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週刊READING LIFE vol.195

長くて短かった特別な日《週刊READING LIFE Vol.195 人生で一番長かった日》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/11/28/公開
記事:飯髙裕子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
ザーッと下腹部に水が流れる感覚に異変を感じた。え? 破水した? 陣痛も来ていないのに……。
 
本能的に、すぐ病院に行かなければいけない気がした。
まだ寝ていた夫に「破水したかもしれないから病院に行くね」と寝ぼけ眼で事態を飲み込めていない様子をそのままに、私は家を飛び出した。
いつも行っている病院は歩いて5分くらいのところだ。
なんだか妙に心臓がドキドキした。赤ちゃんのことが心配だった。
 
ちょうど検診の日であったこともあって看護婦さんはすぐに私に着替えて待機室に入るよう指示した。
全く陣痛が来ていないこと、そして羊水が濁っていたことで、私はすぐさま陣痛促進剤の点滴をつけられた。
 
 
普通お母さんのおなかの中にいる赤ちゃんは羊水の中に浮かんでいて、肺呼吸をしていない。へその緒から必要な空気や栄養をもらって育っていく。
 
7か月くらいになると、ときどき羊水を飲み込んで肺を膨らませて肺呼吸の練習をしたりするようになる。けれど、これはあくまで肺呼吸様運動と言われるものであって肺呼吸ではない。
羊水が少なくなってしまったら、酸素を十分に取り入れるためにも赤ちゃんはなるべく早く外に出たほうがいいのだ。
陣痛が来る前に破水するのはそれほど珍しいことではない。十分に成長している赤ちゃんの場合、それほど心配はないと言われている。
けれど、私の羊水は濁っていた。
そうなると、少し事態は違ってくる。濁った羊水を赤ちゃんが飲み込むと肺などに感染を起こす場合がある。少しでも早く、赤ちゃんを出してあげなければならない。
私がすぐに病院に来たのは間違いではなかったようだ。
 
どうして羊水が濁るのか、その頃の私はそんな知識もなかった。
私は、自分のアレルギー体質が原因なのではないかと長い間息子に申し訳ないような気持ちが拭いきれなかった。
息子は生まれてからもアレルギーには成長と共に悩まされていたからである。
けれど、その原因はあの時でも結局はわからなかったことなのかもしれないとある時気づいて、少し気持ちが楽になったのだった。
 
実際には、出産予定日を過ぎた赤ちゃんや何らかの理由で酸素不足になった赤ちゃんが羊水の中に胎便を出すことがあるという。
そもそも、命の誕生はまだ、わからないことも多いし、無事に生まれてくること自体奇跡なのかもしれない。
息子もお腹の中で「少し苦しいよー」と私にサインを出していたのかもしれないなと思う。
そのサインに早く気付いてあげられてよかったなと思う。
 
 
陣痛促進剤が効き始めたのは病院について30分ほど経った頃だっただろうか。
間隔がだんだん短くなってきて、私は分娩室に移動した。
赤ちゃんに酸素が少ないと良くないということで、酸素吸入器をつけられた私は、なんだか普通の妊婦さんとは違った様相だったかもしれない。
 
一般的に一人目の子のお産ではかなり時間がかかるということが多く、一日くらいかかるのは普通の感覚らしい。お母さんとなる女性は長時間痛みに耐えやっと対面した我が子にかけがえのない愛情を感じるのかもしれない。
私の場合、その生まれてくるまでの時間が驚異的に短かったようだ。
というのも、朝9時過ぎに病院に行って、息子が生まれたのは、12時過ぎである。
3時間ほどしかかかっていない。
ずいぶん楽なお産だと思うかもしれないが、生まれる時の痛みが少ない分、逆に体が元に戻ろうとする早さも速くてそちらの痛みがひどかったから、結局生みの苦しみはそれほど差がないのかもしれないなという気がしている。
 
普通に比べたらあっという間に生まれてきた息子の体が目に入った時、なんだか不思議な感じがした。
やけに白かったのだ。
助産師さんの「まあ、すごい胎脂」という声が耳に入った。
赤ちゃんは生まれてきたときピンクがかった肌色をしていると思っていた。
だから赤ちゃんと呼ばれるのだと思っていたのだ。
どうも、息子の体は、胎脂がかなりついていてそれで白く見えたようだった。
羊水が濁っていたこともあって、赤ちゃんの体を細菌や乾燥から守る胎脂がかなり多くついていたらしいことは後から助産師さんに聞いたことだった。
 
私はつけられていた酸素吸入器のせいで、過酸素状態になっていて頭が朦朧としていたのだが、息子が生まれたときのその状態はとても印象が強くはっきりと覚えている。
 
私が病室に入ったのは、午後も遅い時間になったころだった。
過酸素状態から私が元に戻るまで、結構時間がかかったこと、そして息子のほうも処置に追われていて、バタバタしていたのかもしれなかった。
 
息子が、保育器に入ったことを聞かされたのもそのときだった。
普通は、母親の病室に赤ちゃんを連れてきて、母乳をあげるのだがそれは叶わなかった。
やはり、濁った羊水を飲み込んでいることから、その処置をしないといけないということだった。
ぼんやりと、息子は元気なのだろうかと思いながら、特に心配があると言われなかったことだけが救いだった。
息子を見たくても夜まで動くことができず、やっとガラス越しに見た小さな手には点滴の針が刺されていて切ない気持ちになった。
針が外れないようにしっかりと固定されてはいたが、息子はバタバタと元気良く動き、どこにも異常があるようには見えなかった。
そこには、新しい命の力強さが確かに感じられた。
 
息子も私もその渦中にいて少しも時間の経過はわからなかったが、一番かわいそうだったのは、夫だったのかもしれない。
 
起き抜けに置いてきぼりを食らい、一人で病院に行った妻を追いかけ病院に行くと、すでに面会はできない状態であったので、ただただ、待つしかなかった。
生まれた息子を見ることもできず、保育器に入ると聞かされ不安ばかりが募ったようであった。
何が起きているのか、病院側も詳しい説明をしている余裕がなかったようである。
何もわからずただ待つというのは、確かにつらいことだなぁと思う。
 
その日一日が、とても長かったような気がしたのは、たくさんのことがそこにギュッと濃縮されて詰まっていたからなのかもしれない。
初めての出産に加えて、先に破水してしまったこと、羊水が濁っていたこと、そしてすぐに息子をこの手に抱くことができなかったこと。
 
初めての経験もこれだけ盛りだくさんになると大きな波にのまれて溺れそうになっている人のような気分だ。
それでも、決して溺れてはいけないという決意が自分の中にあることを私はその時初めて気づいたのだと思う。
母親の本能というのは、すごいものだなと思う。
お腹の中にその命が宿ったと知ったときから、すでにもう母親なのだろう。自分の体の中にあるもう一つの命を守りたいと、無意識に思っている。
ただ純粋に一つの命の灯をともし続けたいと願っているのだ。
次の日の朝から、母乳を絞って息子に届けることが続いた。息子が保育器から出ないと私のもとへ来ることはないから仕方がなかった。
ガラスの中の息子は、毎日成長しているように見えた。点滴のついた腕もがさがさと動かして小さな掌を閉じたり開いたりしていた。
 
出産した女性は、母乳が出るような体の構造になっている。決まった時間に飲ませられるよう胸が張ってくる。
特に赤ちゃんの泣き声を聞いたり顔を見たりすると途端にその分泌は激しくなる。
不思議なものだなと思う。
幸いなことに、息子は何の異常もなく、2,3日で保育器から出ることができた。
はじめて手に抱いた息子は、思ったよりずっしりと重く温かかった。
そして10日ほど経ったある日、私と一緒に無事退院することができたのである。
 
そんないろいろな想いがたくさん詰まって生まれてきた息子は、今父となり、私がたどってきた道を同じように歩き始めている。
母親の私とはまた違った想いがきっとあるのだろうなと思う。
けれど、息子に対して抱いていた親としての愛情はおそらく変わることなく同じように感じているに違いない。
自分がもらった愛情をまた、自分の子供に与えていく。そんな連鎖がずっと続いていくのだ。
 
ずいぶん時間が経ったことなのに、まるで、昨日のことのように鮮やかに記憶は蘇る。
それは、きっと、私の人生の中でも、何一つ無駄のない、素敵な経験と感動に溢れた一日だったからに違いないと思っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
飯髙裕子

ライティングゼミを経てREADINGLIFEライターズ俱楽部に参加中。
食と体の関係に興味があり、心理学検定の1級を取得し、更年期世代の体に優しいスイーツレシピを研究中。最近ビューティタッチセラピーで、高齢者の心を癒すセミナー受講中。

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2022-11-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.195

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