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週刊READING LIFE vol.197

朝を告げる音《週刊READING LIFE Vol.197 この「音」が好き!》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/12/12/公開
記事:松尾 麻里子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
今日が、どんな一日であっても、朝が始まる音が好き。
私の朝は、上の階に住んでいる人の洗濯機を回す音から始まる。
グルン、グルン、と洗濯量を計る音さえ明瞭に聞こえてくるが、不思議とその音を聞くと安心する。
 
「ああ、上の人、今日も生きているな」
 
特に話したこともなく、エレベーターで会えば、会釈するぐらいの間柄だが、上の人の生存確認ができると、私もむくむくと布団の沼から這い出てくる。
 
ここに住み始めて2年経つが、730日同じ時間に洗濯機が回らなかった日はない。
その規則正しさには、本当に脱帽する。私はと云うと、日によって、コーヒーを先に入れたり、朝食作りに取り掛かったり、トイレ掃除をしたりとバラバラだ。上の人は、全く知らない人だけれど、きっと、毎朝のルーティンが決まっていて、それをいつも通りにこなして、同じ時間に家を出る。そういう人だから、ゴミの分別もしっかりしているし、仕事もきちんと丁寧だし、先の人生を見据えて、お金の使い方も真面目に考えているに違いない。そんなことを洗濯時間の正確さだけで勝手に妄想している。
 
ただ、ここ半年前から、奇妙なことが続いている。
毎日20時から21時の間に、上の階から、ドーン、ドーン、と何かをつくような、もしくは、何かを落としたような音が響いてくるようになった。
 
多い時で15回ぐらい、少ない時で5回ぐらい聞こえてくる。
その音のせいで、壁がビリビリと振動するくらいなので、相当大きな音だろう。
いつしか、1階のエレベーター横の掲示板には、生活音注意! と書いた張り紙が掲示されるようになったが、それは明らかに、上の人のことを指しているような具体的な内容の張り紙だった。
 
張り紙が掲示されても、一向に音が治まる様子などは見受けられなかったが、我が家はだんだん、その音に慣れ始めていたので、さほど気にしなくなっていたのだが、ある日、マンションの管理組合の人がきて、事情聴取をしていった。
 
「毎晩、20時から21時にあたりに、こう、何かをつくような大きな音がしますか?」
「はい、します」
「いつ頃からですか?」
「そうですね、半年前くらいからですかね」
「そうですか、わかりました。ご協力ありがとうございました」
 
担当者は最後まで無表情で、無駄なことは聞かずに、ただそれだけ聞いて、去っていった。
その一週間後、マンションの前に大きな引越しトラックが一台止まっていた。
エレベーターにもしっかりと養生がされ、次々と部屋の荷物が運び出されていた。
透明のコンテナボックスには、おもちゃの電車がいっぱいに詰められており、側には、可愛い赤い子供用の自転車もあった。引越しをするのは、あの家族かな。汗だくになりながら、無心に荷物を運んでいる作業員の横で、キャッキャッしながら、4歳と6歳くらいの兄妹が戯れあっていた。それを横目で見ながら、運ばれていく荷物を見つめる母親らしき人と、ちょうど目が合ったので、話しかけてみた。
 
「お引越しですか? 暑い時に大変ですね」
「そうなんですよ。本当は移動したくなかったんですけどね」
「転勤ですか?」
「……そうじゃないんですけど」
 
彼女は、何か言いたげなのに、必死に自制して口を押さえているように見えた。
私には、それでも、彼女が話を聞いて欲しくてしょうがないように思えたので、
 
「何かあったんですか?」
 
純粋な興味と、親切心で問いかけてみると、彼女は引越しの本当の理由を教えてくれた。
半年前ぐらいから、夜になると床を棒のようなもので思いっきり、突かれるような音がするようになり、子供たちが怖がるので、マンションの管理組合に相談して、張り紙を掲示してもらうように対処してもらったものの、今度は、音の後に、下の階の男性が直接インターフォン越しにクレームを言いに来るようになったとのこと。
 
「毎日のように、うるさいです、静かにしてください、とただそれだけ言われるんです。毎日です。最初は謝っていたんです。子供がまだ小さいので、足音がうるさいのだろうと。だから、子供にもかなり言い聞かせて、厳しく注意して、そしたら下の子が夜泣きをするようになって、上の子も私に怒られるたびに、自分の腕に噛みつく変な癖がついてしまいました。だから、もう限界かなと思って、引っ越すことにしたんです」
 
「そうだったんですね。それは大変でしたね」
 
そのあとは、どこに引っ越すのか、など軽い会話をしたあと、私は本来の用事のため、駅へ向かったのだったが、私にとって、上の人は、規則正しく、ただ慎ましやかに生活している人だと思っていたので、人ってわからないものだな、とつくづく思ったのと同時に、自分も同じくらいの歳の子を持つ親としては、申し訳なさには共感するものの、何もそこまでしなくてもいいのに、と少し憤りを感じた。
 
それから、2ヶ月くらいは確かに静かだった。
また、毎朝5時に聞こえてくる洗濯機を回す音で、上の人の生存を確認する日常に戻ったのだが、それも束の間、また天井を突く日々が始まってしまった。新しい人が引っ越してきたのだろう。何でまた同じことの繰り返しになるのかな、とさすがに賃貸仲介者に対して、呆れてしまったが、空き部屋は埋めなくてはならないのだから、業者もただ仕事をしているだけに過ぎないのだ。
 
しかし、上の人もかなり神経質だな。少し我慢をすればいいものを。なぜ、そこまで上の階からの生活音に敏感なのだろうか。異常なのか、理由があるのか。少しだけ、直接、本人に聞いてみたい気持ちに駆られた。
 
そして、ほんの1ヶ月ほど前から、それは始まったのだが、
帰宅をすると、我が家の玄関前に整然と積んであったはずのネットスーパー用のコンテナボックスが、バラバラと崩れていることが度々発生した。それはまるで人が体当たりしていったかのような崩れ方だった。誰が何のためにそのような嫌がらせをしているのか理由がわからず、コンテナボックスを元の位置に戻しながら、ただただ、気持ちの悪さを感じていたのだが、ついに、誰がコンテナボックスを崩しているのかが判明した。
 
その日は、自宅で仕事をしていたのだが、突然、ガチャガチャと玄関のドアを開けようとする音が聞こえてきた。最初は夫が早めに帰宅したのかと思ったが、ガチャガチャ音が止まらない。さすがに、うるさいなと思い、玄関に行って鍵を開けようとしつつ、念のためドアスコープから除くと、そこには、見知らぬ初老の女性が立っていて、うちのドアに鍵を差し込んで、何度も鍵を回して中に入ろうとしていた。そのうち、首を傾げながら、諦めたのか、コンテナボックスに思いっきりぶつかりながら、去っていった。その一部始終をドアスコープから覗いていたのだが、あの女性を助けようという思考より、彼女のガラス玉のような目つきへの恐怖が勝ってしまって、結局、なにも出来ずにスコープ越しに佇むだけであった。
 
その一週間後の朝、子供を保育園に送ろうと家を出ようとした時に、またドアがガチャガチャと鳴った。ドアスコープから除くと、また先日の女性だった。数分ガチャガチャすると、何やら、その女性らしき声が聞こえてきて、静かになったと思いドアスコープを覗いたら、もうそこにはいなかった。子供たちもさすがに少し怖がっていたが、これ以上、時間を遅らすことはできないので、恐るおそる玄関を出て、エレベーターを降り、自転車置き場に行くと、先ほどの女性がウロウロと彷徨っていた。明らかに様子がおかしい。私は、その時やっと気がついた。この人、視力がだいぶ落ちている。両手を前に出して、あたりを探りながら、一歩ずつ進んでいる。ああ、私は、なぜ、それに気がつかなかったのだろう。今までの後悔とともに、助けてあげなくてはという気持ちが、身体の奥底から湧いてきた。
 
「大丈夫ですか?」
 
と話しかけると、彼女は、こう言った。
 
「ここは、5階ですか?」
「いえ、違いますよ。ここは1階の自転車置き場です」
「そうですか。私のお家はどこでしょうか」
 
目が見えないだけではない、この人は、おそらく認知症を患っている。
今までドアスコープ越しに、ただ怖がって、彼女を奇怪な目で見てしまったことを心から恥じた。
 
「もしかして、この棟の5階にお住まいなのではないですか?」
「ええ、そうかもしれません、たぶん」
「私がお連れしますので、一緒に行きましょう」
 
彼女の肩にそっと手を置くと、ビクッと彼女の身体が一瞬にして強張ってしまった。
ああ、こういう時は、肩に手をおきますね、と予め言ってあげなくてはならないと反省した。
 
5階までお連れしている間、彼女はずっと、
 
「朝の忙しい時間に、本当に申し訳ないです、申し訳ないです」
 
と、念仏のように繰り返していた。
その言葉を聞くたびに、胸が締め付けられるような思いがした。
そんなに謝らなくてもいいのに。きっと、周りに気を使う人なのだろう。
 
5階まで来ると、徐々に思い出してきたのだろうか、意外にもスタスタと505号室のまえでピタリと止まり、ドアノブに手をかけ、そのまま無言のまま、家に入っていってしまった。本当にこの部屋であっているのか確証を持てぬままだったが、廊下側に面した部屋の窓が広く開いていて、そこから、天井から垂れ下がった裸電球や、雑然と服やゴミが散らかっている様を目にした時、おそらく、ここが彼女の家で間違いないと確信した。505号室は、うちのすぐ上の部屋だった。彼女は、朝5時に洗濯機を回す上の人のご家族だったのだ。405と505、だから、いつも1階間違えていたのだと、やっと、わかった。
 
その次の日は、4階と5階の階段の踊り場で立ち止まっている彼女を見かけた。
たまたま、通りかかった住人が、どうやら彼女の知り合いらしくて、何か話しかけていたが、彼女は、もはや、その目の前の人も誰だかわからないようで、
 
「あー、もう、本当に嫌だー、何もわからない!」
 
と発狂していた。目も見えない、自分の部屋もわからない、話しかけてくれている人が誰だかわからない。認知症は、側から見ていて、こんなにも痛々しい病気なのだと初めて知った。このまま、彼女を一人で歩かせるのは危険と思い、マンションの管理組合に連絡をして、事情を説明した。電話口に出た管理組合の女性からは、他の方からも、同じようなご連絡をいただいておりまして、お気遣いありがとうございます、と言われた。
 
その3日後、お昼頃にインターフォンが鳴った。
 
「はい」
「505号室の○○です」
 
何事かと思い、玄関を開けると、上の人が立っていた。手にはパステルのプリンを持っていた。
 
「先日、妻がご迷惑をおかけしたそうで、た、大変申し訳ありませんでした」
 
きっと、こういう言葉は言い慣れていないだろう。直感的にそんな気がした。
 
「いえいえ、奥さま、大丈夫ですか?」大変ですね、と言いかけてやめた。
 
「いえ、すみませんでした。これ、市からもらってきましたので、すぐには難しいですが、ここに入れることにしましたので、本当に、あの、すみませんでした」
 
手に持った介護施設のパンフレットの表紙には、柔和な初老女性のイラストが描かれていた。
 
「それから、あの、これ、ご迷惑をおかけしたので、どうぞ」
 
とパステルのプリンを渡すと、2、3回忙しく会釈をして、上の人は上の階へと階段を上がっていった。その後ろ姿は、少し寂しそうに見えた。
 
それから、1ヶ月が経ち、大きく変わったことは2つ。
1つは、ドーン、ドーンと突く音が全く聞こえなくなったこと。
もう1つは、朝5時の洗濯音が毎日ではなく、不規則になったこと。
 
洗濯音が聞こえない日は、不安になった。上の人の生死というよりも、毎朝同じ時間に始発電車が発車するように、上の人の洗濯音は、私に朝の始まりを告げるバロメーターみたいなものだったから、まだ夜が開けていないのではないかという感覚が拭い去れなかった。長い夜は怖い。普通だったら、朝5時の洗濯音は騒音だよ、と友人に言われた。けれども、私にとって、その生活音は、人の息吹を感じる温かい音のように思えて、なぜか、とても好きな「音」なのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
松尾 麻里子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

超有名創業者率いる大手電機メーカー、明治から続く老舗の空間設計会社、現役音楽プロデューサーが立ち上げたスタートアップのI Tベンチャー、言わずと知れた某大手人材派遣会社など、様々な業界を渡り歩き、一貫してフロント営業を担当。そこで見聞きしてきた人々のバラエティに富んだキャリアに興味を持ち、その人生を歩むに至った背景の紐解きや、これからのキャリアに悩める人たちのサポーターになりたいという想いから、国家資格キャリアコンサルタント、B C M A認定キャリアメンターの資格を取得。現在は、天狼院書店ライターズ倶楽部にて、その人の人生、哲学、信念などを文章として世の中にお届けすることを目標に掲げ、実践的なライティング術を勉強中

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2022-12-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.197

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