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週刊READING LIFE vol.171

選ばないことを選んでみたっていいじゃないか。《週刊READING LIFE Vol.171 同じ穴のムジナ》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/05/30/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
ゼロ、イチ、ゼロ、イチ
ゼロ、イチ、ゼロ、イチ
頭の中で、浮かんでは消えていく二つの数字。
まるでコンピューターの信号のように、
思考がデジタル化されていく。
 
狭まっていく視界。
走り始めたときは、あんなにも心地よくて、
あんなに明るかった世界が嘘のよう、
今、見えるは、自分の足元だけ。
 
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、
耳に入るのは、河川敷の砂利を踏む音。
次第に短く、そして、粗くなっていく
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、という呼吸。
機械のように繰り返されるその音たちが、
まるで催眠術のように、
ぼくの意識を、さらに内側に引きこんでいく。
 
もうやめるべきなのか。足を止めるべきなのか。
こんなところで、無理をしたって仕方がない。
 
いや、違う、ここで諦めたら、あのときの彼とおんなじだ。
 
あのとき、彼はこう言った。
もうリタイアすべきなのかな、次のレースだってあるし、
怪我したら元も子もないし。
 
ぼくは、そんな彼に怒りを感じたんじゃないのか。
そこで、やめちゃいけなんだ、と。
わかったようなことを言って、
納得したようなふりをするじゃない、と。
 
おはようございます、
いつもランニング、がんばっていますね。
 
いつもこの場所、この時間、
すれ違う女性の声にハッとさせられる。
顔をおぼえてもらったのだろうか、
一緒に散歩している犬が、
鼻を足元に摺り寄せる。
 
この時間でも、もうずいぶんと汗をかきますね。
女性の言葉に、頬を撫でる風を感じる。
そう、こんな早朝でも、もうずいぶんと暖かい。
太陽もすっかり登っている。
 
ふと思う。
 
時は過ぎる。
ぼくたちが何者であろうと、
どんなことで悩み、苦しんでいようとも、
時は過ぎる。
寒かった季節も、気づかぬ間に暖かみを帯び、
枯れ葉一色だった河川敷も、
いまは新緑の絨毯が敷かれている。
 
そう、時は過ぎるのだ。
そして、その過ぎていく時にしか、
伝えられないものがある。
続けることでしか、見えないものがある。
 
女性と犬に別れを告げ、ぼくは再び走り出す。
 
ゼロなのか、イチなのか、
やめるべきか、いや、それとも、
続けるべきか、
 
そんなこと、いまは分からなくたっていいんだろう。
「分からない」、その先に、進んだときに、
きっと、はじめて見える景色がある。
 
そう、あの時の彼がそうだった。
ボロボロで、かっこ悪いこと、この上なかった。
やめるべき理由なんて、いくらでもあったろう。
他の誰かを納得させる言葉なんて、いくらでもあった。
 
でも、彼は違った。
もうリタイアしようかな、気持ちが……、
言いかけたとき、彼は言った。
「いや、違う、気持ちじゃないな……」
 
なにが、答えかなんて、わからない。
でも、走ったその先に、きっとなにかを見つけられる、
そう信じて走りぬいた。
そして、ゴールの先に、彼を待っていたのは……
 
だから、ぼくも、諦めちゃいけない。
いまは、わからなくなっていい、
ただ、未来を信じて、進み続けたらいい。
これは、ぼくに、そんなことを教えてくれた、
あるランニング選手の話だ。
 
それは、先日、何気なくつけたテレビ番組。
彼は、トレイルランニングと呼ばれるレースに出場していた。
一般のマラソンとは違い、
トレイルと呼ばれる未舗装の道を走るレース。
砂利道、林道、登山道と、
ルートはアップダウンが激しく、かなり過酷。
距離は、短いものだと10キロ程度、
長いものだと、50キロ、100キロなんてものもある。
 
そして、今回、彼が参加したのが、
昨年12月に行われた伊豆でのレース、距離は70キロ。
コロナ禍の中、久々に開催されたレースということもあり、
日本各地からの有力選手が参加するこのレースは、注目を集めていた。
そして、そんな有力選手の一人として、彼がいた。
 
「写真、一緒にお願いします」
レース前、彼は多くのファンに囲まれた。
それもそのはず、彼は昨年8月に行われたレースで、
多くの有力選手を振り切り、優勝を果たしていたのだ。
 
それまでは、全くといっていいほどの無名だった彼、
それが、一気にトップに上り詰めた。
突如として現れた新たなスターの登場に、
トレイルランニング界は、沸き立っていた。
 
こっち向いてくださぁい、
ファンの声に笑顔で答える彼。
ただ、心のうちは、穏やかではなかった。
ここ数レース、振るわない結果が続いていたのだ。
 
きっと、彼は、いまの彼自身に、とまどっていたのだろう。
無名の頃は、自分に集中できていた。
レースは、自分のもの。努力するのも、諦めるのも、
すべて、自分のためだった。
 
それが、いきなり注目を浴びることになった。
結果が出れば、これまでにないほどの多くの人が喜んだ。
でも、結果が出なければ、もっと多く人が失望した。
「彼」のレースは、もう自分だけのものではなくなっていた。
誰かのために走るレース、誰かの目を気にするレースになっていた。
 
そんな状態で、レースに集中などできるはずがない。
もちろん、結果などついてくるはずもない。
次第に調子を落とした彼に、代わりについてきたのが、
いわゆるリタイア癖だった。
 
レース途中、このまま走り続けても、良い順位がとれる見込みがない。
そんなとき、もう少し頑張ろう、もう少し粘ってみようと、
走り続けるのではなく、すぐにリタイアという選択をしてしまうのだ。
 
当然、その選択が正しい場合もある。
いや、多くの場合、正しいのだろう。
調子が悪い中、無理をして走り続けても、
怪我のリスクもあるし、次のレースへの影響もある。
だから、合理的に考えて、リタイアする。
賢い選択だ。
 
ただ、彼の場合、そうではなかった。
調子が悪いのは、本当かもしれない。
次のレースに備え蹴ればならないのも、本当だろう。
ただ、彼は逃げていた。
 
結果が出せない自分、最後まで粘れない自分を、
正面から受け止められない。
リタイアするほどの状態だったのだから仕方がない、
そう自分に言い訳していたのだ。
 
もちろん、それで、周囲は納得する。
無理したって仕方ない、次がある、と言ってくれる。
でも、内なる「彼」は納得していなかった。
周囲に筋の通った説明をしながらも、
彼自身は、気づいていた。
自分は、自分から逃げている、
そのことに気づいていた。
だから、今回のレースに期するものがあったのだ。
今度こそは、逃げないで自分自身と向き合おうと。
 
レースが始まった。
序盤は予想通り、有力選手が引っ張る展開。
今までにないほどのスピード感で展開するレースに、
多くの一般選手は、あっという間に振り落とされていった。
そして、その振り落とされた、その他大勢の中に彼はいた。
 
レースが始まりたった数時間、
調子の上がらない彼のレースは、
順位的には、すでに終わりかけていた。
あせり、失望、諦め、
彼の表情には、そんな感情が、ありありと見て取れた。
カメラマンとのすれ違い様、彼は、こう言った。
リタイアしようかな。
 
無性に腹が立った。
そんなにあっさり諦めるなよ、
彼にそう言ってやりたかった。
 
トレイルレースなんて、簡単じゃないことは、
初めからわかっていたはずなのに。
調子が上がっていないのだって、
スタート前からわかっていたじゃないか。
それでも、逃げないで、その先が見たいから、
その思いで出場を決めたんじゃなかったのか。
 
彼のその姿が、ぼく自身と重なった。
仕事だって、家庭だって、
それから走ることだって、書くことだって、
なんだって、簡単じゃない。
人生に、簡単なものなどない。
それを、分かっていて始めたはずなのに、
すぐに音を上げてしまう自分。
 
でも、それじゃ、ダメなんだ、
すぐに結果が出るものなんて、世の中にはない。
だから、続けなきゃ、見えないものがある。
そう思って、立ち上がっても、苦しくなると、
すぐに目の前をちらつくのは「リタイア」の文字。
そして、その後に続くのが、耳障りのよい言い訳たち。
明日があるよ、無理するな、
みんな、わかってくれるよと、ぼくを誘惑する。
 
でも、違うのだ。
みんなは分かってくれるかもしれないけれど、違うのだ。
ぼくは、わからないのだ。
仕事も家庭も、書くのも、走るのも、苦しい。
このまま続けたって、芽が出るか、なんてわからない。
だから、やめたい。
無理なんてしないで、やめるべきなのかもしれない。
 
でも、心のどこかで、もう一人のぼくが叫んでいる。
まだ、諦めないで。まだ、やめないで。
その先を、見に行こうよ、
いまにも消え入りそうな声だけど、
もう一人のぼくは、たしかにそう叫んでいる。
 
だから、ぼくにはわからない。
やめるべきか、進むべきか、ぼくにはわからない。
だから……
 
だから、そんな彼を見ていると、
ぼく自身を見ているようで、腹が立った。
ぼく自身を見ているようで、諦めてほしくなかった。
そして、「その先」にたどり着いた、ぼくを見られるような気がして、
彼を応援したくなった。
 
その後、彼の順位は全く上がらなかった。
それどころか、どんどんと落ちていく順位に、
番組が彼を取り上げることは、ほとんどなかった。
当然のことながら、画面には、優勝を争う選手たちが映され、
折に触れ、彼らのこれまでが紹介された。
そのどれもが、感動的だった。
努力を重ねる姿、弱い自分を克服しようと苦しむ姿、
心を打たれるものばかりだった。
ただ、ぼくは、彼が見たかった。
ただただ、彼が走り続ける姿を見たかった。
それだけで、ぼくは「その先」を見られるような気がした。
 
レース終盤、
エイドと呼ばれる最後のチェックポイントに現れた彼は、
ボロボロだった。
足を引きずり、顔面は蒼白だった。
 
実際、その日のレースは、予想以上に気温が高く、
多くの選手たちがリタイアをしていた。
最後のエイドまでたどり着いた選手でも、
そこでリタイア宣言する者がたくさんいた。
 
だから、ぼくは思った。
ここまでやったのなら、仕方がない。
彼がリタイアしても、仕方ない、と。
 
ただ、彼は違った。
苦しそうな彼の元に寄ったカメラに、彼はこういったのだ。
「リタイアしようかな。もう気持ちが……
いや、違う、気持ちじゃないな……」
そして、彼は走り出した。
足を引きずり、顔面は蒼白なまま、走り出した。
 
そして、ぼくは思った。
カメラが捉えた彼の背中を見ながら、
ぼくは思った。
そう、それだよ。
お前に必要なのは、それなんだよ。
そうやって走り続けることでしか、
見えないものがあるんだよ。
陽の光に照らされ、小さくなっていく彼の背中には、
さっきまでの悲壮感はなかった、
そんな気がした。
 
結局、彼の最終順位は、四十位あたり。
とても新たなスターにふさわしい順位でなかった。
ただ、レース後のインタビュー、
ロードも、トレイルも、登りも下りも、すべての技術が足りない、
そう答える彼の表情は、
不思議なほど、すっきりとしていた。
 
ふと思った。
彼は「その先」にたどり着いたのだと。
いや、違う、気持ちじゃないな、
そういって走り続けた彼は見つけたのだ。
 
彼に足りなかったのは、気持ちじゃなかった。
人目を気にする自分、最後まで粘れない自分。
そんな弱い気持ちを持った自分が、彼の問題ではなかったのだ。
 
彼に足りなかったのは、技術だったのだ。
これからのレースで、上位を狙い続けるための技術が、
彼には足りていなかったのだ。
 
だから、そのことに気づいた彼は、
逃げずに最後まで走り続けたことで、
本当の問題に気づけた彼は、きっと強くなるに違いない。
そんな風に思った。
 
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、
河川敷の砂利を踏む音が心地よい。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、
短く、粗くなった呼吸音だって、走り続けた証(あかし)、
いまは、そんな風に思えてくる。
 
気づくと、頭の中のあの数字は、
すっかりどこかに行ってしまった。
ゼロ、イチ、ゼロ、イチ、
きっと、そんな風にどちらを選ばなくたっていいんだろう。
わからないまま、進んでいけば、
きっと、いつか何かが見えてくる、
そんな風に思って、走り続けていればいいのだろう。
 
ふと、顔を上げると、朝日が目に入る。
そういえば、あの時、彼も、眩しそうな表情をしていたな。
ぼくには、なにもない、そう答えたとき、
彼はどこか遠くを見るような、輝く何かを見つけたような、
そんな表情をしていたな。
 
だから、そう、きっと、そういうことなんだ。
ぼくも、きっと「その先」にたどり着ける。
たとえ、いまは分からなくたっていい。
走り続けてさえいれば、きっと、どこかにたどり着ける。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

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2022-05-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.171

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