった。どちらもご飯にかけてみる。ミントソースはかなり辛めだったけど、刻んだミントの香りが際立っている。ヨーグルトは若干塩味寄りで、これをご飯にかけるとスパイスがまろやかになった。パクチーも一緒に混ぜていただき、鶏肉も「味変」効果で最後まで飽きることなく堪能した。あっさりなのにボリューミーで、深い味わいの一皿だった。
食後のハーブティーをいただきながら私は店内を見回した。決してゴージャスとは言えないけど温かさが詰まっていて、真剣に料理に向き合う料理人がいるお店だった。本当に終わってしまうなんて信じられない気がする。
「ごちそうさまでした」
私は席を立った。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、とてもおいしかったです。最後にカオ・モック・ガイを食べられてよかった。なかなか来れなくて今日になっちゃってすみません。本当に終わっちゃうんですね」
「そうなんです」
「大変だったでしょう」
「ええ。いろいろ考えましたが、やっぱり家族を大事にしたいと思ったので決めました。家族が毎日笑ってくれるのがいちばんですから」
「そうですか。勇気ある決断ですよね」
どこまでもオーナーは明るかった。
「閉店を発表してからいろんな方に励まされて、こうやって来ていただけて、すごくたくさん支えられているんだなって思いました。こうして気にかけてくださるだけでもとてもありがたいですから」
「よかったですね」
「最後は、明るく終わりたいですからね。ちょうど昨日、妻が店に来てたんですよ」
「そうなんですね。連絡してから来ようかと思っていたんだけど、当日にならないとわからないものだから」
「いいんですよ。伝えておきますね」
「私からもメールします。また、会えますもんね」
会計をして、出口に向かった。
「ではまた。本当にお疲れ様でした」
「ありがとうございました!」
 
念願だった店を持ち、評判もよくて、でも畳まざるを得なくなった。どんなにか無念だろう。人生には本当に予期せぬ出来事が訪れることがある。その時にどう対処するのか、そこに人間性が問われている。
今までのことをリセットして前に進むことは簡単なことではないけど、「家族の笑顔を大事にしたいから決断した」に勝る素敵な言葉はないような気がする。結局最後は、人がついてきてくれるかどうか、それも家族の支えがあるかどうかで物事が決まることも多い。大事な誰かを幸せにしたいから進路を決める、そんな家族だったら、この先もきっとさまざまなことを乗り越えて行けることだろう。
タイは微笑みの国と言われている。オーナーの笑顔に送られて明るい挨拶を背中に聞きながら、私は店を後にした。晩秋の暖かな日差しがよく似合う、すがすがしいひとときだった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青野まみこ(あおの まみこ)

「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月READING LIFE編集部公認ライター。
言いにくいことを書き切れる人を目指しています。

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2021-12-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.150

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