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週刊READING LIFE vol.159

泥臭いなら薔薇の香りを嗅げばいいじゃない?《週刊READING LIFE Vol.159 泥臭い生き方》


2022/02/28/公開
記事:宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「私は恥ずべき死を宣告されたのではありません」
 
なんとプライドの高い負け惜しみ発言!
死を宣告されるにはそれ相応の理由があったはずなのに、それを全く受け入れていない。
そう受け取られても不思議ではない言葉ではありませんか。
 
この言葉を書き遺したのは、18世紀フランス革命でギロチンによって処刑された王妃、マリー・アントワネットだ。
池田理代子さんの漫画で宝塚歌劇団の舞台にもなっている『ベルサイユのばら』の主人公として登場するので、日本でも馴染みのある王妃だ。
 
彼女のイメージは、ファッションが大好きで、貴族との恋愛ロマンスを楽しむ自由奔放な姿だ。彼女の肖像画や、彼女が使っていたとされる豪華なドレス、家具等の調度品から、彼女の贅沢ぶりがうかがえる。そんな彼女の処刑理由は「国家予算の浪費」であった。
 
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
 
こんなすっとんきょうなマリー・アントワネットの言葉も有名だ。食糧不足に苦しむ庶民の生活への無関心ぶりを感じる、実にあきれた迷言だ。民衆の怒りをかってもしかたがないと思う。
 
ところがだ。
 
マリー・アントワネットについて少し調べてみると、浪費家で愚かな王妃というイメージとは、大分違っていたようなのだ。
 
近年の歴史研究では、王妃としてさまざまな功績のあった人物として、夫ルイ16世とともに再評価されている。
 
彼女の自分勝手な振る舞いを伝える数々のエピソードはほとんどデマだったとわかっているし、「お菓子を食べれば」という迷言の出処はマリー・アントワネットではなかったこともはっきりしている。
 
むしろ彼女は、王家のひとりとして地道な活動をしていたようだ。たとえば、フランス王宮内の慣習を簡素化し、賄賂を禁じている。民衆の飢餓にも目を向け、王室費を削って寄付をしたり、当時のフランスではまだポピュラーではなかったじゃがいもの普及に貢献したりもしていた。
 
どれも地道な活動だ。だが、フランス王国の未来を憂い、王家のあり様と民衆の苦しみの現実にしっかり目を向けた大事な活動だ。
 
なのにどうして、マリー・アントワネットは酷い人物として伝わってしまったのだろうか?
 
18世紀フランスでは、政治面での女性の地位は低い。伝統を重んじ、既得権益をもつ貴族層からは「女が男の世界に口を出すなんて」などと快く思われていなかったようなのだ。そんな貴族たちが彼女を貶めるようなゴシップを民衆に向けて流布していたようだ。
 
ゴシップを、民衆が娯楽的に楽しんでいられるうちは良い。おそらく当時の王家の人々も、多少のゴシップならば、「まあ、民衆が喜んでいるなら」とさほど気にはしていなかったかもしれない。
 
しかし不運なことに、当時は地球規模の寒冷化が起きていた。同時期の日本でも「天明の大飢饉」が起き、米屋の打ちこわしが頻発している。おなじようにフランスでも、飢饉が起きて民衆の生活は困窮していた。
 
民衆の不満が高まると、ゴシップには尾ひれはひれがついて、フェイクニュースのようにあたかも事実のように受け止められていく。民衆の生活困窮が増すにつれて、マリー・アントワネットの醜聞はよりエスカレートし、民衆の感情を逆撫でしたことだろう。
 
彼女の醜聞と彼女の実績とのギャップを知ると、マリー・アントワネットの人生に泥臭さを感じずにはいられない。そしてもう一度「私は恥ずべき死を宣告されたのではありません」という言葉を見ると、プライドなどという生半可なものではなく、時代に流されず王妃として泥臭く成すべきことを成すと覚悟して生きた彼女の強さを感じる。

 

 

 

マリー・アントワネットほどの壮絶さではなくても、仕事の上で泥臭く生きる覚悟を決める人は少なくないだろう。たとえ表面的には華々しく、子どもが憧れるような職種でも、裏では地道な作業は必ずある。
 
たとえば科学研究職。ノーベル賞など世界的に高い評価を受けた研究成果は特に大きな注目をあびる。小学生の将来なりたい職業ランキングではいつも上位にランクインする仕事だ。だが実際の研究現場は地道に実験してデータを積み上げていく毎日の繰り返しだ。かといって積み上げれば必ず評価されるものでもない。就職の不安もあって、残念ながら日本における博士号取得者の割合はやや減少傾向だ。
 
私は一時期、そんな泥臭い作業を続ける仕事には「覚悟」が必要だと思っていたことがある。『情熱大陸』や『プロフェッショナル 仕事の流儀』のようなドキュメンタリーTV番組を見ると、しばしば覚悟を口にする人がおられるように、研究職でも突き詰めていくには相応の覚悟が必要だと思っていた。
 
だがあるときから疑問を抱くようになった。
「泥臭さって、覚悟しなければならないものなのだろうか?」
スペース
それは、息子がサッカーをはじめ、試合を観戦するようになってからだ。
 
私たち親たちは、子どもたちの試合をフィールドの外から応援する。普段は目にしない子どもたちのダイナミックな動きや見事な足さばきに、歓声をあげる。ゴールに迫ると応援の声は自然と大きくなり、ゴールが決まると親たちのボルテージは最高潮に達する。子ども立ちよりも嬉しさを爆発させ、もう悲鳴に近い歓声だったりすることも、よくある。
 
コーチたちもまた、親たちとおなじようにフィールドの外から子どもたちのプレイを見守っている。得点に歓声をあげ、シュートを決めた選手や、ラストパスを出した選手への称賛は欠かさない。
 
だが、コーチの反応や声かけには、親たちとは違うところがある。
 
一見するとボールの動きとは関係なかったと思える選手に向けても、コーチは声をかけているのだ。
「良いところに動いたね!」
「言い声かけだった!」
など、ボールに触れていなくても、ボールの近くにいなくても、ゴールに関わる動きをみせた子どもたちを褒めていたのだった。
 
サッカーではボールに触れない時間を、「オフ・ザ・ボール」と呼ぶ。
サッカーの試合において、選手ひとりひとりがボールに触れている時間はとても短い。たとえば少年サッカーの試合時間は前後半合わせて40分だが、そのうちボールに触れている時間は平均して2分程度といわれる。残りの38分はオフ・ザ・ボールだ。つまり、サッカーの試合における選手の動きのほとんどがオフ・ザ・ボールの動きだ。
 
オフ・ザ・ボールでは、相手を引きつけたり、仲間を助けて守ったり、攻めに守りにとダッシュを繰り返したりする。動きだけではない。声やジェスチャー、アイコンタクトでパスを求めたり、仲間にパスコースを指示したりもする。
 
こういったプレイはサッカーの試合における重要性は高く、プロでも高く評価される。
たとえば、元サッカー日本代表、岡崎慎司選手だ。
岡崎選手は点取り屋のフォワードで、日本代表では119試合に出場して歴代3位となる50得点を決めている。2011年にはヨーロッパに渡り、ハイレベルなサッカーリーグで10年以上活躍している。
 
動画で岡崎選手の出場試合を観ると、一瞬のタイミングでゴール前に走り込んでワンタッチシュートが多い。しかし、岡崎選手はただシュートチャンスを待っているだけではない。相手の裏をかくような動きを何度もみせて相手の守備を迷わせて味方の得点チャンスを演出したかと思えば、ボールをもつ相手に前線から執拗に食い下がって守備にも貢献する。だから、ボールに触れていなくても、「何か起きるんじゃないか!」というワクワク感が岡崎選手にはある。
 
オフ・ザ・ボールのプレイのほとんどは直接得点には関わらない。だから無駄と感じられることのほうが多い。なにより体力と集中力を必要とされる。
実に泥臭いプレイだ。
 
けれども、岡崎選手のプレイからわかるように、試合における重要度はとても高い。だからこそコーチは、子どもたちのオフ・ザ・ボールの動きにも目を配り、褒めていたのだった。
 
子どもたちの試合やプロの試合を観るにしたがい、重要性はわかってきた。
だが観戦していると、とにかく子どもたちは体力的にとてもキツそうだ。
 
「子どもたちはどんな気持ちでオフ・ザ・ボールのプレイをしているんだろう?」
と不思議に思うようになった。
 
試合に勝つために重要だからとか、評価されてレギュラーがとれるから、などと覚悟めいたものを思いながら、あの泥臭いオフ・ザ・ボールのプレイを続けているのだろうか?
 
自分もやってみればわかるかと思い、ものはためしでサッカーに混ぜてもらった。
しかし、もう呼吸するのも辛くって頭は真っ白。
オフ・ザ・ボールなんて考えている余裕はどこにもなかった。
 
そこで、子どもたちに聞いてみることにした。
 
「ボールから離れたところでの動きって、キツくない? つまらなくない?」
 
すると、「え、何いってるの?」と怪訝な表情をみせ、こう答えた子がいた。
 
「ボールから離れてなんかないよ。だって、ボールみえてるじゃん」
 
なるほど。
そもそもボールとの距離感の認識、視野の広さが違うのだ。
それは、オフ・ザ・ボールのプレイが大事だとか泥臭いとかキツいとか以前の問題だった。
 
観戦しているだけの私などは、ボールの近くしか見ていない。ボールの近くにいなければ離れていると認識する。離れている場所での動きの意味を感じられない。
 
一方、実際にプレイしてる子どもたちから見れば、ボールだけでなく、仲間や相手の動きを視野に入れている。この先どこにボールが動くか、どうすれば得点に結びつけられかを予測し、その上で自分はどこに動くか考えるためだ。つまり、ボールが足下になくても、ボールはいつも自分の視野と頭の中。だから、自分が「ボールから離れている」とは感じていない。
 
このボールとの距離感の認識の違い、視野の広さの違いが、オフ・ザ・ボールのプレイに泥臭さを感じるか感じないかの決定的な差を生み出している、と私は感じた。
 
 
もしかしたらこれはサッカーだけではなく、人生でも同じではないだろうか。
 
広い視野をもって、先を予測しながら活動するような生き方であれば、たとえ人から泥臭いと思われても、泥臭いと感じることはなく生きられる。泥臭さを覚悟する必要もない。

 

 

 

一方で泥臭い生き方を覚悟しなければならないのは、視野が狭まっていたり、先を予測するだけの情報が不足していたりすることに原因があるかもしれない。
 
だったら、自分の生き方に泥臭さを感じたときは、絶好のチャンかもしれない!
 
転職してもいいし、職は変えずともこれまでと違う視点で仕事をしてみてもいい。
何かを変えてみて、自分の視野を広げようとする。
薔薇の香りでも何でもいいから、ためしにいろんな香りを嗅いでみればいいのだ。
そうすれば、自分の人生から泥臭さを打ち消す香りで人生が満たされてくる。
泥臭さを覚悟する必要なんかなくなるのだ。
 
マリー・アントワネットには、視野を広げたり、先を予測したりできる自由がほとんどなかった。名門ハプスブルク家の血筋、フランス王国の王妃としての立場、そしてその王国を継ぐ子どもの存在など、あまりにも縛りが多かった。だから、泥臭く生きる覚悟を決めざるをえなかっただろう。
 
現代に暮らす私たちにも、マリー・アントワネットほどではないにしろ、さまざまな縛りがあり、不自由さはある。だから必ずしも、視野を広げる行動をおこせるとは限らない。泥臭く生きる覚悟を決めることになるかもしれない。
 
でもせめて一度は、薔薇の香りを嗅いでみてはどうだろうか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京都在住。現役理工系大学教員。専門は生物物理化学、生物工学。バイオによる省エネルギー・高収率な天然ガス利用技術や、量子化学計算による人工光合成や健康長寿に役立つ分子デザインなどの研究の傍ら、息子がサッカーを始めたことがきっかけでサッカー4級審判員資格を取得。2019年までの5年間、都内少年サッカーの審判員を務めた。

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2022-02-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.159

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